松平から近藤に持ち掛けられた、何度目かの見合い話。
またどこぞの星の天人か、とため息を吐きながら見合い写真を開けば、写っていたのは至って普通の女性で。
話を聞くと、将軍家御用達の反物屋の娘だという。


「なんでまた俺に? この人ならいくらでも貰い手があるでしょうに」


そう言う近藤に松平は、詳しい事情は知らない、とだけ言った。
ただ話が回ってきた事と、将軍から直々に受けて欲しいと言われた事。
将軍直々に、という事が近藤には引っかかったが、そう言われてしまったら断れる筈もなく。
ちらりと脳裏に己の想い人が浮かぶ。
いつものように会うだけ会えば、おそらくあちらから断られるだろう、と。
もう一度写真の中の女性を見る。まじまじと見る事で、気がついた事があった。

彼女の目には光がない。

まるで作り物のような瞳だ、と近藤は思う。
表情こそ笑顔ではあるが、明らかにそれは作られた笑みで。
瞳はレンズを見ているけれど、何も見ていなくて。
その事が、妙に引っかかりを感じさせた。



数週間後、江戸でも有数の料亭に近藤と松平はいた。
指定された時間よりも大分早く到着したが、先方はすでに席に通されていて。慌てて用意された間に通してもらう。
金箔で装飾された襖を前にして近藤は、自分の心臓がいささか早く動いている事に気がついた。

料亭の女将が襖を開ける。中には、ふくよかで人の好さそうな顔をした中年の女性と、灰蘇芳(はいすおう)色の着物を纏ったその人がいた。
見えるのは横顔だけで。どうやら窓の外の景色を眺めているようだった。
襖を開けた音も、近藤達が入ってきた事にも気がついていないようで。隣に座る女性に肩を叩かれて、ようやく近藤達に目を向ける。

ゆっくりと、近藤を見上げた瞳は、真っ黒だった。

その瞳の色は確かに黒ではあったが、色よりも強烈にそう思わされる程、その瞳は何も映そうとはしておらず。
自分を見上げるその瞳に吸い込まれそうで、近藤の背筋に悪寒が走った。
立ったままの近藤と松平に合わせて、彼女らも立ち上がり背を曲げる。
中年の女性と松平が何やら話しているが、耳を通り過ぎるだけで内容は全く入ってこなかった。
すでに逸らされている視線だったが、どうしてか近藤は彼女から目が離せなくて。
互いにぎこちなく着席し、型通りの自己紹介を促される。


「初めまして。真選組局長、近藤勲と申します」

「お初にお目に掛かります。と申します」


流れるように三つ指をつき、深々と頭を下げるその様に育ちのよさが窺えた。
それでもやはり、上げられた顔にある瞳は、暗闇を思わせる。

次々と運ばれる料理にみなが舌鼓を打ちつつ、一見すれば和やかに時間は流れているように見えた。
けれども、喋っているのは主に松平と中年の女性―の母親だそうだ―のみで。
時折、投げかけられた質問に近藤とが答えるだけである。
そんな二人に気を利かせたのか、松平と母親が離席する旨を告げた。


「後は若い二人で、楽しんでくれ」


そう言って松平は近藤の肩を叩き、の母親と部屋を後にする。

ちらりと、近藤は卓の向こう側にいる彼女に目をやった。
瞳は今伏せられていて、彼を見ていない。口直しに、と出された氷菓に向けられている。
薄黄色をしたそれは、確か柚子味だと言っていた気がする。


「近藤様」

「は、はい!?」


突然呼ばれた近藤は、思わず大きな声で返事をしてしまう。
その声量に、特に驚きもせずは言葉を続けた。


「何か、お聞きしたい事でもありますか?」


氷菓から視線を上げ、近藤を見る。その瞳は変わらず黒いままで。
何を考えているのか、何を思っているのか、全く分からない。
その瞳から何かを探るのは到底無理そうだ、と判断した近藤は素直に聞く事にした。


