紫さんは、最後にもう一度だけ笑うと
「このまま日本に帰ります」と告げた
私は、頷いて紫さんの顔を見た


「もうごめんなさいは言いません……ありがとうございました」


驚いた顔をした後すぐに、紫さんは笑った
きっと、五ェ門もこの笑顔が好きだったんだろう

木製の扉が閉まる
扉の向こう側で、ルパンの声だけが聞こえた
私は、重くなった頭を枕に押しつける
扉とは反対の方向に顔を向けて

疲れが抜け切っていないせいか、横になった途端また睡魔が波になって襲ってくる
心地よさに包まれた今、それを抗う事はしなかった





「……、……?」


どれくらい、寝ていたのか分からない
誰かの声が聞こえて瞬きを三回した

眠りに落ちた時と、同じ方向を向いたままで
カーテンの隙間から見える空は藍色だった


……?」


さらりと髪を撫ぜられる
その優しい指先を目で追うために、首を捻った


「……五ェ門」


立っていたのは、五ェ門だった

少しだけ目を窪ませて、片手にはやっぱり斬鉄剣を握っている
私の知っている、落ち込んだ時の五ェ門だ

私が目を覚ましていた事に驚いたのか、わずかに目を見開いていて
それでもようやく目を覚まして安心したのだろう
椅子に目配せをすると、それに腰かけた


「……拙者は、を傷つけてばかりだ」


寝たままの姿勢だから、私は五ェ門を見上げる形でその声を聞いていた

五ェ門は少しだけ顔を俯かせていて、髪を撫ぜていた指を私の頬に触れさせている


「紫殿も傷つけ……まだまだ修行が足らんようだ」


大きな手の平が、顔の片側を包んだ
ひんやりとしたその手の平が、寝起きで温まった頬を心地よく冷やす

タオルケットから、手を出して五ェ門の手の甲に触れた


「……勝手に出て行った事……怒ってる?」

「いや……それも拙者と紫殿を思っての事だろう?」

「……建前はそう。だけど……本当は自分のためだった」


紫さんと五ェ門が婚約者だって知って、苦しかった
私には仲睦まじく見えた二人を、見ていたくなくて
だけど、紫さんから五ェ門を奪う事も怖くて
結局は、逃げ出したんだ


「怖かったの……五ェ門が紫さんを選ぶんじゃないかって……。それに、後から出てきた私が、二人の邪魔だって思われるのも……」


自分の手が震えてる事なんて、とっくに気づいていた
五ェ門は斬鉄剣をベッドの脇に置くと、私の手の平にもう片方の手を置いた


「聞いて欲しい事がある」


そう言って、五ェ門は一度口を一文字に閉じる


「拙者はこの通りまだまだ未熟者だ。もしかしたら、をまた傷つけるかもしれん」

「うん……?」

「だがこの先、以上に愛せる女子は絶対にいない」

「五ェ門……?」

「拙者と、一緒になってくれぬか?」


言われたその言葉を理解するのに、ひどく時間を要した

頬を赤くした五ェ門がいて、その手の平はいつの間にか温かくて
私の脳よりも早く体が理解したみたいで、涙がこみ上げてきた


「ねえ……それって」

「拙者と、結婚して欲しい」


背中に差し込まれた手が、私を抱き起こす

優しく抱き締められた、その胸の中から
五ェ門の心臓がすごく早く動いている事を、教えられる


「……っ私で、本当に、いいの……?」

「ああ。拙者は、がいいのだ」

「本当は、私っ……嫉妬深いんだよ?」

「構わん」


駄目か? と耳元で聞かれて泣きながら、首を振る


「五ェ門の……お嫁さんになるっ……!」


彼の肩口に目を押しつけた
涙はこれでもかってくらいに、溢れて止まらない

たくさんの悲しい涙を流したけれど
今までたくさんの、悲しい色をした涙を流したけれど今は
今流している涙は、どんな涙に負けない嬉し涙

あの日、五ェ門に出会えたのはきっと
この日を迎えるためだったんだ、と
そう思ってもいいよね





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