「安静にしてなくちゃ、治るもんも治らんぞ?」

「……大体、部外者に内事情を見られちゃ困るんだよ」

「……すみませんでした」


近藤さんの私室に、半ば引き摺られるようにして来てすぐに、彼らの前に座らされ、お説教をされた。
近藤さんはお説教と言うよりは、心配そうにしていたけれど、先程から刺さるような土方さんの視線が痛い。
土方さんの投げる言葉の強さは、近藤さんや沖田さんのそれとはまるで正反対で
ぬるま湯から一気に、冷水の中に投げ込まれたような感覚になる。


「……本当に、すみません」


瞳に薄い膜が張った事で、涙が出そうになっている事に気がつく。
それを堪えるために、下唇を噛む。
こんな情けない顔を見られたくなくて、咄嗟に土下座をした。


「……これじゃあ、俺が悪者みたいじゃねェかよ」

「女性を泣かせるのはいかんぞ、トシ」

「俺のせいか?! ……ったく。きつく言い過ぎた、悪かったな」


その言葉に、顔を上げて首を振った。


「い、いえ! そもそも私が勝手に出歩いたのがいけないんです!」


ぶんぶん、と首を振れば、困ったように笑う近藤さんと目が合う。
土方さんはバツが悪いのか、そっぽを向いている。
この人も、好きで私にきついく当たっている訳ではないんだな、と少しだけ感じた。


「じゃあ見廻りついでに、……さんの」

「あ、本当に、その、呼び捨てで構わないですよ」

「……?」

「はい」


先刻まで厳かだった雰囲気が、近藤さんの言動で柔らかくなる。
土方さんも、私の名前をどう呼んでいいか迷っているようだった。
彼にも「土方さんも、呼び捨てで大丈夫ですよ」と告げる。


、の傷を診てもらいに、病院行こうか」

「いいんですか?」

「おう。それに、そろそろ包帯だって変えなきゃいけないしな!」


まだ少し照れているのか、近藤さんの頬は薄い桃色に染まっていた。
土方さんは、私の名前の頭文字をどもりながら発音していて。それが面倒になったのか「お前もさっさと用意して来い!」と
怒っている時とは違う声色で言われた。
用意と言われても、する事ないです、と言えば、土方さんの視線がきつくなる。
この人、すごく不器用なんだ、と直感で感じた。だって、今の彼は耳まで真っ赤だ。



悪い事をした訳でもない、警察官でもないのに、パトカーに乗るなんておかしな気分だった。
そんな事を考えながら、目の前に停められたパトカーの後部座席に乗った。
運転席には土方さんが、助手席には近藤さんがいて。よくよく考えたら、これって、すごい事なんじゃないかと、今更になって気づく。

車内では近藤さんと他愛のない話をしたり、時々土方さんが町中の目立つ建物の説明をしてくれたり。
記憶喪失である事を覚えていてくれていたみたいで。建物の説明は、少しでも記憶を取り戻せるんじゃないか、という気遣いだったみたいで。

でも、車の窓から見える風景に、何一つ見覚えもなくて。何かを思い出すような感覚もなくて。
少し、申し訳なく感じた。

ただ、澄んだ青い空を見ていると、ほんの少しだけれども、心が軽くなるような気がした。


「着いたよ」


青空に吸い込まれそうだった意識が、近藤さんの声で引き戻される。
着いた場所は、町角にある小さな病院だった。
パトカーから降りて病院を見上げていると、近藤さんが「ここは小さいけど、皆がよく世話になってるんだ」と、私の肩を軽く叩いた。


「ほら行くぞ」


先に病院の扉の前に立つ土方さんの声に従って、ひょこひょことそこに近づく。
扉を開けてもらって、足を踏み入れると、薬品の匂いが鼻に届いた。
お世辞にも気分はあまりよくない。
中に人はあまりいなかった。看護師さんに、手招きをされた。


「じゃあ、男性の方はこちらでお待ち下さい」


私の後ろに、当たり前のようについてきた近藤さんが、別の看護師さんに止められていた。
きょとんとした後、やっと待っていろの意味を理解したのか、顔を赤くして土方さんの座る茶色のソファに、腰を沈めた。


