馬鹿は風邪をひかないとはよく聞くけど、どうやらそれは迷信だったらしい。
電話の向こう側で聞こえる困った声に、私は苦笑いを零した。



ちょうど見廻りを終えて屯所に戻ってきた土方さんに、パトカーの運転を頼む。
しかめっ面して、本当に渋々鍵を持って外に行く彼について行く。
片手にはブランケットを持って。

近藤さんが、いつものように新八君の家もといお妙さんの所に行ったのは朝の事。
その時は確かにピンピンしていて健康体だったのだけど、どうやらお妙さんのウィルスを貰ってしまったらしい。
本人にしてみれば本望なのかもしれないけれども、話を聞くと近藤さん以外にも銀さん達もいるようで
「ぶっちゃけ申し訳ないんですが、迷惑なんで引き取ってもらってもいいですか?」と
新八君にしては珍しい声色で言われた。多分、久しぶりの姉弟の時間を邪魔されてちょっと怒っていたのだろう。


「そういう事なので、よろしくお願いします」

「ったく、あの人も厄介な時に風邪ひいてくれたぜ」

「え?」

「今日は女中が一人もいねぇんだよ」

「……なら、私が看病しますよ。今日の仕事は粗方終わりましたし、あとは書類だけなんで」

「そうか? 悪いな」


新八君の家に着くまでの会話で、近藤さんの看病をする事になった。
心の端っこで、少しだけラッキーなんて思った事は秘密に。


「本当にごめんね。毎度毎度迷惑かけちゃって……」

「いえ、さっきは僕もきつく言っちゃってすいませんでした」

「新八君が謝る事ないよ。あ、そうだこれ。大した物じゃないけど、お妙さんと食べて?」


被害者の筈である新八君は、とても申し訳なさそうな顔で出迎えてくれた。
土方さんが寝室にいるであろう近藤さんを引き取りに行っている間に、屯所から持ってきた果物を渡す。
風邪にはやっぱり果物だよね、と言えば新八君はようやく笑ってくれた。


「嫌だァァァァっ!! 俺はお妙さんと風邪を治すんだァァァ!!!」

「子どもみたいな事言ってるんじゃねえよ! 早く乗れ!」


後ろの方で、そんな不穏なやり取りが聞こえる。
慌てて振り返れば、そこには顔を赤くして必死に嫌々と首を振っている近藤さんと
それを引っ張って車に乗せようとしている土方さんがいた。
新八君にもう一度頭を下げて、二人の所に駆け寄る。


「近藤さん、これ以上迷惑掛けちゃダメですよ!」

「それでも俺はァァァ! って、あれも来てたの?」

「新八君から電話もらったんです」


持ってきたブランケットを近藤さんの肩にかける。


「今日は女中さんがいませんから、私が近藤さんの看病しますね」

「え、が看病してくれんの?!」

「はい」

「そ、それなら俺も帰ろうかなぁ……」


抵抗の力が弱まった瞬間、土方さんが車の中に近藤さんを蹴り入れた。



「39度4分。完全に風邪ひいちゃいましたね」

「さすがお妙さんのウィルス! そんなにも俺を独り占めしたいんだな!」


布団の中から赤い顔だけを出して、馬鹿みたいに嬉しそうに話す近藤さん。
その額に乗せられたタオルを一度水に浸し、固く絞ってから同じ所に乗せた。


「気持ちいいですか?」

「おう」


どうも無理をしていたようで、ようやく大人しくなってきた。
外では振り出した雪が、次第に白い絨毯に変わりつつあって
屯所を出る前に作っておいたお粥に手をのばす。


「さ、薬飲む前にご飯食べちゃいましょうか」

「へ?」

「女中さんがいないんで、勝手に作っちゃいました。口に合うか保障はできませんけど……」


起き上がれますか? と聞けば近藤さんは勢いよくガバリと跳ね上がる。
けれどもやっぱりウィルスは強靭である。そのまま彼は前のめりにつんのめった。


「急に動いちゃダメですよ! ああ、もう……」

「い、いやァ……思った以上に体にくるんだな」

「当たり前です。聞きましたよ? ネギ持って裸で突っ立ってたって」

「それはお妙さんが教えてくれた治療法であってだな」

「そんな治療法、聞いた事ありません」


呆れながらも、土鍋の蓋を開ける。
まだ温かさを保ったお粥が、湯気を燻らせて。久しぶりに作ったからちょっと心配だけど、食べられないって事はないだろう。
レンゲで軽くかき混ぜて、それを口元に持っていく。
鮭のオレンジ色と、菜っ葉の緑色が白いお粥によく映えていた。

ふーっと息を吹きかけ冷ましてから、近藤さんの口元へと運ぶ。


「え、え、え?」

「え? じゃなくて、あーんして下さい」

「ええええェェェェッッ?!」


何故か驚いたように目を真ん丸くする近藤さん。何をそんなに驚いてるんだろうか。


「早く! 垂れちゃいます! あーん!!」

「……あ、あーん」


おずおずと、大きく開けられた口の中にお粥を入れた。
もぐもぐと咀嚼をすると、突如近藤さんの顔がまた別の驚きに染められる。


「……美味い」

「本当ですか? よかった」


ホッと一安心。それから新たにお粥を掬って、軽く冷ましてからまた近藤さんの口元へと運ぶ。
お粥はあっという間に空になる。食欲があるなら、回復も早いだろう。
デザートに、と剥いた林檎も綺麗になくなった。
満足そうにしている近藤さんに、薬を手渡す。


「うげ」

「うげ、じゃありません。ちゃんと飲まないと、治りませんよ!」

「えー……粉薬は苦手なんだよなー」

「……そんな事だろうと思って、錠剤も用意しました」


粉薬を受け取って、錠剤を渡す。
全くもって本当にこれが、武装集団を纏め上げている頂点なのだろうか。
そんな事を考えていると露ほどにも知らず、近藤さんは薬を飲み下す。

また近藤さんを横にして、冷たいタオルを宛がった。
どうやらすぐに薬は効いてきたようで、うとうとし始めた彼に「寝ちゃって良いですよ」と声を掛ける。


「うん……そう、する……」

「起きたら寝巻き、取り替えましょうね」

「……なあ、

「はい?」

「……俺が寝ても、ちゃんとここにいるよな?」


目だけで私を見上げて。熱で潤んだ瞳は普段見られないようなもの
一瞬呆気に取られて。それから、できるだけとびっきりの笑顔で答える。


「もちろん、ちゃんとここにいますよ」

「……そっか。ありがと、な」


近藤さんは安心したように瞼を下ろす。すぐに聞こえ始めた寝息に、ホウ、と一つ息を吐いた。


「変な治療法教えてくれるお妙さんより、今横にいる私を選んで下さいよー」


熱い頬に、指先だけ触れさせて聞こえないように呟いた。