トリコに呼ばれて彼の家に行くのは、別に特別な事じゃない
サーカスの拠点を決めてからは、よく招待されていたし
大抵は珍しい食材を見つけて、その調理をさせるために
一度パートナーなんだから小松くんに頼んだらどうか言ったところ
「あいつも仕事あるだろ」と言われてしまった
一応私も、サーカスの仕事があるんだけど
昔の馴染みだから、呼びやすいんだろうか

人里離れた所に建つ、持ち主を連想させないファンシーな家
まだ建てられたばかりなのか、食べられている形跡はない
近づき、インターフォン代わりのベルを鳴らす
ドタドタと大きな足音がして、扉からひょっこり現れる大男

「おお、やっと来たな!」

「そんなに待たせたかな」

腕を引っ張られて中へと入る
甘い匂いが充満している、スイーツハウス

「それで、今日はどうしたの?」

荷物をチョコレートのテーブルに置いて、振り返り用件を聞く
さっきまで太陽みたいに笑っていたトリコが、神妙な顔つきになる

「あのな、

「うん」

「オレ、お前のことが食いてえ」

肩に両手を置かれて、言われた言葉を繰り返し頭の中で咀嚼した
そして口から出た言葉は「は?」の一言だった

「だからな」

「いやもう言わなくていい」

「分かってくれたか!」

「ううん分かりたくない」

確かに私は食べられる。そういう体質だ
それを告白した時、トリコは笑って気にすんなと言ってくれた
しかしどうだ、さすが四天王一の食いしん坊だ
まさか昔馴染みの私まで食べたいとは

いくら三大欲求の中でずば抜けて食欲がある男だと言っても
もう少し配慮とかしてくれると思っていた
いや、子どもの頃ならば確かに言ったかもしれない
けどもうトリコだって立派な大人だ。分別くらいつくと思ってたのに
あ、やばい、涙出そう

「私のこと、ずっとそんな目で見てたの?」

「そんな改まって聞かれると照れるな……」

心なしか頬が赤くなっている
なんでこの男は、食欲を告白して照れているんだ
自分でも分かる程げんなりした表情をしている

果たして、トリコの食欲を私の体だけで満たせるのだろうか
いやそもそもまだ死にたくない
もちろん、腕だけ差し上げる訳にもいかない。痛いのは嫌いだ
せめて出汁だけとかで、我慢してくれないだろうか

うーん、うーんと唸っているとトリコが心配そうに顔を覗き込んでくる

「どうした?」

「どうしたも何も、どうやったら私のこと諦めてくれるかなって」

「なっ、はオレのこと嫌いなのか?!」

「嫌いとかそういう問題じゃないよ。死活問題なんだよ」

大層ショックを受けたような顔のトリコ
そんなに私を食べたかったのか

逃げる事も考えたけど、両肩を掴まれてる状態で逃げ出すのは難しい
少しでも力を籠めればすぐに捕獲されそう

「確かに私は美味しいかもしれないけど、ちょっとさすがにトリコでも食べさせる訳には……」

「は?」

「体のどこかをあげるのもさ、痛いじゃん?」

「お前何言ってんだ?」

「だから、私のこと食べたいんでしょ?」

首を傾げれば、呆れたような顔をしてトリコが溜息を吐く
それから口を尖らせて、不満そうな顔をして言う

「お前はオレのことをそこまでデリカシーのない奴だと思ってたのか?」

「デリカシーがないっていうか、本当に食いしん坊なんだな、とは思ったけど」

、お前勘違いしてるぞ」

「え?」

おほん、と咳払いをひとつして
トリコはまっすぐと私の瞳を見据える

「オレは、お前が好きだ」

「うん、私も好きだよ」

「いやちげぇ、そういう意味じゃねえんだ」

「どういう意味?」

「……だから、お前を食いたいっていうのも、その、だからな……」

言葉が尻すぼみになっていく
顔を真っ赤にしたトリコは、今まで見た事のないような表情だ
途端、肩に置かれていた手に力が入る
「ちょ、なに」と言いかけたところで、言葉が続けられなかった

眼前には瞼を下しているトリコの顔
顔と言っても、上半分くらいしか見えない
唇には柔らかい感触。唇?

ゆっくりと離れていくトリコの顔を、目で追っていた
それから頭がされた事を理解すると
ボンッと音がして、顔に熱が集まるのを感じた

、お前顔真っ赤」

「なっなっなっ……何して……!」

「いやー……キス?」

語尾にハテナをつけた意味を知りたい
今のがキス以外のなんだと言うんだろうか
なんでトリコが私にキスをするんだ?
頭の中でぐるぐると思考が回り出す

食べたい。好き。そういう意味じゃない

食べたいの意味も、好きがどういう意味かも分かってしまった
顔の熱は引くどころかますます熱くなる
トリコは昔によく見た、悪戯を成功させた時のような表情をしている

「ようやく分かったか」

「あんな回りくどい言い方、分かる訳ないでしょ……!」

「ははっ、悪ぃな!」

悪びれる様子もなく、今度は私を横抱きにして持ち上げる
急な浮遊感に思わず太い首に腕を回してしまう
近くなる距離。トリコの目に私が映る

「で、返事は?」

「……言わなくちゃダメ?」

昔から知っていて、兄妹みたいに育った仲なのに
そう言えばいつでも心のどこかには、この笑顔があったっけ
自分から消えたのに、いつかまた会える事を望んでいたような気がする
それがどういう気持ちなのか、まだよく分からないけど
キスされた時、正直に言えばもう一度と思ってしまった

「まー今はそうじゃなくても、絶対オレに惚れさせるけどな」

自信満々に答えるトリコ
その横顔は、私の知っている小さなトリコじゃない
立派な、男の顔だ
もしかしたらもう、手中に納まっているのかもしれない