局長に好きな人がいる事なんで、ずっと前から知っていた。
だってそれを知ったところで彼を止める事も、咎める事も許されなかったし
第一、彼が私の気持ちを知らない以上、何かをする権利はなかった。
だから、ほぼ毎日と言っていい程、あの人に会いに行く局長の背中を涙堪えて見送る事しかできなくて
そんな自分がますます嫌いになっていく毎日。

それなのにあの人は、何も知らないまま笑いかける。
じくじく痛み始めた傷はもう、治る見込みはない。


「お、今日の見廻りはと一緒か!」


朝食を食べ終えて、今日の見廻り表を眺めていたら
後ろからぬ、と手がのびてきて。目に入った瞬間、この場所で一番ゴツイ手
それから聞き慣れた野太い声で、誰かなんて一瞬で分かった。

きっと背中から十数センチ離れた所に、局長の胸板がある。
身長差からして頭のちょっと上に、彼の顔。

何気ないその一つの動作、仕草で心臓がこれでもかってくらい動く事を、彼は知らない。


「っ……おはようございます、局長」

「ん、おはよう!」

「今日のルートは、歩きでも平気そうですね」

「ああ、そうだな」


声が濁った事に局長は気づかなかった。
「じゃあ時間になったら屯所の前で待ってるからな!」と自室に戻っていく彼の背中。
誰にも知られていない恋心を隠す事で、毎日必死になっては時々来る、こんな非常事態に対応する。

たまに、思う。

局長を好きじゃなかったら。
局長があの人を好きじゃなかったら。
あの人が局長を好きになってくれて、さっさとくっついてくれて、それから二度と私の前に現れなければ。
Ifは、結局もしもでしかない。
たまに思う選択肢の中ですらもし局長が私を好きだったらがないのは
それを考えただけで、泣きたくなるくらい今の現状に対する希望が見当たらないから。

ふるふると頭を振って、自室に置きっ放しにしてある刀を思い出す。
その場から自室までの往復距離を考えて歩き出した。



屯所の前に行けば、局長の背中が見えた。
五分前に来たのに、きっと彼は十分前にはもうあの場所にいたのだろう。
だって彼はそういう人だから。


「お待たせしました、局長」

「ああ、ってまだ五分前じゃんか。全然待ってないって!」


まるで、ドラマの中や物語の中で恋人同士が交わすようなセリフ。
これが私も彼も私服で、屯所の前じゃなかったら。なんて考えてしまう辺り、頭も末期だろう。


「よっし、じゃあ行くか!」

「はい」


今日の見廻りは朝から夕方までのもの。
途中、お昼を挟んで歩きながら近辺の見廻り兼視察。
いつも通りの内容。だけれども、隣に歩く人が局長ていう事だけで、どうしてこんなにも今から歩く道が、キラキラして見えるんだろう。
答えはずっと前から持っている。それをさらけ出せないのは、私が弱いから。

それから、二人で歩きながらの見廻り。
テロが多発しているって言っても、こんな昼間から多発する筈もなく
たくさんのお店が活発に、お客さんを取り込んでいく。

この風景が大好きで、この風景をずっと守っていたくて
それで、この人の隣にいる事を、傍にいる事を所望した。


「最近、真撰組の印象もよくなったみたいですね」

「んん? そうかなぁ」


そうですよ、とさっき通った和菓子屋での光景に思いを馳せる。
和菓子屋のおばさんが、いつも頑張ってくれてるお礼に、と私と局長に一本ずつお団子をくれた。
前までは、少し冷たかった町の人達の視線も、そんなに感じなくなってきたし。


「それもこれも、みんな局長が頑張ってくれてるからですね」

「俺だけじゃないさ。みんなが一生懸命頑張ってくれて、それが他の人にも伝わったって事だよ」


もちろんもな! と頭を撫でられる。
それは決して優しいだけのものじゃない、ガサツなものだけど
涙腺を刺激するには充分過ぎるんだ。


「……私は、局長が……守りたいと思う人がいるから頑張れるんですよ」


数歩先を歩いて、昼食のお店を探す局長にそっと、聞こえないように呟いた。



お昼を食べながら、他愛のない話をした。
トシが一緒だとあんまり昼飯の箸も進まないんだよー、と嘆く局長に
あのマヨネーズの消費量見たら、食欲なくなりますもんね、と返す。

