仕事を終え、自宅最寄りの駅に降りる。
彼は今日お休みだった事を思い出し、今頃何をしているんだろうと思いを馳せてみる。

今朝は慌ただしく家を出たものだから、手袋を忘れてきてしまった。
ほとんど電車に乗っているとはいえ、すっかり手はかじかんでしまった。

腕時計を見ればもう夕飯時だ。お腹の虫もそうだと鳴いている。
何を作ろうか。それとも適当に買って済ませてしまおうか。そんな風に色々と案を出しては悩んでいた。

出口に続く階段を上り、すぐ側にコンビニがあるのを思い出した。思考しているうちに面倒になってきてしまい、もうそこで済ませてしまおうと決める。
足元を見ていた顔を上げ、目に入った人の姿に立ち止まった。


「勲?」

「おォ! おかえりィ!」


犬が尻尾を振っているみたいな勢いで腕を振っているのは、さっき思い出していた大切な人。
休みは返上になっていなかったようで私服だ。暗い中でも分かる赤いマフラーと満面の笑みが眩しい。

はっとして小走りで駆け寄る。急な動きに疲れた体がついていかなかったのか、足がもつれる。


「あっ」


そう思った時にはもう遅かった、とはならずに済んだ。


「大丈夫か?」

「う、うん」


咄嗟に腕を差し伸べてくれたみたいで、見事彼の胸の中へ飛び込んでいた。
 
この関係になってもう長い。
片想いをしていた時や、初めて手を繋いだ時のもどかしい疼きやくすぐったさを感じる機会は少なくなっていた。
でもこうして簡単に私を抱き留めてくれるところや見上げた顔の近さに、血液の巡りが一気に早くなって顔が熱くなる。


「どうした?」

「な、んでもない……。ありがとね!」

「おう!」


細かい私の変化に気がつかないでいてくれるところも彼らしい。
そのおかげで落ち着きを取り戻して、少し乱れてしまった着物を直してから向き直る。


「今日も仕事お疲れさん」

「うん、ありがと。勲はちゃんと休めた?」

「あァ。お、そうだ」


そう言って差し出されたのはコンビニの袋。中には何か入っている。


「何、これ?」

「寒いだろうと思って買っといた!」


受け取り覗き込めば湯気が立ち上り、見えたのは二つの白い物体。


「肉まん?」

「さっき買ったばかりだからな! まだ温かいぞ!」


彼の言う通り、取り出すために指先で触れれば温度が伝わってくる。
きっと私が帰ってくる時間に合わせて買っておいてくれたんだろう。
店内の蒸し器の前で時計とにらめっこをする勲の姿が浮かんで、本人の前だけど笑ってしまった。


「どうした?」

「ううん、なんでもない。あ……」

「ん?」


もう一度肉まんを見る。普段食べている物より大きく見えた。


「これ、大きいサイズ?」

「そうだぞ」

「……これ食べちゃったら夕飯食べれなくなるかも」

「あ!」


せっかく彼が会いに来てくれたなら、このまま家まで来てもらって夕飯を作ろうと思った。
けれどこれを食べてしまうと満腹とはいかないだろうけど、そこそこにお腹が膨れてしまってまともに食事ができないだろう。


「いかん! そうだった!」

「勲が来てくれたから家で何か作ろうと思ったんだけど……どうしよう」

「うーん……よし、俺が二つとも食おう」

「え!」

「なに、これを食ったところで俺の腹は膨れんよ」


勲は多分、私が言った「え!」は、肉まんを二つも食べたら夕飯は食べられないんじゃないか、という戸惑いだと思ったんだろう。
実はそうじゃなくて、せっかく彼が私のために買ってくれた肉まんを一口も食べられないかもしれない、という戸惑いだった。


「待って!」


勲はいつの間にやら肉まんを手にして大きく口を開けていた。
思わずその手を掴み、自分の方に引き寄せる。

柔らかく口に含めば、雲みたいな見た目に反して弾力のある食感と、具材の少し濃いめの味がじんわりと広がる。


「おいしいね」

「食べて平気なのか?」

「一口だけねなら多分……。買ってくれてありがとう」


口元を押さえてお礼を言えば、蛍光灯の光に照らされた頬が僅かに染まる。
それを見た私の頬も同じ色に染まった。少し照れ臭くなってしまって突き返すように彼の手を押せば、反対にそのまま掴まれる。


「手、すごい冷たいな」

「そう?」


勲に会えた嬉しさですっかり忘れていた。
思い出せばじわじわと冷たさが蘇ってくる。

彼は手袋をはめているので体温は直に伝わってこないけど、それでも温もりを感じられる。
やんわりと包まれていた手が解放される。なんだろうと彼を見ていると、いそいそと手袋を外していた。


「どうしたの?」

「ほら」


大きな両方の手の平が私の方に向けられる。目を細めて口角を上げた顔に、今日一番心臓が音をたてた。


「……ずるい」

「ん?」

「なんでもない!」


勢いに任せて、氷みたいになってしまった手で勲の手を握った。


「冷たっ! いくらなんでも冷た過ぎでしょおおおォォォ!」

「そう?」

「感覚麻痺しちゃってるから!」


緩く握っていたのに、力を込められて隙間がなくなる。近づいた距離にまた胸の音がうるさくなって、心が締めつけられる。


「帰るか」

「うん」

「繋いだまんまでもいい……?」


子犬が飼い主に甘えてもいいかと問うような目をしている。
どちらかといえば子犬じゃなくてゴリラと形容される事が多いけど、私にはまさに可愛らしい子犬にしか見えないのだから、これも恋の成せるわざだろう。

雪が降ってきてもおかしくない空気の中、繋がれた手の中で上がっていく温度が愛おしかった。





君と肉まんと私