※この話は「気づいて、嘘、気づかないで。でもやっぱり」の続編です。
読まなくても、多分大丈夫だとは思いますが、できるだけ読んで頂けた方がお楽しみになれると思います。

また、この話ではお妙さんが嫌な性格になっています。
そんなお妙さんは認めない、と言う方は読まれない方がよろしいと思います。
この作品に関する、苦情等は受け付けませんので、ご了承下さい。






あの日から、まるで何もなかったように過ぎていく時間。
少しだけ変わったのは、局長のあからさまな態度と
見廻りの班構成で、私と局長が一緒になる事が、以前より少なくなっただけ。

ただ、それだけに過ぎない。
それに気づくのは、この屯所の中で誰もいない。
それ程までに、繊細かつ小さな変化でしかない。

これでいいんだ、これで。
しょうがない事なんだよ、と頭はそう言う。
頭の言葉に心はその度泣きながら、嫌だ、嫌だよ。と我侭ばかり。
どちらも自分なのだから、それこそどうしようもない。
理性と本能、どちらも捨てられないのだから。


「最近、昔みたいな張りがなくなりやしたねェ」

「え?」


今日の見廻りは沖田隊長とだった。
隣で、頭にアイマスクをつけながら、いつでも寝る準備万端な隊長に言われ
何の事か分からなくて、首を傾げる。


「隊士になりたい、って叫びながら屯所に入って来た時の張りでさァ」


あの時は驚いたぜ。と私を見ながら笑う隊長に、そうですか? とだけ返した。

武士には、憧れていた。ずっと昔から。
戦で荒れていた故郷を助けてくれたのが、武士だったから。

女は武士になれないんだよ、と母親から言われ
お前はいい旦那を見つけて女の幸せを掴めばいいんだ、と父親に諭された。
そうしているうちに、廃刀令が出され、武士の威厳は消えていき
大好きだった後ろ姿は見られなくなっていった。

そんな時に知ったのが、真選組。
もう、後ろ姿を見られなくなった時の後悔を味わうくらいなら
いっそ追い返される覚悟で、と屯所の門を叩いた。

追い返されるのが、関の山。
よくてお茶を出されて、はいさようならだと思っていた私に
近藤さんは笑顔で分厚い書物を渡してくれた。


「これに書いてある事を読んで、それでもここに入隊したいんだったら、その時は俺が協力してやる」


あの瞬間、今までで一番、誰かを守りたい。そう思った。

特に話題もなく、時間のせいか人の少ない通りをゆるりと歩く。
たまにすれ違う人達は、ただ真っ直ぐ前を見て歩いている。

その中に、見覚えのある
できる事なら視線を逸らしたい人の影を見つけた。


「あれ、姐さんじゃないですか」


隊長はそう言うと、数歩先にいる彼女に声をかける。
彼女は隊長と私に気づくと、にっこりと笑って会釈をしてくれた。
その一つの動作にさえ、泣きたくなる。


「お久しぶり。元気だった?」

「はい。姐さんこそいつも近藤さんがお世話になってまさァ」


何気ない世間話をする二人をよそに、聞いているフリをしながら空を眺めていた。
雲の流れが速い。まるで、私を一人置き去りにしたいみたいに。


「確か、さんって言うのよね?」

「え?」


話題の主役に選ばれたとも気づかずに、間抜けな声を出した。
空から地上に視線を戻せば、隊長も彼女もボケッとしていた私を見ている。


「私、あなたにお話したい事があるの。ちょっと彼女、借りてもいいかしら?」


隊長は首を傾げたけど、結局、いいですよとだけ言うと「あんまり道草食うなよ」と告げて。
あ、と引き止める声が出そうになったけど、彼女に掴まれた腕に意識がいく。
一瞬そこに目をやっている間に、隊長はもうずいぶん前の方を歩いていた。

籠められた彼女の力に、少しだけ掴まれた部分が悲鳴をあげる。


「あなた、近藤さんに告白したんでしょう?」


掴んでいる手の平の力が、より一層強くなる。
動揺するしかないその言葉に、肯定も否定も返せない。
ただ、射抜くように私を見るその眼光。


「そのせいかしら、最近あの人お店に来ないのよ」


お陰で、成績がずいぶん下ったわ。

まるで局長が、金の成る木のような、そんな言い方。
言葉にそういう意味がなくても、ニュアンスから読み取れる。
熱くなる頭をどうにかして抑えて、極力小さな声で言った。


「そんな事、言わないで下さい……局長は、あなたのものじゃないです」

「ものじゃなくても、彼はれっきとした私の上客よ」


隊服の上から、爪を食い込まされる。
大分強くなってきた痛み。それよりも、感じた怒り。


「私が気持ちを伝えたところで、自分の気持ちを曲げるような人じゃありません!」

「それだったら、どうしてあんなに馬鹿みたいにお店に通っていたのに、来なくなるのかしら?」

「そんな事、本人に聞けばいいじゃないですか!」


私の大きな声に反応して、少なかった人達が集まってくる。
到って冷静な彼女と、声を上げて顔を赤くしている私。
どう見たって、私が喧嘩をふきかけているみたいに見える筈だ。

