お妙さんに贈る花束を買う、馴染みの花屋がある。決まって同じ店員さんが作ってくれる。優しい目をした、仕草の柔らかい人だ。
いつも花を選んで束ねてもらっている。時には忙しい時もあるだろう、それでも決して嫌な顔をせず作ってくれる。
花束を受け取る時、彼女はそれを俺に贈るように笑いながら渡してくれる。だからこそ自分が貰ったようにはにかんでしまう。

「お待たせしました」

芯のある声でそう言われる度、こんなに素敵な物を作ってもらえるならいくらでも待ちますよ、と言ってしまいそうになっていた。

花の知識をこれっぽっちも持っていない俺はいつも彼女に聞いてばかりだ。
それでもいつだってとことん答えてくれて、聞いていない事だって色々と教えてくれた。

「すみません、喋り過ぎました……」

そう言って眉尻を下げる彼女に、助かります、と返事をするくらいしかできなかった。



「すみません」

「はーい。あ、近藤さん。いらっしゃいませ」


店の奥の方で何かを洗う音がしていた。声を掛ければさんが軽い足取りでやって来る。
彼女を囲むようにして立てられているばけつの中には、色んな種類の花が咲いている。


「今日も花が綺麗ですな!」

「はい。今日もどの花も綺麗に咲いてますよ」


大した事を知らない俺はいつだって単純な褒め言葉しか言えない。
それでもこの人は自分が褒められたかのようにほほ笑んでくれる。あれやこれやと言わなくても全て伝わっているように。


「今日はどうしますか?」

「そうだなァ。そろそろクリスマスだし、そういったもんを渡したいんだが……」

「それでしたら今日は花束ではなくリースにしますか?」

「リース?」


聞いた事があるようなないような単語に首を傾げる。
するとさんは作業台の横から丸い何かを取り出した。それは緑色の丸い土台に色々な飾りつけをされた物だった。


「これです。扉とかに飾るんですよ」

「おォ! 見た事あります!」


言葉と物が見事に一致して思わず笑みが浮かんだ。彼女も同じような顔をしている。


「これはこれで花束とは違った趣きがある!」

「でしょう? お好きな花を選んでくれれば、それに合わせて作りますよ」

「え?! これさんが作ったんですか?!」

「そうですよ?」


その言葉に細長く息を吐き出した。

常々思っていたが、この人は本当にすごい。何もないのに、まるで目の前に手本があるかのように花束を作り上げる。
彼女の頭の中にはそれがあって、そっくりそのまま束ねているようだと思っていた。


「いつも思ってましたがあなたは本当にすごい。まるで魔法使いだ」


そのままを言えば、少し俯いて頬を赤くさせる。


「仕事だから当たり前ですよ。でも……そう言ってもらえて嬉しいです」


照れ隠しなのか、細々とした動きで鋏なんかの道具や材料を揃え始める。


「主にしたい花を選んでもらえますか?」

「はい!」


色や形が様々な花をじっくりと見つめる。
何を選んだらお妙さんに喜んでもらえるのかを考えながら見渡していると、ある花が目の動きを止めさせた。

真っ赤で大きな花。花びらはどちらかというと葉のようにも見える。
隣で作業を始めている彼女なら、きっとこれを選ぶんだろう。


「これにします」


指をさしながら言えば彼女が顔を上げた。なぜかその目が丸くなる。


「すごいです近藤さん。その花、ポインセチアっていうんですけど、まさしくクリスマスの花なんですよ」


さんはこちらへやって来ると目を細めて俺を見上げた。
その言葉の響きは、幼い頃尊敬していた師に言われたものとよく似ていた。


「そうなんですか? いやァ知らなかったな」


緩む頬をごまかすように頭へ手をやると、やっぱり彼女は笑みを深くした。
そしてばけつの中から大きな物と小さな物を一つ取ると台の方へ戻る。用意していた土台に手際よく飾りつけていく。
その様はまさしく花の魔法使いだった。

