その場に押し留めて置きたい、そんな焦燥感を胸に抱いて
真撰組で唯一の女隊士であるは、目の前の男をもう一度見た。

さらさらの黒い長髪が揺れる度、男は自分の瞳を見る。
まるで、何かを探るように。また、逃げる機会を伺うように。
当たり前か、と小さくは聞こえないように呟いた。


「まさか真撰組に女の隊士がいたとはな」

「女だからって、甘く見ないで下さいね」


いつも、そうだ。

どんな強面のテロリストでも、凶悪犯でも、自分が目の前に立つと、さも馬鹿にした顔でそう言う。
女に負ける筈が無い、そう無言で彼女に言うのだ。
その度に、彼女が稽古にどれだけ力を入れるかも知らずに。

女、だからと言って弱音を吐いた事もなければ、稽古を休んだ事もないし、逃げた事もない。
いつだって、先頭を切って御上に貢献してきた。
それが、自分の生きる道だと彼女は知っていたから。

だから、目の前にいるこの男、桂小太郎もまた、自分を馬鹿にするテロリストなのだと。
彼女は、半ば冷め切った目と、握った手の平を前にして、そう思考を巡らせた。
距離にして約3メートル。裏路地だから、横は民家の壁。
逃げられる場所は、自分の後ろだけ。


「女相手に刀を振るうつもりはない」

「そうやって、馬鹿にしてると痛い目見ますよ」


桂はそう言う彼女に、少し困ったような目を向けた。
彼もまた、彼女の行為に思考を巡らせている。

いくら国を救うためと言っても、女相手に力を出すのは、人としいかがなものか。
それがたとえ人道として正解だったとしても、自分の信念が許さない。
しかし、国を救うためには、目の前の彼女を退かすしかない。
道は、一つ。


「馬鹿になどしておらん」

「なら、なんで闘おうとしないんですか」

「それが俺の信念だからだ」

「……指名手配されているのに、余裕ですね。そうこうしているうちに、応援も来ますよ?」


一瞬だけ彼女の瞳が揺れたのを、桂は見逃さなかった。
懐から取り出した、煙幕。
それを地面に投げつけ、怯んだ彼女の横をすり抜ける。


「女、男は関係ない。一人の人間として、自分の生き方を貫き通すお前も、立派な武士だ」


擦れ違い際に桂は、煙幕でむせ返る彼女の耳に、そう言い残して颯爽と町の中に消えていった。
彼女がその言葉を理解して、はっと我に返った時、桂はもうどこにも見えなかった。

おかしな人。はパトカーのサイレンの音の中、そう頭に浮かべた。



「すいませんでした」


局長室で、はその部屋の主である近藤に頭を下げていた。
近藤は「いやいや頭なんて下げるなよ! 第一あの桂を一人で捕まえようって方が難しいからさ!」と
陽気に、そして豪快に笑いながらに言う。


「でも、せっかくの機会をみすみす逃してしまったのは、自分の力不足ですし……」

「いいんだよ、そんなに無理しなくて」

「無理なんて……!」

「皆知ってるんだぞ? がここ最近、睡眠時間削ってまで稽古の時間に費やしてるの」

「それは……」

「頑張るのも、努力するのもいい事だ。けど、無理して体壊したら、元も子もないだろ?」


近藤の言葉に、はしゅんと、まるで怒られた子犬のように顔を俯かせた。
そんな彼女に近づいて、近藤は頭を撫でてやる。


「とりあえず、今日はもう上がっていいから。ゆっくり休め」

「……はい、ありがとうございます」


もう一度お辞儀をするとは、そっと襖を開けて局長室を後にした。
が歩き始めてすぐに、今度は入れ替わりで土方が中に入る。


「トシ、どうかしたか?」

「アイツ、今日桂と接触したんだってな」

「おう、捕まえられなくてすみませんって、わざわざ謝りに来たよ」

「……様子、おかしくなかったか?」

「……お前も気がついたか?」


土方と近藤は、閉められた襖に目をやると、そっと口を閉じた。



自室に戻り、部屋着に着替えたは庭に出た。
夕方の陽射が、木々を照らして幻影的な景色を作り出す。
ここは、唯一落ち着ける場所だ。そんな事を考えながら、は屯所の門まで歩き始めた。