掴まれている腕は、私と彼女の体が重なっている部分に隠されている。


「だったらあなた、彼から身を引いてくれるかしら?」

「……っどうして、そんな事しなくちゃ……」

「簡単じゃない。あの言葉は忘れて下さい、って彼に言うだけよ」


ね? と微笑むその笑顔はきっと、お店で彼女が局長に振りまいたものと同じ。
どうしてそう、容易くそんな事を言えるのだろう。
どんな気持ちで局長への想いをひた隠していたのか、彼女は知りもしないで、呼吸をするように促す。


「……っ、もう自分の気持ちに嘘は吐きたくありません!」


ほぼ叫んでいた。
掴まれていた腕を払い除ける。
腕は彼女の頬を掠め、払い除けた衝動は体を揺らした。
傍から見たらきっと、私が彼女に暴力を振るったように見えただろう。


?」


ビクリ、と肩が大きく揺れた。
どうして今、一番聞きたくて、聞きたくない彼の声が聞こえるのだろう。

振り返ればそこには、何も分からないといった顔をした局長がいて。
私を見た後、局長は斜め後ろにいる彼女に気がつく。


「……お妙さん? 二人で何しているんだ?」


局長、と声を出した瞬間気づく。
今の状況はどう見たって、私が一般市民である彼女に喧嘩を吹っかけていた。
それにつけ加えて、彼女は局長の大切な人。
もし、自分が局長の立場だったらどうするかなんて、考えなくても分かる。

人の間を抜けて、近くまで歩み寄ってきた局長。
彼女が何かを言っている。それを黙って聞いている彼。
怖くて、顔を上げられない。

どうなるか、何を言われるかなんて分かってる。





両肩に温かい手の平を感じた。


「顔を上げるんだ」


言われて恐る恐る、ゆっくりと
できる事なら、今この瞬間、時間が止まればいい。
そう願いながら、頭を上げた。


「きょ、くちょ……?」


局長は私の表情を確認すると「なんて顔してんだよ」と苦笑いを零した。
そのまま自分の腕の中に私をすっぽり隠すと、彼女に何かを言い始める。


「すいません、お妙さん。コイツは、理由もなく市民に喧嘩を吹っかけるような奴じゃないんです」

「……そう、近藤さんは私じゃなくて、その子を信じるのね」

「はい」


肯定の返事をする局長の声は、あの日、初めて会った時と同じくらい透き通っていて。
あの日以来、絶対に泣かないと決めたのに涙腺は、徐々に潤み始めた。

もういいわ、という彼女の声が聞こえて
次第に人の輪が壊れていく、砂利の音が聞こえた。

長い時間、きっと本当は数分しか経っていないのだろうけど
局長は何も言わないまま私の手を引くと、歩き出す。
私はその力に従って、足を動かした。



あの日と同じ土手、時刻はまだ昼過ぎ。
違うのは繋がれた手の平。


「あーあ、これで完璧フラれたなぁ、俺」


手を繋いだまま局長は言う。


「っすいません、私のせいで……」

「どうしてのせいなんだ?」


離れた手の平に、寂しさを覚えた。
重なる視線に息が吐けなくなりそうで、胸の鼓動がバレないように、必死に平静を装う。


「お前は何もしてないだろ?」


どうして、そんな優しい顔で笑ってくれるの?
あなたの好きな人は、あの人の筈なのに

ねえ、どうして?


「……まだ、局長が好きなままです」

「……そっか」

「だから、こんな事されると、余計な期待までしてしまいます」


まるで涙腺に、今までの涙が溜まっていたみたいに
ポロポロ、ポロポロ次々に涙が流れ出す。


「私のこと、なんとも思ってないなら、優しくしないで下さい……」


局長がしてくれる、部下として受け取らなくちゃいけない優しささえも
もう、ただ単に心を傷つけられるナイフでしかなくて。
きっとそれは私自身の問題なのに。
こんな事を言う事自体、お門違いなのに。

それ程までに彼が好きだ。


は俺にとって、大切な部下だよ」


一歩一歩ゆっくり近づく局長は、歩調に合わせて喋り始めた。


「でも、さっきの光景見て、分かったんだよ」


あの日と同じように抱き締められた。
耳元で聞こえたのもやっぱり「ごめん」の言葉。


「たくさん、傷つけてごめん……俺さ、が好きなんだ」


信じられない言葉に、自分の耳を疑う。
後から後から溢れる涙に邪魔されて、答える事すらできない。


に好きだって言われて、改めてお前のこと考えたら、こんなにも大切に想ってたんだって」


苦しいくらいに、痛いくらい抱き締められる。
息をする事すら許されないくらい、ぎゅっと。

この広い背中に、腕を回すのを夢見てた。
今触れているこの瞬間が、夢じゃないと。夢だとしたら、永遠に夢から覚めなくてもいい。


「愛してるよ」


吹いた風に乗って聞こえた声が、ひどく優しかった。