さんは花を扱う時、必ずほほ笑んでいる。
自分で気づいているのか分からないが、とても優しい笑顔だ。本当に花が好きなのだろうと思わされる。
彼女が作り出す花束はその思いが込められているんだろう、他の店で買った物よりもはるかに美しい。
気がつけばすっかりここの常連になっていた。おそらくこの人が花束を作っている姿も俺は好きなんだろう。


「どうですか?」


あっという間に作り終え、見やすいようにと斜めに立て掛けられたリースに視線を注ぐ。
それは確かに、この時期になると店先や玄関の扉に掛かっている物だった。


「おォ! こりゃあいい! こう、クリスマス! って感じがしますなァ!」

「よかった。箱に入れてお渡ししますね」

「お願いします!」


透明な箱にリースを詰め蓋をすると、クリスマスを思わせる色のりぼんを巻く。紙袋に入れられたそれを受け取る。


「それで会計は……」


財布を出し聞けば、顎に指をやり考えている様子だ。


「そうですね……。まだ商品として出していなかったので、今日は結構ですよ」

「えェ! こんないいもんを作ってもらってただなんてわけには……」

「気にしないでください」


本当にそう思ってくれているんだろう。だがこんなにも立派な物を作ってもらったというのに、一銭も払わないというのは失礼に値する。
どうにかして受け取ってもらえないかと、財布を握り締めたままじっとさんを見ていた。
すると何かを思いついたのか、表情がわずかに変わった。


「でしたら、お渡しした方の感想を聞かせてください」

「感想?」

「はい。参考にしたいので」


他意なくそう言ったのだろうが、それが余計に不安を駆り立てた。

今まで買っていった花束は、受け取ってもらえた事はない。
このリースも果たしてもらってくれるかどうか。

もしいつもと同じようになったら、感想なんて伝えられるはずがない。


「……聞けるかなァ」

「え?」

「いや! なんでもないです!」


聞き返され我に返る。何度も首を振って頭を下げた。
今回こそはなんとしてでも、こうしていつも花束を作って勇気をくれる彼女のためにも、お妙さんに受け取ってもらおう。
そう決心しながら店を後にする。


リースを持って今日も今日とてすまいるにやって来ていた。席に着き普段通りお妙さんの名を伝え待つ。
自分の左隣に置いた紙袋の中には、作ってもらったリースがある。
花束と違って今回は感想を心待ちにしている。代金を払わなかった代わりにちゃんと伝えねばならない。


「こんばんは」


いつの間にか透明な箱の中にあるそれを眺めていたようで、鈴のような声が聞こえて慌てて顔を上げた。


「こ、こんばんは!」


さっと体を退かし右隣に空間をあけると、一定の距離を保ってお妙さんが座る。
いつもの事だ。俺の近くに好んで寄ってくる女性はそうそういないだろう。

いや、一人だけいた。
さんはいつだって俺の隣で花を選んでくれる。束ねる時もなるべく側で作ってくれていた気がする。


「近藤さん?」

「はっ!」

「どうかしたんですか?」


怪訝そうな顔のお妙さんを見て、やってしまったという思いに駆られる。
挽回するために秘密兵器を前に持ち出した。


「今日はこれをお渡ししたくて!」

「あら、これリースですか?」

「はい!」


花束の時は、なんやかんやで手に取ってもらう事もなくあしらわれてしまうばかりだったが、今回は違った。
珍しかったのだろうか、お妙さんは目を丸くしてリースを手に取ってくれた。


「すごく綺麗ですね」

「でしょう?! いつも行く花屋の店員さんが勧めてくれたんです!」


お妙さんの言葉をそのまま彼女に届けたい、そう思った。
まるで自分が褒められたように舞い上がってしまう。

彼女はいつだって俺の想いを花と一緒に束ねて、美しく飾ってくれた。
だからだろう、他の花屋で同じように買っても彼女が作る花束に勝てる物はなかった。
受け取ってもらえないと心のどこかで分かっていても、それでも贈り続けているのはそれもあるからだろう。
花束を作ってくれる彼女の思いを無駄にしたくなかった。

