私には四つ年の離れた兄がいた。仕事や生活のため、親元を離れて一緒に暮らしていた
穏やかで優しい、自慢の兄だった

子供が好きな兄は、休日よく公園に出向いた
保育士という仕事柄か、公園の子供たちはすぐに兄に懐くようになって
私も時々、一緒に遊びに行ったりもしていた


兄には、結婚を間近に控えていた恋人がいて
その日も新居に住むための準備をしていて、私もそれを手伝っていた


『兄さんと暮らすのもこれで最後なんだねぇ』

『お前は甘えただからな、しっかりしろよ』

『分かってます。……大丈夫だからね』


兄の荷物だけを段ボール箱に詰める作業は、物悲しくて
自分が思っていた以上に、兄に頼っていた事が分かりすぎるほど

そんな気分を払拭しようと、夕飯の買出しに行った
通い慣れた商店街に



夕焼けが眩しい道を、ひとりで歩く
ふと、間抜けな事に財布を忘れた事に気がついて踵を返す
本当に、兄がいないとなんにもできないんだな
そう思うと涙が滲んで、道路が歪んで見えた


『おーい、財布忘れたぞー』


顔を上げれば、財布を掲げて笑う兄がいた
慌てて涙を拭って、側に行こうと駆け出した時


『危ない!!!』


見た事のないような怖い顔をした兄が、こちらに向かってきて
横からは轟音が近づいてきていた
そちらに向けば、目の前にはトラックが迫っていて
ああ、最後まで兄に迷惑をかけてしまったなぁ、とやけに落ち着いた心境だったのを、今でも覚えている


でも、いつまで経っても痛みは襲ってこない
ぱちりと瞼を開ければ、見えたのは道路の舗装
軋む体を持ち上げて、振り返った私の視界に入ったのは



『大丈夫、か?』



急停止したであろうトラックの前で、横たわる兄だった


『兄さんっ!!』


駆け寄り、その頭を抱きかかえれば苦痛に兄の顔が歪む
口の端からは赤い筋が流れて、私の体もじわじわと赤く染まっていく


『本当に、お前は、そそっかしい、なぁ』


笑って私を見上げる顔は、恐ろしい程白くて
まるで氷の塊を抱いているような錯覚を起こすほど、その体は冷たかった
近づいてくるサイレンの音に、早く早くと祈る
それでも兄は確実に、あちら側へと向かっていて


『俺がいなくても、お前、大丈夫、か?』

『大丈夫だから……! もうすぐ、救急車も来るよ……!』


濁った瞳は私を見ていなかった
頭を支える私の手に、兄の左手が重なる


『しっかり、生きろよ、な』


最後まで、兄の笑顔は優しかった









「お葬式で、兄の婚約者も、両親も……誰も私を責めなかった」


誰がどう見たって、悪いのは私なのに
母は「お前だけでも生きていてよかった」と泣き、父は呆然とする私を抱きしめていた

婚約者の彼女は、結婚式で読む筈の手紙をくれた
「いつもあなたのことを楽しそうに話すから、少し嫉妬してたの」と
兄がよく褒めていた笑顔で、そう言っていた



「家に帰って、荷造り途中の荷物を見たら……」



どうしようもないくらいの後悔の念と、懺悔の気持ちが湧き上がってきて
吐きそうになるくらい、その感情に支配された
兄と公園で撮った写真を見て、私のせいで、と
責めても責めても、涙が止まらなかった

どうして誰も私を責めないの?
どうして兄さんは、ここにいないの?

見えるもの全てに、兄の面影が残っていて
目を閉じて、願った



この世界が、見えなくなればいいのに


―なら、私が見えなくしてあげる


刹那、涙でぼやけていた視界がさらに歪んで、徐々に徐々に世界は光だけになった

―ほら、もうこれでなあんにも見えないよ


その声が、その時の私にはまるで
兄の声にも聞こえた










目隠しされた世界の始まり










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