メニューはすぐにやってきた
そこには英語で印字されている、様々な国の料理の名前が並んでいた
私は手軽そうな物を。五ェ門には、和食のメニューを口頭で伝えた

五ェ門はどこか不機嫌そうに「焼き魚の定食で構わん」と言った
その声に、鼻の奥が一瞬だけツンとする

電話越しに、今度はメニューを伝えると
メニューを持ってきてもらった時間と、ほぼ同じくらいの早さで料理が運ばれてきた

エントランスにある、いわばダイニングのような所に置かれた料理
気づけばまだ、花嫁衣裳と燕尾服
料理を乗せて来たカートを押すボーイの人に、服はないですか? と尋ねた
どうやら、あのクローゼットには備え付けの洋服まであるらしい

お礼を言って、服を取りに行く
どうやら五ェ門も着替えなくてはいけない事に気づいたようで
「袴は無いのか……」と独り言のようなセリフを言いながら、服を吟味していた


『美味しいね』

『ああ』


着替えを済ませて食事をする頃にはもう、空の色は黒くて
キラキラ輝き始めた街を見ながら、五ェ門にそう言った
だけど、やっぱり五ェ門の声は不機嫌なままで
あの瞬間、拒むべきではなかった、と後悔にも似た感情が湧きあがる

熱くなった目頭を隠すように、目の前の食事をかき込んだ
その行為に五ェ門がいささか驚いたようだったけど
構わず、お皿をテーブルの上に置くと「お風呂、入ってくる」とだけ言って
スタスタとお風呂場へと繋がる扉へと歩いて行った

そして、冒頭に戻る



広過ぎる、そして豪華過ぎるそこは落ち着かなくて
だけどせっかく用意してもらったここを、堪能しないで帰るのはもったいない
ドキドキしながら、泡で溢れている湯船に体を浸からせた


「……気持ちいい」


背伸びをしても、足を限界まで伸ばしても体のどこかが浴槽に触れる事はない
手で泡水を掬っては流す、と言う行為を繰り返す
次第に、今まで我慢してきた物が込み上げてきて、それは涙に形を変え頬を伝う


「っ……ど、して……こうなっちゃうのかなぁ」


きっと、ダイニングで今だ眉間に皺を寄せている五ェ門
そんな彼を思い出して、膝を抱える

好きで、好きで、どうしようもないくらい愛おしいのに
それでもやっぱり、初めてのそういう行為はとても怖くて
だからどうしてもまだ素直に受け入れる事ができない

繋がりたいとは、思う
だけど、頭でっかりな知識のお陰で、脳内に恐怖心が植えつけられている

昼間までは、死ぬ程幸せだった
なのに、今はこんなにも悲しい
こんな事で、仲違いなんかになりたくない


「……ふっ……ぅ」


治まる事を知らないように涙は、次々に溢れていく

次第に、頭の芯が硬くなるのを感じて
視界はぼやけ、そして体中から熱が放出される
次に瞼を閉じた瞬間、意識がフェードアウトした





「……!」

「う……ん、あれ?」


まだボーッとする頭が、五ェ門の声を受け入れる
その声は痛いくらいに響いて。私は目を細めた
瞼が痙攣して、少し落とされた照明の光が認識される


「大丈夫か?」

「あれ……私、お風呂入ってて……それで」

「あまりにも長いので、様子を見に行ったらのぼせていた」

「そっか……」


五ェ門はミネラルウォーターのペットボトルを持たせてくれた
それを受け取って、力なく蓋を捻り少しだけ体を起こして喉に下す
ふと目に入ったのは、バスローブを着せられた体
気づけば、五ェ門も同じようなデザインの物を着ている

当たり前だ。お風呂場から救出してくれたのは、他でもない五ェ門なんだから

まだきっと、不機嫌だと。そう思っていたのに
今の彼の表情は、私が目を覚ました事に対する安堵でいっぱいだ

その瞬間、止まっていた涙が再び流れ始める


「五ェ門……」

「一体どうしたのだ?」

「ご、めんね……五ェ門のこと、すごい好きだけど……愛してるけど、やっぱり……怖いの」


手の平は拳になり、その甲をそれぞれの瞼に乗せた
声はくぐもり、水分を得た体は徐々に冷えていく


「だけど……お願い……嫌いにならないで」


いっぱい、いっぱいで
嗚咽を堪えながら言う私の言葉は、ちゃんと五ェ門に届いたのだろうか

そっと、手首に五ェ門の大きな手の平が触れて
綺麗に外されたそこから見えたのは、申し訳なさそうな五ェ門で
彼は私の額に軽く口づけると、私の体を抱き起こして
優しく、腕の中で抱き締めてくれた


「すまない……拙者が、悪かった」

「ご、えもん?」

「焦っていたのかもしれない」


が、どこか行ってしまうのではないかと


震える声でそう教えてくれる五ェ門
もしかしたら彼もまた、私と同じように何かを怖がっていたのかもしれない


「窓の外を眺め、笑うお主が……まるで、あの日のようにいなくなってしまうのではと……」


もう、二度と離したくないのだ。と、言葉切なげに語る彼の声が
どうしようもないくらい、苦しくて。大声で泣きたくなるくらい、愛おしくて
今私が感じている全ての感情を、どうやったら五ェ門に伝えられるんだろう

ゆっくりと顔を上げて五ェ門を見る
彼は戸惑ったような表情で、私を見下ろしていた

その、唇に。軽く触れて
紡いだ言葉に、酷く狼狽していた


「……しよ?」

「しかし、お主が」

「大丈夫。確かに、まだ怖いけど……五ェ門となら……きっと平気だから」


恐怖を凌駕したのは、彼への愛情だった





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