「女、男は関係ない。一人の人間として、自分の生き方を貫き通すお前も、立派な武士だ」


擦れ違った時、呟かれた言葉が頭の中でリフレインする。
はそれを、桂の面影を振り払うように頭を振って、また歩き出す。
散歩にでも行って、頭を冷やそう。ここにいたらきっと、稽古をしてしまうから。
そう自分に言い聞かせて、屯所の門を潜る。

カラスが鳴く。子どもの声が遠くに響く。
食器と湯が沸く音。風に乗って花と食卓の匂いがした。

初めてだった。自分をちゃんと武士として認めてくれた人は。
今までの奴らは皆、彼女を見て馬鹿にした。
真撰組のみんなだって、どこか彼女だけ、特別扱いで。
それは、大切にしてくれている証拠だけれども、どこかやっぱり寂しくて。

けれど、桂は。

は自分の考えている事に、違和感を覚えて頭を上げた。
自分は真撰組で、桂とは敵対する関係なのに。
どうして、彼に感謝などするのだろう。否、この気持ちは感謝と呼んでいいのだろうか。
そんな自問自答が、の中で木霊する。


「お前は……」


不意に後ろで声がして、振り向けばいたのは思考の真ん中にいた彼だった。
慌てて、何に対して慌てたのかも分からずには、咄嗟に「桂……!」とだけ言って、腰に手をかけた。
しかし、そこにあるはずの刀は今、屯所の自室。
自分は現在、丸腰なのを思い出しほんの少し、血の気が引くのを彼女は感じた。


「何をしているんですか?」

「散歩だ」


間をおかず、すっとんきょな答えが返ってきたのには面を喰らう。
このご時勢に、しかも追われている身でありながら、散歩だと、桂はいけしゃあしゃあと言い切ったのだ。
しかも、真撰組である自分の目の前で。


「散歩とはずいぶん余裕なんですね」


刀がなくても、隙を突いた体術で、どうにかなるかもしれない。
そう思った彼女はそっと、桂に近づきながら囁いた。
桂は彼女を一度だけ見ると、ふ、と笑いながら、夕陽を眺め出した。


「お前は、いつも肩に力が入っているな」

「は?」

「先刻もそうだが、今は見るところ勤務外だろう?」

「そうですけど……」

「なのに、お前の肩は強張っている」

「破壊衝動に駆られてるテロリストには、言われたくないです」


は、図星をつかれた事にいささか憤慨しながらも、精一杯の皮肉でそれを返した。
桂はそんな彼女を見て、ただ苦笑いをするだけ。


「だからこそ、お前の言う破壊衝動を抑えるためにこうして、和やかな風景を見て心を落ち着かせるのだろう?」


言うと桂はその場にしゃがみ込み、一輪の花を手折る。
それを、側にまで来ていたの髪に差し込んだ。


「やはりお前は花がよく似合う」

「……ありがとう、ございます」


すんなりと、喉を通って出てきた言葉に、桂も、そして自身も驚いていた。
どうして、真撰組である自分が、テロリストである桂にお礼を。
そんな小さな罪悪感には駆られていた。


「……そろそろ寒くなってきたな。俺はもう帰路に着くが、お前はどうする?」

「私は……」


もう少し、傍にいたい、そう思ってしまった。
いけない事なのに、どうしてだろう。
そう思ってしまう事すらいけないのに、なぜ、どうして。
そんな、永遠の闇のような質問が繰り返されるの頭に、水が放り投げられる。


「風邪をひいたら困るだろう。お前も屯所に帰る方がいいな」

「あ、はい、そうですね……」


助け舟を出されたは、なんら抵抗もなくその舟に乗り込んだ。
桂はもう一度、の髪の花に触れると「また会おう」とだけ残して、その背中をに見せた。

相変わらず、おかしな人だ。
真撰組の自分に、どうしてまた会おうだなんて。
けれど、嫌じゃなかった。むしろ。

そこで、は考える事をやめた。
否、止めなければ留まるところを失いそうだったから。





「なんだ、今日のは元気がないな!」


それから数日後、穏やかな市中をは近藤と、近藤が運転するパトカーで徘徊していた。
助手席に乗る彼女は、あれからどこか落ち着かなく、いつも虚ろな目で。
外を、庭を、空を。
ずっと眺め続けていた。