「……気を悪くされたら申し訳ないのですが、その……」

「はい」

「……どうして、そんな目をされているんですか?」


目、と。その声はまるで、ぽつりと零されたようにも聞こえて。
ぱちぱち、と二、三度瞬きをする。


「……近藤様には、私の目はどうお見えになりますか?」

「……違ったら、本当に申し訳ない。まるで……光を失ったように見えます」


近藤のその言葉に、の瞳がまあるく開かれる。
彼女の頭の中では、身分違いの友人の言葉が反芻されていた。

あの男なら、そちの話を聞いてくれるだろう


「光を失った、ですか。……言い得て妙です」


微笑んだつもりだったが、の瞳に映る近藤の表情を見る限り、うまく微笑めなかったのだろう、と彼女は思った。


「近藤様」

「……はい」

「今から話す事は、私の独り言だとお思いください」



には、幼い頃から親同士で決められた婚約者がいた。
家柄も身分も彼女とそう変わらない、幼馴染のような男性で。お互いに子どもの頃からの友人でもあった。

年齢を重ねるにつれ、は彼に惹かれていった。
話の巧みさ、自分を労わる優しい眼差し、いつも傍にいてくれた大切な人。
この人と一緒になれば、とても幸せだろう。きっと彼も自分と同じ気持ちだと、そう信じて止まなかった。
決められた人生ではあるけれど、彼とならうまくやっていける、笑って生きていける、と。

その、理想にも夢にも似た想いは、脆くも崩れ去る事になる。

結納を間近に控えたある日、彼女の家に急な報せが届いた。
それは、婚約者である男性が死んだというものだった。
蒼白した顔の母親からその事実を聞かされたは、ただただ呆然とするばかりで。

先日、会ったばかりで。その時も普段となんら変わりのない様子でいた筈だ
世間話をしながら食事をして、自分を家に送り届けてくれて、それから手を振って別れた
あの時も確かに彼は「それではまた」と言ってくれたのに

何かの悪い冗談だと、そう言って欲しかった。
だけれども、急いで向かった彼の家で待ち構えていたのは
真っ白な布団に寝かされ、真っ白な布を顔に被された彼だった。

母親が言うにはその時、ふらふらと覚束ない足取りで布団に近づいていったらしい。
自分ではまっすぐと歩いていたつもりだったが、違ったようだ。

馬鹿みたいに震える手で、白い布を取った。
そこにいたのは確かに想い焦がれた、いつも隣にいてくれた彼で。
血色のよかった顔は恐ろしい程に白く、唇も青紫色だった。
それでもまだどこかで、これは夢なのだと、信じられない彼女がいた。
不意に、憐れむような声が聞こえる。


――女中と、心中なんて


その言葉に振り返れば、並んで座っていた向こう側の家の人間が、ぎょっとした表情を浮かべて。
自分のものと思えないような声で「しん、じゅう?」と零れたのが、耳に伝わった。
その言葉を言った女は、立ち上がりそそくさとその場を後にする。
彼の母親が、所在なさげにに近づき、一通の文を差し出した。
それには己の名前が、彼の書く文字で綴られていて。受け取り、無礼だと思うよりも前に封を切っていた。

つらつらと、全ての顛末が書かれていた。
女中と恋仲になった事から、それが叶わない事への絶望。
自分を好いてくれているへの謝罪。
彼女が彼に想いを告げた事はなかったが、彼は知っていた。
それが、とても心苦しかったという事も書かれていて。

もし、私が貴方を好いていたら。
もし、貴方が彼女ならば。

残酷な事に、その文には憐憫の情はあっても、愛情はどこにも見当たらなかった。
彼の愛情は全て、見た事もない女中に注がれていたのだ。

ただもう、笑うしかなかった。
文を握り締めくつくつと笑うに、その場にいる全員が奇異の目を向ける。
笑いは次第に大きくなり、気がつけばげらげらと笑っていた。
とうとう気がふれてしまったか、と気の毒そうに彼女の母親が近づこうとした時、は彼の胸元に伏した。
そして、笑い声は大きな泣き声に変わる。

何がそんなに涙を流させるのか、彼女には分からなかった。
ひたすらに、胸が苦しくて。
愛した人がこの世を去ってしまった事、自分を愛しておらず一方通行だった事、きっと地獄でも彼は自分とは一緒になってくれないであろう事。
後を追っても、結ばれないなんて、そんな酷い話があるだろうか。

いつまで泣いていたのか分からないが、気がつけば自宅の自室にいた。

彼の葬式に参列した時、女中の両親が彼の両親に土下座をしているところを横目で見た。
そして次に自分達のところへやって来て、同じように土下座をする。
しかし、もう何も感じる事はなかった。
何を誰にされたって、彼は戻ってこない。戻ってきたところで、自分を愛してはくれない。