行き場を失くした花は屯所で活けている。
むさ苦しい男ばかりですぐに枯らしてしまうが、それでも花は最期まで美しく咲き誇ってくれていた。
彼女がそういうまじないを掛けてくれていたみたいに。


「いつも同じお花屋さんなんですか?」

「はい! とびきり綺麗な花束を作ってくれる店員さんがいるもんで!」

「そうなんですか」


お妙さんは透明な箱に入ったリースを眺め、それをそっと反対側へ置いた。


「ありがたく頂戴しますね」

「……へ?」


思ってもいなかった返答に思わず間抜けな声が出る。


「このリースといつもの花束、同じ人が作られてるんですか?」

「は、はい」

「受け取ってはいませんけど、いつも思ってました。とても綺麗な花束だなって」


花が嫉妬しそうなくらい麗しい笑みでお妙さんはそう言った。
同時に、一本一本の花を丁寧に掬いながら笑うさんが脳裏に蘇る。
そのせいで思うように反応ができなかった。



どうしても早く伝えたくて、すまいるに行く予定がないのにも関わらず花屋に向かっている。
最初は普通に歩いていたのだがだんだんと脚が速まり、気がつけば走り出していた。

店先に人影を見る。その人がこちらを向いた。それが彼女だと分かりさらに歩幅を広げた。


「こんにちは!」

「こんにちは。いらっしゃいませ」


さんの顔を見た途端に湧き上がった嬉しさが勝手に体を動かし、箒を握っていた手を包み込んでいた。
からん、と軽い音が地面の上で鳴る。


「こ、近藤さん?」

さんのおかげです!」

「えぇ?」

「初めて受け取ってもらったんです!」

「初めて?」

「……あ」


それが言ってはいけない余計な一言だとすぐに気がついた。彼女もそれを感じ取ったのだろう、心なしか顔色が失われたように見える。
どうやって取り繕おうかと頭をなんとか回転させていると、さんが口を開いた。


「……近藤さん、すみませんでした」

「え?」

「きっと私の技術や選定が悪かったんですね」


初めて聞く細い声は、小さく震えていた。
みるみるうちに目が潤み、今にも泣き出してしまいそうに見えた。
彼女は一つも悪くない。悪いのは俺だというのに。
むしろさんがいてくれたから、お妙さんに気持ちをぶつけ続けてこれたと言ってもいい。

でもそれを、どう伝えればいいのだろうか。


「本当にごめんなさい」


とうとう泣くかと思った矢先、そう言って彼女が頭を下げた。
俺よりも小さい体がさらに縮こまったように見える。
これ以上落ちてしまわないようにと肩を支えれば、おそるおそるといった様子で顔が上がる。


「頭を上げてください! さんが悪いんじゃねェんだ……」


そのまま言葉を続けるのを一瞬ためらったが、言わなければきっと自分を責め続けると分かっていた。


「その……お恥ずかしい話、俺ァ相手のお嬢さんにあんまりよく思われてなくてな。でもあれを受け取ってもらった時、その人は言ってたよ。いつもの花束、受け取ってないですけど、すごく綺麗だと思ってますってな」


彼女は笑うでもなく怒るでもなく、また違う種類の涙を流しそうな顔になった。


「……じゃあ今までの花は?」

「それは……」


そう来るだろうと思ってはいたが、実際口にするとなると先程より緊張が高まる。
さんが俺の想いのために選びまとめてくれた結晶を、簡単に枯らしていたのだから。


「すみません、なんとか枯らさないようにしてはいるんですが……やっぱり無骨な野郎ばかりだと」

「え?」

「え?」

「……てっきり、捨ててるのかと思って」


彼女の言葉もまた予想外のものだった。


「捨てるはずないです。あれは、さんが作ってくれた大切な物ですから」


彼女と俺が、想いを込めて作ったものだから。
お妙さんに喜んでもらいたくて贈っている花束だが、それだけじゃない。
俺の想いを汲み取って、それを美しくしてくれるさんの思いも重なってできているものだ。