「あ、すいません……」

「いやいや、謝んなくていいって!」


笑う近藤を、苦笑いで見る
まだ、拭いきれていない罪悪感が、その瞳を濁していた。


「……近藤さん」

「ん? なんだ?」

「もし……もしも、私が……」


横目で自分を見る近藤に、そこで言葉が詰まった。
は、まだ、迷ったような表情で、ただ何かを言いた気にしているだけ。
その時だった。


「市中廻りをしている隊士全員に告ぐ! 四番通りの居酒屋の前で、桂と思われるテロリストを発見! 至急現場に向え!」


それは、無線から流れる土方の声。
桂、と言う言葉に反応を示したのは他でもない、だった。
もちろん、隣の近藤がそれを見逃すはずもなく。


「よし行くぞ!」

「え、でも……四番通りだったら今、沖田隊長が……」

「聞こえなかったのか? トシは全員って言ってたぞ?」


その優しい命令に、は逆らえなかった。


「相変わらず、俺一人に何人費やすつもりだ?」

「そう言うお前こそ、大人しくお縄になればいいんでさァ」


が到着した頃、桂と沖田はそんなやり取りをしていた。
周りにはざっと二十人近くの隊士。どれも見知った顔だ。
は、その隊士の真ん中、あまり桂の目に入らない所にそっと、身を置いて
その一部始終を見届けようとした。

一目見ただけで、心狂わされる。
彼の言葉がまだ、未だに彼女の体を侵食し続ける。
長年蓄積されたその痛み、不安。
それが、暴れ出す。

の隣には、彼女を心配そうに見る近藤がいた。

見つからない。見つからなければ大丈夫。
そう自分に言っては、どうしても、顔をあげて桂の方を見てしまう。
彼女の目に広がる風景には、あの日、夕陽の場所に立つ桂がいた。


「もっと前に出て、ちゃんと向こうを見るんだ」


不意に、近藤がそうに声をかけた。
ガバッと、顔をあげたの額には薄っすらと汗が滲んでいて。
「なんて顔してんだよ」と近藤は、その汗を拭いながら笑った。


「誰も、がどんな道を行こうと、怒ったりしないよ」

「近、藤さん……?」

「そりゃ、桂はテロリストだ。俺達の敵。でもな、お前が心底惹かれる奴なら、少なくとも俺は何も言わないよ」


気づかれてたんですね、そう、が申し訳なさそうに言えば
どれだけ長くいたと思ってるんだ? と近藤が笑う。


「ありがとうございます。本当に、本当にお世話になりました。みんなにも、そう」

「伝えておくさ。だから、気にせず走れ」


ポン、と背中を押され、は走り出す。
隊士達がどよめく間を、一人桂に向って走る彼女を近藤は
ある種清々しい表情で見つめていた。



「桂!」

「お前……どうした? 汗だくじゃないか!」

「私を……連れて行ってください!」


桂がえ、と固まる。
はようやく胸のつっかえが取れたのか、晴れやかな笑顔でもう一度言う。


「私を、桂さんと同じ世界に……あなたの隣に連れて行ってください!」

「しかし……お前は真撰組として」

「でも、それ以上に大切にしたいもの、見つけたんです」


桂の目の端に、沖田が笑いながらバズーカを構えるのが見えた。
彼は慌ててに近づく。
そして、彼女を抱き上げると、走り出しながら言う。


「まさか、手に入るとは思ってもいなかった!」

「そうですか?」

「お前ほど、一本筋を通した女子は、初めて見たからな」


光栄ですね、そう彼女は言うともう一度だけ近藤達の方を向いた。





連れ去られた彼女は幸せそうに微笑んだ





手を振って、また会いましょう! そう同じように笑う近藤達に叫んで。


Title by インスタントカフェ