目の前で雫を垂らすシャワーヘッドを眺めて、今が夢じゃない事を改めて感じた
体中が火照っている。なのに、足と手の指先だけがひんやりとしている
髪から落ちる水滴が煩わしい





結婚式を挙げた教会から、みんなで散り散りに逃げ出して
五ェ門に抱きかかえられていた私は、無論彼と一緒なだった
ある程度警察を撒いた時にかかってきた電話
相手はルパンだった


『無事逃げられたか?』

『うん、とりあえず。五ェ門に代わる?』

『そうしてくれっか?』


五ェ門の腕から降りると、携帯を渡す
ルパンだと言う事を告げると、彼はぶっきら棒な口調で話し始めて
途中から様子がおかしくなった
やけに口ごもったり、頬を赤くしたり、時々、私をちらりと見たり
そうこうしているうちに、通話が終了したようで私に携帯を返すと、自分の胸ポケットを探り
中から、カードと紙を出した


『なあに、それ?』

『……今日、拙者達が泊まるホテルの地図と、カードだ』

『ふーん』


最初は、どうして五ェ門が照れたり慌てたりしているのかが、よく分からなくて
ウエディングドレスを着たままの私は、周りの視線が気になって仕方なかった
不思議だったのは、アジトじゃなくてホテルを教えられた事ぐらいだった

ホテルまでは、道路でタクシーを拾った
運転手の人はどうやら英語の話せる人で、とびっきりの笑顔で
「二人は式から逃げ出して来たのかい?」と言われ
私も笑顔で、そんなところですよ、と返した


『このホテルまでお願いします』

『はいよ。おや、このホテルを選ぶなんて、なかなかリッチだねぇ』

『そうなんですか?』

『ああ。そうかそうか、二人が式を抜け出したのはそういう事か』


昼間からお盛んだね、と。何を言っているんだろうと思い、席のシートに背をつけた
「変な事言われちゃったね」と五ェ門を見上げると、彼は驚いた顔で私を見ていた


『……、ルパンが何故わざわざホテルを用意したのか、まだ分かっておらぬのか?』

『え? アジト代わりでしょ?』

『……拙者達は今日、何をした?』

『結婚式』

『結婚式の夜の事をなんと言うか知っているか?』

『えー……確か……』


その瞬間、ようやく私は全てを理解する

どうして、五ェ門があんな仕草をしたのかも
電話越しに聞こえたルパンの声が、やけに楽しそうだったのも
運転手がどうしてあんな事を言ったのかも


『……とりあえず……ホテル着いたら着替えよう』

『ああ』

『……景色綺麗だといいなぁ』


精一杯のごまかしで、五ェ門に笑顔を向けると
やけに気合の入った表情が目に入って、余計に顔が熱くなって
私は車の外の景色に目をやった



『さ、着いたよお二人さん』

終始無言になってから、数十分
都会のど真ん中、豪華な装飾のされた高いタワーホテルの前でタクシーは止まった
五ェ門が運転手にカードを渡して、支払いを済ます
二人で車から降りて、見送った

不意に、右手に温度を感じて
見れば五ェ門が手を握っていた
その手に従うように、彼の後について行く
花嫁衣裳と燕尾服は、どこに行っても目立つようで周りの人達みんなに注目されていた

ロビーの受付で、五ェ門がルパンがよく使う偽名を言っていた
受付の男の人は血相を変えて鍵を取りに行く
戻ってきた彼の手に握られていた鍵は、今まで見てきたホテルの鍵の中で群を抜いて大きかった

エレベーターに乗って、五ェ門の長い指が最上階のボタンを押した
ごぅん、と音がして。動き出したエレベーターは止まる事を知らない
後ろは窓ガラスになっていて、広くなる景色が映し出されていた
横には、ただ前を見ている五ェ門
改めて、まじまじと五ェ門を見る事なんてなかったな
そんな事を考えながら、あたしは彼の横顔を眺めていた

どれくらいの時間が経ったのか分からなかったけれど、ずいぶん長い間揺れていた気がして
気づくと、目の前の扉は開いていた

どうやら最上階は丸々一室になっているようで
眼前にあるのは、一軒家と見間違える程のエントランス
一瞬、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔になる


『ルパンも、すごい所予約するね』

『そうだな』


エレベーターを降りて、くるくると部屋の中を回る
顔を上げると、高い天井が見えて。そこには大きなシャンデリアがいくつも並んでいた
いくつもの扉。備え付けられている階段
その階段を上がると、誰もいないバーがあって
その場を後にして今度はいくつもある扉を次々と開けていった

バスルームに、ゲストルーム、ウォークインクローゼット
そのどれもが豪華絢爛の言葉に相応しい様式で
一体、どんな人がここに泊まるんだろうか
そんな事を考えながら、最後の扉を開いた


『……うわぁ』


扉の向こう側の壁一面が、外の景色を描いている
広い部屋の真ん中に大きなベッド
エントランスや、他の部屋と違い寝室はいたってシンプル

いつの間にか時間は経っていたようで
窓から入る夕陽がすごく眩しかった


『五ェ門、五ェ門! 景色すっごい綺麗だよ!』


後ろで、キョロキョロしていた五ェ門を手招きして
隣に並ぶ彼も、窓から見えた景色に感嘆の声を漏らしている


『ビルが多いから、イルミネーションも綺麗だろうね』


窓に近寄り、目下の様子を眺めながら呟いた

歩み寄られた気配を感じて、窓ガラス越しに後ろに視線をやる
肩の上から窓ガラスへと、五ェ門の腕が伸びて
うっすらとオレンジ色に写りこんだ、五ェ門の表情に
息が止まりそうだった


……』


それは、一度だけ
あの屋敷のトイレで聞いた事のある、熱を孕んだ声

短く切られたといっても、まだ長さの残る髪は結い上げられていて
ずっと風に触れていた首筋に、温かい感触を覚えた


『……っ五ェ門』

『……


彼の口が動く度に、温度も一緒に揺れて
必死に流されそうになるのを堪えて、口を開いた


『お、お腹空いた! 五ェ門も、お腹空かない?!』

『え、いや、拙者は』

『こういうホテルだったらきっと、和食も取り扱ってるよ!』


五ェ門の腕から抜けると、ベッドの横にある電話でフロントへとコールした
すぐに出た女の人の声は英語を喋る
食事のメニューが欲しい、と。焦ったような私の声が告げて
同時に、和食の有無も確認する


『よかったね五ェ門! 和食あるって!』


電話を置いてとびっきりの笑顔で振り向けば
眉間に皺を寄せた五ェ門が、タイを緩めながら椅子に腰掛けていた





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