世界中でまたとないたった一つの宝物だ。

あんなにも泣きそうだった表情が柔らかくなっていく。
まだ目には涙が溜まったままだったが、どうしてだろうか一生懸命笑うのを我慢しているように思えた。


「……それでしたら、今度からこれ、お付けしますね」

「それは?」

「延命剤です。切り花を長持ちさせるお薬みたいな物ですよ」


前掛けの物入れから小袋が出てくる。納豆のたれ袋みたいだ。
だがこれは納豆をおいしくするのではなく、花を長持ちさせてくれる物らしい。


「そんな便利ですごい物があるんですね! どうやって使うんですか?」

「お水に入れるだけです。よかったら使ってみてください」


彼女の指先が手の平に触れる。ほのかな温もりがそこからじんわりと広がっていくような気がした。
せっかくもらった物をなくすわけにはいかないと、すぐ懐にしまう。


「他にも何かお手伝いできる事があれば言ってくださいね」

「ありがとうございます。いやァあなたくらいですよ、俺にそう言ってくれるのは」


優しい言葉が胸の中に沁み渡っていく。だからこそ、情けない事を言っていても笑う事ができていた。



日々は積み重なり、俺は変わらず花屋に行って花束や鉢植、リースを買っては玉砕する毎日を送っていた。
それでもさんはいつだって笑顔で俺を迎え入れてくれて、共に花を選んでくれる。俺の想いを丁寧に摘んでくれる。
そんな彼女に、俺は何か返せているんだろうか。


「どうかされたんですか?」


頼んでいた花束を作っている最中のさんに、そう声を掛けられた。


「いや……なんでもないです」

「……なんでもなかったら、そんな顔はされないと思います」


漂うのは、ただ俺を案じてくれる雰囲気だった。
それに促されるようにして彼女を見れば、鋏を台の上に置きこちらに目線を注いでくれていた。


「……さんにこうしてたくさん良くしてもらってるっていうのに、俺は一向に成果を出せていない。そんな自分が不甲斐なくてしょうがないんです」

「近藤さん……」


きっと今の自分は目も当てられないようなひどい顔をしているだろう。
そんなものを見られたくなくて、物言わぬ花々に視線を向けた。


「大丈夫です。きっと近藤さんの思いは届きます。花束を作っている私が保証します」


聞き間違いかと彼女を見れば、頼もしい笑顔を携え胸元を叩いていた。


「私だったら……」


そう言いかけて声が止まる。どうしたのだろうと「……私だったら?」と聞き返す。


「私だったら、近藤さんみたいに一途に花を持ってきてくれる人、好きになっちゃいます」


表情も声も、全てが温かくて柔らかな光のようだと思った。
思わず口を開けて呆けていた。だがすぐにそれが俺を励ましてくれるための世辞だと分かる。


「いやァ、お世辞でもそう言われると照れますなァ」


なんとも言い難い温いものを抱えながら笑っていると、いつの間にやら花束を完成させてくれていた。
そっと側に来て、それを俺の腕に抱かせてくれる。
色合いも、形も大きさも、全てがまとまりのある花束だ。


「今日も本当に美しい!」


思ったままを口にすれば、跳ねるようにさんの顔が上がる。
どうしたのだろうと見下ろすが、どこか不安そうな顔をしている以外は特に変わったところは見られない。


「……また来てくださいね」

「はい! もちろん!」


彼女から受け取った思いと花束を持てば、なんだってやれる気がしてきた。
その勢いのまま店を後にした。





「今日は花束を二つ作ってはくれんでしょうか?」

「二つ?」

はい、と答えればどうして? と顔が訴えていた。
こうしていて分かったのだが、さんは案外感情が表に出やすい人のようだ。


「じゃあまず一つ目の花を選んでください」


そう言われいつものように主の花を選び、彼女の意見をもらいつつ一緒に練り上げていく。あっという間にお妙さんに渡す花束が完成した。


「それで、もう一つは?」


首を傾げ聞いてくる彼女に、決めていた一言を告げる。


「もう一つは、さんの好きな色や花を選んで欲しい」

「……はぁ」


俺が何を意図しているのか分からない、という顔だった。あまり見た事のない表情だった。
台の前から移動してきて、俺の隣に立つ。
やはりこの人はとても小さい。ただ単に俺が大きいというのもあるのだろうが、どこか違うところでもそう感じているのかもしれない。
花屋の店員と客という関係だが、彼女は女性で俺は男なのだと感じる。それがどうしたのだというのだが。


