会場から、そっと抜け出して、私は一人レストルームへと向った
たくさんの人、声、音。そして垣間見える欲望の渦
そんな中にいるのが、酷く嫌で嫌でしょうがなくって

トイレすら広いこの家は、本当に落ち着けない

十数個も並ぶ洗面台の一つで、私は鏡を見る
流水の音で少しだけ、うるさかった心臓も静かになって
冷たい水が手の平にぶつかり、浮き上がった感覚を取り戻させてくれた

きぃ、と木製の扉が開く音が耳に入って
確かここは、血縁者じゃないと使えないんじゃないかな、と思い出し振り向いた


「五ェ門……?」


そこにいたのは、紛れもなく五ェ門で
この数日間、無理矢理蓋をしていたものが、ぱかりと音を立てて外れた気がした
だけど、その蓋はまた簡単に閉じてしまう



「……

「ど、うしたの……? なんか様子、おかしいよ?」

「あの男とは、一体どういう関係だ?」



聞いた事のないくらい、低く冷たい声に
私はただ、喉を鳴らす事しか出来なくて


「黙っていては分からぬ。答えろ、

「……今回の計画で、彼を引き付けておくのが、私の役目だったの」

「どういう意味だ?」

「婚約者の役、だよ……」


そう告げた瞬間、空気にヒビが入ったのを、感じた
目の前にいるはずの五ェ門が、すごく遠くにいる感覚がして
パーティー会場に潜入する為に、タキシードを着こなした五ェ門が履いた革靴が
大理石の床を、小さく傷つけていく


「……は、拙者がいるのにも関わらず、その役を引き受けたのか?」

「五ェ門?」



腰と、頭に腕を回されて、封じ込められる
こんな風に五ェ門が怖い、そう思った事はなくて
今すぐここから逃げ出したい衝動に駆られた

だけど、きつく抱き締め上げられた腕から
逃げる術なんて、私は持っていない


「許さん」


その声を皮切りに、降って来たのはいつもしてくれた、優しいキスじゃなくて
呼吸すらも奪っていく程、何も考えられない我武者羅なキスで

痛くて、苦しくて、怖くて、悲しくて

もがけばもがくほど、五ェ門の腕と唇はきつくなるだけ
胸を叩いても、足をバタつかせてもビクともしない
五ェ門の息継ぎの為に一度離された唇。その瞬間に見えた目に、私は映っていなくて
それが余計に、悲しかった

ドレスのスリットから足へと、冷たい感覚が走った


「っや、やだ! やめてっ!!」


冷えた五ェ門の手の平が、静止の声を聞いてくれないまま
奥へと進もうとする

今までされた事のない、その行為に
私は恐怖ともう一つの感情を覚えて
ボロボロと流れる涙を拭う事もせずに、ただ必死に抵抗した

首筋に感じる小さな痛み
ジッパーの下る音
その全てが、私の全てを煽る




払い除けた手が、五ェ門の右頬に当たって
瞬間、五ェ門の手が止まり体が後ろへと下った

五ェ門がゆっくりと私を見る


「拙者、何を……」


呆然とする五ェ門に、今度は私の「何」かが壊れた


「どうして……どうして、こんな事、するの?」



「私は、仕事として今回の事を引き受けたんだよ……?! なのに……」

、拙者」

「言い訳なんて聞きたくない!!」



驚く彼を前にして、私の喉からは通ってはいけないものが通り始める
ダメだと、頭のどこかで分かっているのに
制御装置の壊れた心は、もう我慢出来なかった



「ねえ、五ェ門は今まで何人の人と一緒にいたの? 何人の人に好きだって言ったの?」

「それは」

「写真を取っておくって事は、その人達を忘れられないからじゃない!」

「違う!」

「違うはずないよ! 私は……っ……私にとっては、五ェ門一人だけなのに」



「五ェ門なんて大ッ嫌い!!」






そう叫んで私は、ただ立ち尽くす五ェ門の横を走って逃げ出した









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