「……考えれば、分かるだろ」


横目で近藤さんを見る土方さんの目は、少し冷たかった。


「こうしてちゃんとお会いするのは初めてですね。えっと……」

、と申します」

さん。お話は伺っていますが、記憶喪失との事で……」

「はい」


中年の女性の先生との会話が始まる。
記憶というものはすごく複雑で、いつ思い出すのかも分からなければ、一生思い出さないかもしれないという事。
ひょんな事で思い出すかもしれない、という事を説明された。
また、今の私の状態からして、失っているのはいわゆる思い出だけのようで、体に染み込んだ習性や知識、運動能力は衰えていないらしい。


「まあ、専門外だから詳しくは言えないけれど、前向きにね」

「はい……分かりました」

「ええ。じゃあ傷を診ましょうか」


言いながら、先生はカルテを見る。
すると、一度驚きの表情を浮かべてから私を見ると、再び視線をカルテに戻した。


「……さん、今日はどうやっいらっしゃいましたか?」

「車ですけど……」

「それまでは、自分の足で歩きましたか?」

「はい……」


そう言うと先生はカルテを机の上に置き「ちょっと待っていて下さいね」と
近藤さん達のいる待合室へと出て行った。
何かあったのだろうか、と首を伸ばしてカルテを覗き込もうとしたけれど、よく見えなかった。
四苦八苦しながらカルテを見ようとしていたら、いつの間にか先生が戻ってきていた。


「お待たせしました」


待合室から戻ってきた先生は、最初の表情に戻っていた。
机の前の椅子に座ると、まず私の腕に巻いてある包帯を取る。
横にいた看護師さんが、頭や足の包帯を取っていく。
包帯の下には、思っていたよりも軽い怪我ばかりで。


「ちょっと、カルテに書かれていた傷の状況より、治りが大分早いから……血液検査をさせてもらうわね」

「え……? あの、それって」

「あなたが人間か天人か調べさせてもらいます」


それによって、治療方針も変わってくるから、と。

自分が天人かもしれない、と言われて、不思議な気持ちになった。
多分、ショックを受けているんだろう。
別に天人だろうと人間だろうと、記憶のない今の私にとっては、何も変わりはしないのだろうけれど
それでも、今の今まで自分は当たり前に人間だと思っていた以上、なんとなく、心の端を斬られた感覚がして。

だらりと、力の抜けきった腕を掴まれて、腕の上部にゴムを巻かれ、あれよあれよと言う間に、血液を採られた。


「結果が出るまで、待合室でお待ち下さい」


看護師さんに促されて、近藤さん達の待つ待合室に戻った。
呆然としたまま近藤さんを見て、彼らの向かい側のソファに座った。


「……?」

「……近藤さん」


彼の目は明らかに心配をしている目だった。
土方さんは煙草を吸うためなのか、それとも私を気遣ってか、外にいるようだった。


「……私、天人かもしれないんですよね」

「それは……」

「きっと、そうですよ。私、天人なんですよ。だから傷の治りもこんなに……」


もう包帯は必要ないですね、と消毒だけされた腕を見る。
そこにはもう、ほとんど傷跡なんて残っていない。


「関係ないさ」

「え?」

「人間だろうと、天人だろうと、だ!」


顔を上げれば、満面の笑みを浮かべている近藤さん。
そうだろ? と私を見る彼に、どう言葉を返していいか分からなくて、口はぴくりとも動かない。
ただ、さっき斬れてしまった心の端が、音もなく治っていく気がしする。
記憶もなくて、自分が何者なのかも分からなくて。
でも、そんな私にこんな嬉しい事を言ってくれる人がいるという事は、とても幸せなんじゃないかって。
そう思ったら、すごく泣きそうになってしまった。


さん、結果が出ました」


看護師さんが診察室から出てきて、そう告げる。
もう一度近藤さんの顔を見ると、大丈夫だ、と頷いてくれた。





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