「冬の花で好きなのは……これです」


さんが手にしていたのは、紫色の丸い花。


「これはなんていう花なんですか?」

「アネモネです」

「ほうほう」

「じゃあこれに合わせて」

「いや、これから先の花は俺に選ばせてください」


日頃のように他の花へと伸ばそうとしていた手を押さえた。冷たい水にさらされて冷え切った手はそれでも優しさを含んでいるのが分かる。
ばけつの中で出番を待つ花を見つめる。
彼女が花を束ねる時に呟いていた言葉や、今まで教えてもらった事を思い出しながら支えになる花を選んでいく。
俺が花を取ろうとすればさんが近寄ってきて、欲しいと思った本数をそっと持っていってくれた。


「こんなもんでしょうか」

「すごいですね。これからは私が何も言わなくても花束が作れますよ」

「すごいのはさんですよ。いつも言ってくれる事を思い出しながら選んだだけですから」


褒めているつもりだったが、彼女は目を伏せて曖昧に笑っていた。まるで、寂しいというのを我慢しているように。
りぼんと包み紙の色も伝え、一つ目の花束を受け取り台から離れる。

鋏が茎を切る音やりぼんを巻く音がして、気配が近づいてくる。
振り返れば花束に隠れたさんがいた。


「……できましたよ」


渡されたそれをそのまま彼女の前に差し出そうとした。
しかし受け取ってもらえなかったらと考えると、引っ込めてしまいたくなってしまう。それをなんとか押し止める。


「どうぞ」

「え……?」

「これをさんに渡したかったんです。いつも世話になってる礼です」

「ありがとう、ござい、ます……」


喜んでくれるだろうと思っていた。いや、喜んで欲しかったという方が正しい。

丸く開かれた目の中には紫色が映っていた。そして、それが滲んでいく。


「ええェっ! ど、どうしたんですか?!」

「い、いえ……その……本当に、嬉しくて」


後から後から溢れてくる涙は拭っても拭いきれないようだった。

泣いて欲しくないと、切に思った。どんな事が理由であれ、彼女の涙は胸を締めつけ痛みを疼かせる。

人の泣いている姿を見たいと思う人間はそうそういないだろう。
だとしてもどうしてこの人の涙はこんなにも、俺すらも泣かせようとするのだろうか。


「……やはりどこかおかしかったんですか?」


自分の中に生じた想いに気がついては駄目だと、そう言い聞かせるように問いかけていた。
なんでもいい。どんな事でもいいから、とにかく何かで気を逸らしたかった。


「そんな事、ないです。泣くほど嬉しいくらい、素敵な花束です」


俺が花を選んだだけなのに。俺がいつものように作ってもらっただけの物なのに。
どうしてそんな声色で言ってくれるのか。どうしてその言葉で、胸の中が温かくなるのか。


「本当に、ありがとございます」


なんとか堪えているんだろう。さんはそれが分かる笑みを浮かべながら顔を上げた。
その顔を見て、花が開くようにひとつの想いが広がっていく。

店員と客という関係だとしても、さんはいつだって笑って出迎えてくれた。俺の想いを摘み取って形にしてくれた。
隣に立って、一緒に悩んでくれた。笑顔で背中を押してくれた。

