「必ずお前の元に帰ってくる。だからその時は――」


毎夜、夢に出てきてはその後の言葉を言わずに消えてしまう。
遠い場所にいる、大切な人。
私を一人、安全な所に残し、彼は今でも国を救おうとしているのだろうか。

布団を退け、乱れた寝間着を直し立ち上がる。
木の隙間を縫うように、朝日が部屋の中に入り込んでいて。


「いい天気だね、小太郎」


隣にいない、江戸にいるであろう愛しい恋人の名前を呼んだ。



「俺は江戸に行く。この腐ってしまった国をもう一度、立て直す」


出発の前日、彼はそう言って旅支度を勝手に始めた。
訳の分からない私は一人、ただ呆然と動く彼を見ていたような気がする。

何の相談なしに、勝手に決めて、勝手に同志を集めて。
そして勝手に出て行こうとする、恋人。
その頬を思いっきり引っ叩いた。


「……っなんで! 勝手に決めてんのよ!」

「お前に言えば、意地でもついて来るだろう」

「当たり前じゃない!」

「それが嫌で、俺は今まで言わないでいたんだ」


その一言で、頭に体中の血液全部が集まってきて、近所なんて構わず怒声を響かせた。


「そんなに私が嫌ならさっさと出て行けばいいじゃない! もう二度と顔見せないで! 私の所に帰ってこないで!」


彼は何も言わずに、まとめた荷物を隅にやってそのまま布団に潜り込む。
いつもと変らない動作で、そのまま眠りに就いた。
私はただ、何も言わずに出て行ってしまう彼の背中を、一晩中見つめたまま夜を過ごした。

気づけば今と同じような、いい天気を連想させる朝日が、窓の外に覗いていて。
布団の中はもぬけの殻だった。

帰ってくるなと怒鳴ったくせに、いざ消えれば不安で死にそうで。
裸足で外に飛び出した。
暗がりにいた私の瞳は、急な光に眩んで、フラついた体を支える大きくて温かい手の平。


「相変わらず、はそそっかしいな」


傘をあげて、顔を見せて微笑む彼はいつもの小太郎で。
でも、もう行ってしまう。
背中の大きな荷物がそれを示しているから。


「……どうしても、行くの?」

「ああ」

「……連れて行ってくれないの?」

「……ああ」


そんな風に困った笑顔にならないで。


「……必ず、帰ってきてくれる?」


涙が零れて、本当は言ってあげたかった言葉がやっと喉を通った。
意地っ張りな自分が、素直に行ってしまう事を認められなくて。
それでも本当は笑って見送ってあげたかった。

彼が強い事を知っているから。
私を置いて、死んでしまうなんて事、しないって信じているから。

それでも絶対なんて事、今の世の中に存在しない。


「本当は、ちゃんといってらっしゃいって言いたかった……でも、でも……やっぱり不安だよ……っ」


そう泣きじゃくる私の背中を、優しく行き来する彼の手の平が温かくて。
ずっとずっと、隣にいて欲しい。
もう一つの言いたい事を、飲み込んで。


「いって……らっしゃい」


そう言うと、彼はゆっくり笑って私に背を向けた。
砂利を蹴る音、金属同士がぶつかり合う音、風の音。
次、いつ会えるか分からないその姿を、一生懸命瞳に焼きつかせようとする。
それでも溢れてくる涙には勝てずに、彼はどんどん濁っていく。
不意に立ち止まり、耳を澄ませば声が聞こえてきた。


「必ずお前の元に帰ってくる。だからその時は――」


(もう二度と、の傍から離れないと誓う)


風にかき消された言葉。
聞こえなくて、もう一度聞きたくて声を上げたけれど。
歩み出したあの人には届かなくて。


「結局……あの時小太郎は、なんて言ったの……?」


もう一度、あの時聞こえなかった言葉を口にする。
隣には誰もいない。

ただ、信じて待つだけ。
きっと、笑いながらたくさんの仲間と彼が帰ってくる事を。
「ただいま」と言って、優しく抱きしめてくれると。





会いたい時に、君はいない