それからまた町を歩き出した。
季節柄、陽気な陽射を浴びる食後はひどく眠気を誘われて。
でも、隣にいるのが局長だから、と背のびをしたら
隣にいる局長の方が眠気にやられていたり。

なんて事ない日常。どうって事ない平凡。
それが私にとっての、宝物。
彼が隣にいるだけで、人生最高の日になる。

楽しい、と心の底から思える時間は、文字にしての通りあっと言う間に過ぎて行き
空の端がオレンジと藍色に混じって染まっていく。
早い所でもう、夕飯の香りがしていた。


「そろそろ帰る時間ですね」

「おお、そうだな、ってあれ?」


間抜けな声に、顔を上げて彼を見れば、その顔はとても嬉しそうに彩られる。
今日一日一緒にいて、一度も見れなかったくらい。

前方に目を凝らせば、綺麗な着物を着た女の人。
嫌な予感が背中を走る。


「奇遇ですねー!! お妙さああァァァん!!」


まるでもう私なんていないみたいに走り出すから。

風が吹いて、気づけばいつも見送る彼の背中。
さっきまで隣にいてくれた愛しい人は、今度は自分が愛しい人の元へと走っていく。

途端苦しくなるのは、心臓の真ん中。
ぎゅっと容赦なく掴まれるそれは、息をも止めさせる。

耳の端っこで、局長の声が聞こえる。
轟音と、涙で滲み始めた影が揺れて。

もう見ていたくなくて、見ていられなくて、走り出した。
風を切って、息を呑み込んで。
途中で視界に、ぼやけた黒い隊服と綺麗な着物。
?」って声を、頭の中で掻き消した。
きっと彼は追いかけて来ない。
ううん、追いかけて来て欲しくない。



体力の限界まで走れば、そこは屯所近くの土手だった。
カラスの鳴く声がしんとしたここに、響き渡る。
肩で呼吸を調節して、垂れたままの涙に手をあてた。
あんなほんの一瞬で人はここまで泣けるものかと感心する程、そこは濡れそぼっていた。


!!」


ビクリと肩を震わせた。
どうして、ここにいるの? と聞けない質問が頭を過ぎる。


「どうした急に走り出して……にしても、、お前足速かったんだな」


速くない。
ただ、あの場から早く立ち去りたかっただけ。その一心だった。

見なくても分かる。
局長はきっと今、汗だくで。膝に手を手をついて、乱れた呼吸を整えようとしている。

それから、それから、それと
すぐ後ろにいる事も、見なくても分かる。


「どうしたんだ? 何か言ってくれないと分かんないぞ」

「……っ」


言える筈がない。
かと言って振り向けるわけでもない。
だから頭を横に何度も何度も、振っては何もないと無言の返答をした。


?」


刹那、腕を引かれる。
見えると思った瞬間にはもう、私の泣き顔は局長の目に映っていて。
私の目にはオレンジ色に輝く、驚いた顔をした局長が映っていた。


「……泣いてるのか?」

「……っう」


見せたくなくて、顔を背けた。
それでも、身長差のせいか完全には背けられなくて。
横を向いた視界には、まだ驚いたままの局長が見える。

何か言い訳を、と考えれば考える程掴まれた手首から感じる温もりに
近い体温に、全てに涙腺が痺れていく。

もうダメだと思った瞬間に局長の方を向いて、口を開いた。

だってもう誤魔化せないよ。
自分の気持ちに嘘を吐く事を、隠す事を
もうしたくないんだよ。


「局長がっ……お妙さんと……っいるところを見たく、なかったんですっ」

「え……」

「局長が好きなんです……っ!」


涙が溢れていく、涙腺が破壊された私の目は、滲みすぎて景色を認識する事が難しい。
きっと今の私の顔は、酷い。
涙でたくさん濡れて、ぐしゃぐしゃの顔。

ねえ、今あなたはどんな顔をしてる?


「俺は……俺、……」

「……ぅ……局、長」


困らせるつもりなんてなかった。
でも、我慢できなかった私のせいで結局、局長を困らせてる。


「ごめんっ……」


それは何に対しての「ごめん」なんだろうか。

私の気持ちに応えられないからなのか。
それとも、今私を抱き締めているからなのか。

何も分からない、分かりたくない。
だから、今だけはどうか何も考えないで、抱き締めて欲しい。

局長の肩越しギリギリから見えた夕陽を、忘れられないだろう。