いつからだろうか、自分でも気がつかないうちに芽吹いていた。

俺は、この人が好きだ。

でも、今更何を言えるというのだろうか。
何も言えず、ただ笑う彼女を見るしかできなかった。



花を買いに行く理由がなくなってしまった。
それでもさんに会いたくて、今まで通りを装って通い続けていた。おかげで屯所内は以前にも増して花だらけだ。

時折、彼女の瞳が揺れるようになった。あんなにも真っ直ぐに俺を見てくれていたのに、いつからか笑みもぎこちなくなっていた。
もしかしたら、俺の想いに気づいてしまったのだろうか。
この期に及んで別の人を好きになった俺に、幻滅してしまったのだろうか。


「近藤さん」

「おう、トシ。どうした」


水場で花瓶を洗っていると後ろから声を掛けられた。振り返れば奴がいた。


「最近花の持ちがいいな」

「お、気づいたか。これ使ってんだよ」


そう言って側らに置いていた延命剤を見せる。


「なんだそれ?」

「なんでも花を長持ちさせる薬だそうだ」

「ほォ、そんなもんがあんのか」


花瓶を拭き、中に水を注ぎ薬を垂らした。そこに買ってきたばかりの花を活ける。


「長持ちするにしても、屯所ん中が花だらけになってきたな」

「……なに、むさ苦しい男共にも華は必要だろ?」


お妙さんに渡さなくなった、さんのために買う花束。
たとえ空しい自分勝手な行動だとしても、彼女が触れた大切な花を枯らしたくはなかった。


「じゃあな」

「おう」


花瓶を抱え自室へと歩き出した。

夕刻間際の薄暗い部屋の中、机の上にぼんやりと浮かぶ物がある。花瓶を隅に置き、それを手に取った

いつだったか花言葉の事を教えてもらった時、衝動的に買った本だ。色々な言葉が写真と共に載っている。
今となってはほとんど無用になってしまったが、なんの気なしにぱらぱらと捲った。

薔薇のような花の頁で手が止まる。名前を見ればベゴニアと書いてある。
花言葉を読みすぐに蘇ったのは、さんと花束を作った日々だった。

お妙さんに振り向いてもらえなくても前を向いていられたのはきっと、彼女が笑ってくれていたからだったのかもしれない。
それが客に向けるための作られたものだったとしても、それでも確かに俺は救われていた。
あの日々は、幸せ以外の何物でもない。

このままずっと、何も変わらないままいつか終わりを迎えるのだろうか。
その時になったら、そのまま納得できるのだろうか。
どうしたらいいのか分からず、何かを求めるように本を捲る。

辿り着いたのは、白い可憐な花の頁だった。



十二月二十五日。クリスマスだ。
イブであった昨日は結局勇気が出ないまま、一日が終わってしまった。
今も外に出る準備はできているのに、立ち上がる事ができないでいる。

日が傾き始め冷え込んでくる。非番の俺を置いてけぼりにしているように、組の奴らが忙しなく動く音が聞こえる。
今日も店にいるかは分からない。もしかしたら実は恋人がいて、そいつと過ごしているかもしれない。
そう思うとため息ばかりを吐き出していた。

机の上にある花言葉の本を見る。表紙の写真は俺を奮い立たせた白い花だ。


大丈夫です。きっと近藤さんの思いは届きます。花束を作っている私が保証します


不意に、あの日さんが言ってくれた言葉が聞こえた。
何も変わらないまま届ける事すらもせずにただ俯くばかりなら、いっそ結ばれなくとも伝えるべきだろう。
今までだって、そうしてきたじゃないか。

財布だけを掴み、部屋を飛び出していた。


「いらっしゃいませ」

「……こんばんは」


果たして彼女は店にいた。いつもと同じ格好に前掛けをして。


「今日は花束にしますか? それともリースですか?」

「……花束でお願いしたい」

「はい」


ほほ笑みながら近づいてくるさんを見ていると、否応なしに心臓がうるさくなる。


「今日も自分で選びたいんですが、大丈夫ですか?」

「もちろん」


ばけつの前に立ち、目に焼きつけた花を選ぶ。ベゴニアと、マーガレットだ。
俺が手を伸ばした刹那、彼女が一瞬目を見張ったように思えた。


「これでお願いします。できればもう少し、この二つが活かせるような花束を作ってはくれんでしょうか?」

「はい。お作りしますね」


花を差し出している手が震えているのに、さんは気がついていないようだった。

花を束ね紙で包みりぼんで結ぶ。その動作は何回も見てきたのだから分かった。
今日はいつもより動きがゆっくりとしたものだという事が。


「お待たせしました」


いつもと同じ、いつもより特別な花束ができあがった。
彼女の手から俺の手へと受け渡される。
勘違いをしているとしても、この中には彼女が感じ取ってくれた俺の想いが込められている。

