私の大好物、それは彼が作ってくれるオムライス。
ふわふわの半熟卵に包まれた、少し濃いめのチキンライス。
いたって真面目に、ケチャップでハートを書いてくれる。
それを食べるだけで、天にも昇るような気持ちになれて。
だけど最近、それを食べていない。多い時では週に三回は食べていたのに。

原因は、この足元にある忌々しい目盛の数字だ。
簡単に言えば、彼と付き合うようになってから、確実に体重が増えた。
それも、結構な数字で。
顔はほんのり丸くなり、二の腕はたぷたぷ、お腹はぽっこりだ。


「決めた」

「ん? 何を?」

「私、ダイエットする」


近藤さんの自室で、彼の腕枕で横になっている時に、私は決意した。
彼は少し驚いたようで、目を丸くしている。


「急にどうしたんだ?」

「だって……近藤さんは鍛えて引き締まった体してるでしょ?」

「まあ日課の鍛練とかもあるし、自然とそうなるなァ」

「私なんて女中の仕事はきついけど、痩せる程でもないし……それに……」

「それに?」

「太った彼女なんて、嫌でしょ?」


布団で顔を隠して、そっと聞いてみる。
なんの返答もないので、不思議に思って顔を出すと、嬉しそうに笑っている近藤さんがそこにはいた。


「な、なんで嬉しそうな顔してるの?!」

「だって、それって俺のために綺麗になろうって思ってくれてるんだろ?」

「う……! そ、そんなんじゃない!」

「いやいや、俺ァ分かってるよ、。でもな」

「でも?」

「俺は、そのまんまのお前が愛おしいよ」


ぎゅっと、窒息しそうな程、きつく抱き締められた。
逞しい胸板に挟まれて、息ができない。


「そ、それじゃあ近藤さんがよくても、私は嫌なの!」

「嫌って?」

「だってさ、町とか歩いててきゃーあの人逞しい! でも隣の女はデブで釣り合わないわね、なんて言われたくないの!」

「そんな事ないさ」

「ある! だから、ダイエットするの!」


メラメラと燃える私の目に気圧されたのか、近藤さんは苦笑いだ。
ぐっと握り拳を作った私の唇に、彼からのキスの雨が降る。


がそう言うなら、俺は応援するけど、無理はするなよ?」

「うん」

「倒れたりしたら、俺の寿命が縮まっちまうからな」


そう言って、彼の腕に包まれながら、私達は眠りに就いた。



翌日から、私のダイエット生活は始まった。
食事制限から、運動、間食の禁止。
セオリー通りにやっていれば、きっと痩せる筈と色んなダイエット方法から選抜して決めたメニューをこなした。
最初の方は順調に少しずつ体重は落ちていった。
周りからも「最近綺麗になったね」なんて言われて、喜んでいたのに。


「……おかしい」


ある日を境に、一向に体重が減らなくなった。
目標まで、あと少しなのに。
いわゆる、停滞期なのだと分かってはいたけれど、ここまで順調に来ていたので、とても焦った。
もうちょっとで、近藤さんに相応しい女になれる。
なのに、運動をしようとも、食事を制限しようとも、体重は減らない。
それどころか、日によっては少し増えてしまうくらいだった。


「どうしよう……」


明らかにどんよりと曇り空のような顔をした私を、心配した近藤さんが私室に訪れてくれた。


「大丈夫か?」

「……近藤さん……」

「最近、ちゃんと食べてるか? 痩せたというより、なんかやつれてる気がするぞ?」

「……食べてるよ」

「そうだ、今度あれ作ってやる。オムライス」


そう言って笑う近藤さんに、私の中で何かが切れた。


「……ない」

「ん?」

「いらない! オムライスなんて食べたら、また太っちゃう!」


そう大きな声で言い返す。言ってしまった後に、とてつもない後悔の波が襲ってきて
私は近藤さんの顔を見られなかった。
彼のまとう雰囲気が、ピリっとしたものになったのを、感じ取る。


「……そうか。なら勝手にしなさい」


そう言って、障子をぴしゃりと強く閉めて、近藤さんは私の部屋を後にした。
私はその場にへたり込んで、顔を手で覆った。
後から後から溢れてくる涙が、後悔の量なのだと思った。

最初はただ、近藤さんの隣にいて恥ずかしくない人になりたかっただけなのに。
だって、私の前に好きだったお妙ちゃんはとても綺麗で可愛くて。
自分にちっとも自信のなかった私を、どうして近藤さんが好きになってくれたのかもよく分からなくて
だから、少しでも彼女より可愛くなりたかった。綺麗になりたかった。
なのに、どうしてこうなってしまうんだろう。
ぽたぽたと畳に染みを作る涙を、止める事ができなかった。



結局、あの後眠る事ができなかった。
ふらふらと覚束ない足取りで、女中の仕事をこなす。
朝食も、食欲がなくて食べる事ができなかった。
時計を見れば、あと少しで昼食の時間だ。
それまでに、洗濯物を全て干してしまおう。そう思って大量のシャツが入った籠を持ち上げた時だった。

目の前にがチカチカしたと思ったら、急に暗くなって。
体中の力が抜けて、その場に倒れたと認識した時には、もう暗闇に意識は支配されていた。

遠くの方で、近藤さんの大きな声が聞こえたような気がした。


***


ぱちりと、目を覚ますと、そこれは見慣れた天井だった。
自分の部屋だと分かって、体を起こすと、まだ頭はくらくらとした。


?!」


がばりと横から黒い大きな物体が出てきて、それに覆い被さられる。
その衝撃で、私はまた布団に横になる羽目になった。
それはどうやら近藤さんのようで、彼の大きな体は震えていた。