ふと、この人生に何か意味はあったのだろうか、と思った。
途端に、何もかもが嫌になった。こうして喪服に身を包み立っている事も、呼吸をする事でさえも。


――死ねたら、楽なのに


でもきっと、死んで地獄に行けば、仲睦まじい二人を見る事になるのだろう。それだけはごめんこうむりたかった。
これからどうやって、生きていくのだろう。まるで他人事のように考えた。



は話し終え、ふうと息を吐き、湯呑に入った冷め切ってしまった緑茶を飲んだ。
その瞳はゆらゆらと揺れる湯呑の水面を見ている。


「……独り言が長くて、申し訳ありませんでした」


ぺこりと頭を下げただが、顔を上げた時、また目を見開く事になるとは思ってもいなかった。
目の前に座る近藤は、おびただしい量の涙と鼻水を垂れ流していた。
彼女はぎょっとするも、その涙が同情心からくるものだろうと考える。
そんなに自分は、可哀想だろうか。客観視したところで、結局私情が入ってしまうので、その答えは見つからない。
ぐずぐずと涙と鼻水を啜り、あまつさえか嗚咽まで漏らし始めた近藤に、なんと言葉をかけたらいいのか分からなかった。
しょうがないので、手拭とちり紙をまとめて渡す。


「ず、ずびばぜん……」


遠慮なく受け取る近藤。その時、彼女の指先と彼の指先が触れ合う。
一瞬の事だったが、彼女はその温かさがなんだか懐かしかった。

近藤はちり紙で垂れている鼻水を拭き、かむ。そして手拭で涙を拭った。
あっという間にビショビショになってしまったそれを返すのは、憚られた。


「手拭、洗って返します……」


そう言われては、改めてその手拭を見た。そして思い出す。
その手拭は、いつだったかあの人がくれた贈り物だという事を。

――初めて自分で稼いだ金で買ったんだ

そうやって笑って差し出されたそれは、女物ばかりを置いている雑貨屋の包み紙にくるまれていた。

どうして、今になってそれを思い出すのだろう
そもそも、どうして渡す時に気がつかなったのだろう


「返して頂かなくて大丈夫です」

「え……」

「それは……彼が初めてくれた物なんです。でも、もう私には必要ありませんから」


がそう言うと、近藤はじっと手拭を見つめる。
それから意を決したように口を開いた。


「なら、余計にあなたに返さなくちゃならない」

「え?」

「大切な思い出の品だ。本当は手放したくないんでしょう?」


どうなんだろう、とは首を傾げたくなる。
渡した後に気がついたくらいで、思い入れはそんなにないのかもしれない。
でも、どうして今日この日にこれを選んだのか、無意識の事だったのかも分からない。
今まで捨てていなかった事も不思議だし、思い出さなかったのもおかしな話だ。

貰った時は、天にも昇るような気持ちになっていたのに

考え込んでしまったに、近藤は苦笑を滲ませる。


さんは、本当にその彼のことを愛してたんですね」

「……どうしてそうお思いに?」

「彼との思い出や彼の話をする時にだけ、あなたの瞳に光が戻った」


彼女自身は気がついていないようだったが、近藤の目にはしっかりと映っていた。
あんなにも真っ暗闇だった瞳に、春の日差しのような光が灯る瞬間を。
頬は一斤染(いっこんぞめ)に染まり、口角が僅かに上がっていて。

生前の彼にも、こんな風に微笑んでいたんだろうなァ

それがどうしてか、少し羨ましくもあって。
自分にも、そうやって微笑んで欲しい。先刻の、泣きそうな微笑みではなく。


「俺ァ、あなたに笑って欲しいと思う」


唐突にそう言われ、は戸惑う。
近藤が何を思って自分にそう言うのか、分からないからだ。
細めて自分をまっすぐに見つめるその目から、同情や哀憐の類は見受けられなくて。

不思議な、人



「近藤様は、お人好しと言われませんか?」

「あー……、よく言われます。自分ではそんなつもりないんですけどもね」


困ったように後ろ頭を掻く近藤に、今度はが目を細める。


「近藤様」

「はい?」

「これも何かのご縁ですし、もし……近藤様さえよければ……」

「よければ……?」

「……お友達に、なって下さいませんか?」


その言葉に近藤は拍子抜けする。
その様子を見て、くすくすとが笑った。
彼女の瞳には、小さくだが光が灯っているようにも見えて。


「あァ、やっぱりさんは、笑っていた方がいい」


俺の見立ては間違ってなかった、と、うんうん頷く近藤を見ていると、彼女は心の中に穏やかな波紋が広がっていくのを感じた。











企画「心中刃は氷の朔日」様に提出した作品です。