代金を渡す瞬間、その手を握り締めたかった。
そしてあの時のように花束を差し出して、想いを告げようと思った。

そうだというのにまた臆病風に吹かれ、動く事ができない。


「ありがとうございました。いってらっしゃい」


彼女は顔を上げずにそう言った。この二日間、忙しくて疲れているのだろう。
この想いを持って、どこに行けばいいのだろう。
今まさに目の前にいる彼女に渡すべきものだというのに。


「近藤さん?」


また、泣きそうな顔をしていた。


「いや、なんでもない。それじゃあ」


それきり口は動かず、代わりに脚が動き勝手に店から出て行き遠ざかっていった。

今にも雪が降りそうな空の下、彼女のために作ってもらった花束を持ち歩く自分を想像して、あまりにも情けなくなった。
どうしてあんなにも決心したはずなのに、彼女を前にするとこんなにも縮こまってしまうのか。

それはきっと、どんなかたちであろうと彼女との時間を失いたくないからだろう。
店員と客という関係だとしても、その繋がりを絶ち切るかもしれないという事に怯えているんだろう。

こんな事を繰り返して、いつか他の人間に彼女を奪われていくのだろうか。
そうなった時、きっと俺は今日のこの瞬間を何よりも後悔するのだろう。


「近藤さーん!」


脚が止まりそうになった時、後ろから聞こえてきたのは彼女の声だった。

振り返れば息を切らした彼女があっという間に前へやって来た。


「どうしたんです?」


上下する肩に手を置き様子を窺う。なんとか呼吸を整えようとしているのが分かり待った。


「私、あなたが好きです」


膝に手をついたまま顔を上げた彼女の唇から零れた言葉は、あまりにも信じがたいものだった。

何も言えず、何を言っていいのかも分からないまま彼女を見つめていた。
するとその目が潤み始め、頬に雫が伝っていく。


「これから大事な時だっていうのに、水を差すような事を言ってすみません……。でも、どうしても伝えたかったんです」


アネモネの花束を渡した時と同じ、震えた声だった。

どこもかしこも冷えてしまった体を引き寄せ、抱き締めていた。


「泣かんでください」


驚いたのか、体の震えが少し治まった。

意気地なしと笑われるかもしれない。
それでも今この時を逃したならば、俺は永遠に想いを告げるなんてできないだろう。


「俺も……さんが好きです」

「う、そ……」

「嘘じゃない。いつの間にか、あの人よりあなたの方が大事になっていたんです」


体を離し彼女を見る。周りが赤くなった目は丸いままだった。


「情けない。俺は勇気が出なかったばっかりに、さんに先を越されちまった」


想いの丈を包んでもらった花束を、ためらう事なく差し出す。


「受け取ってはくれんでしょうか」


花束が手から離れ、彼女の腕に抱き締められる。
また涙を零し始めた彼女を冷たい風から守るように抱き寄せ、腕の中に閉じ込めた。
宙を見れば、地面へと落ちていく小さくて細やかな光があった。


「空、見てください」


そう言えば彼女が上を向く。


「……最高の贈り物です」


それは俺の方こそだった。


「近藤さん、花言葉、知ってました?」

「……色々と調べてみたんです」


彼女が知らないはずがなかったが、それでもそう言われると頬が熱くなってしまった。
そんな俺を見て、彼女は頬を緩めて胸元に擦り寄ってくれた。





その手でねてくれたいを、君に




gntmクリスマス夢企画さまに提出した作品です。