「こん、どうさん……?」

「お前が、倒れるから……本当に、心配で……!」

「……ごめんなさい」


ぽんぽん、と背中を叩けば、ゆっくりと近藤さんが離れていく。
その顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。


「言っただろォ……に何かあったら、寿命が縮むって……!」

「うん……本当に、ごめんね」

「俺こそ、あんなキツイ事言って、悪かった」

「ううん、近藤さんは、私のこと思って言ってくれたのに……」

「……なァ

「うん?」

「どうしてそんなに痩せたかったんだ? 俺は、今のまんまのお前が好きなんだぞ?」


まだぐちゃぐちゃの顔だったけれど、その表情は真剣そのもので
隠していてもいい事はないだろうと悟った私は、恥ずかしさを押し殺して話す事にした。


「私、自分に自信がなくて……。近藤さんが好きだったお妙ちゃんは綺麗で可愛いし……一体私のどこを好きになってくれたんだろうって……」

……」

「だから、少しでも近藤さんに相応しい女の人になりたかったの。綺麗に、なりたかったの」


また、涙が溢れる。その涙を、太い親指が拭ってくれる。
それがくすぐったくて、泣きながら笑うと、頬にキスをされた。
目と目が合って、私は瞼を下ろして近づいてくる唇を享受しようとした。

その瞬間、大きな腹の虫が鳴いた。
それは明らかに私のお腹から鳴っていて、ぱちりと目を開ければ、近藤さんの真ん丸の目とかち合ってしまった。


「……何食べたい?」


笑いをこらえて、近藤さんが聞いてくる。
私は顔を真っ赤にして、こう答えた。


「近藤さんが作る、オムライス」


ケチャップはハートじゃなきゃ嫌だからね、と付け加えると嬉しそうに笑った。



少しして、お盆の上に白いお皿に乗せられた、特大のオムライスがやってきた。
ケチャップのハートは、ご丁寧に中まで真っ赤だった。


「こんなに食べられないよ……」

「俺も食べるから、こんなに大きいの!」

「そう……」


持ってきたスプーンはひとつだけで、近藤さんが一口分を掬って、それからそれを私の口元に運んできた。


「はい、あーん」

「え」

「はい! あーん!」


明らかに食べなきゃダメだぞ、という顔だった。
私は照れながら、口を開けてオムライスを頬張る。

ぷるぷるの半熟卵、濃いめのチキンライス、ぶつ切りの鶏肉、しゃきしゃきの玉ねぎ。
やっぱり彼が作るオムライスはすごく美味しくて、思わず笑顔になってしまう。


「……その顔」

「え?」

「俺がに惚れた理由だよ」

「顔?」

「覚えてないか? 仕事でへまして、落ち込んでるお前に初めてオムライスを作ってやったの」


ちゃんと覚えている。忘れたくても、忘れられない思い出だから。

まだ屯所に勤め始めたばかりの頃、私はしょっちゅう失敗ばかりして怒られていた。
その日も案の定いつもと同じ失敗をして、女中頭に怒られた。
夜中の食堂で、ひとり反省ノートを書きながら泣いていたら、局長である彼がやって来て私に気がついた。


「お、この前入ったばかりの、女中のさんだよね?」

「は、はい……」

「ん、泣いてるのか?」

「いや、その……はい……」

「どうした、何かやらかしちまったのか?」

「色々と、失敗ばかりで……」

「そっか……。そうだ、さんはもう夕飯は食ったか?」

「いえ、まだですけど……」

「じゃあ俺がとっておき作ってやるよ!」


そう言って、台所に入って行って、十数分後にお皿を持って帰ってきた近藤さん。
その手には、オムライスがあった。


「俺の得意料理! 絶対美味しいから食べてみな?」


スプーンを差し出されて、おずおずと受け取り、口に運ぶ。
確かに彼の言う通り、そのオムライスはお店に出してもおかしくないくらい、美味しかった。
私は上司の前だという事も忘れて、夢中でそれを食べ進めた。


「そんなに美味しい?」

「はい、とっても美味しいです!」


そう言って笑って顔を上げた私に、彼は頬を染めていた。
それから、彼も顔を綻ばせて「また、元気がなくなったら作ってやるからな」と
私の頭を優しく撫でてくれたのだ。
その瞬間、まるで運命かのように恋に落ちた。


「あの笑顔を見て、俺でも誰かを笑顔にできるんだな、って思えてさ。そしたら、すごいの笑顔がキラキラして見えて」


ふに、っと頬を抓まれる。


「だから、俺はの笑顔が大好きで、その笑顔を見せてくれるを愛してるんだよ」


この世の全ての優しさを内包したような笑顔で、私を見つめる近藤さんに、また涙腺が緩んでくる。
けれど、それを堪えて、私もとびきりの笑顔を作る。


「私も、近藤さんの作ってくれる愛情たっぷりのオムライスと、愛情をたくさんくれる近藤さんが、大好きです」


きっと、減った体重はまた少し増えてしまうだろう。
それでも、私は幸せだと、胸を張って言える。









オムライス・メモリアル










企画「かわいくなりたい!」様に投稿した作品です。