永遠なんて、この世に存在しないと思っていた。
生きているものはいつか死ぬ。物はいつか壊れる。
この地球だって、いつかは滅ぶ運命にあるだろう。

永遠なんて、存在しなければよかったのに。



「トシ」

「ん?」

「……別れよう」


砂利道を歩きながら、彼の背中を見てそう言った。
黒に近い灰色の着流し。それよりも黒い夜空には星が輝いてる。

歩みを止めて、彼がこちらに振り返る。
いつもは鋭い瞳も、こんな時は丸くなるんだなぁ、なんて考えていた。
丸い瞳は、何かを探るように細められる。


「一体どうした」

「どうしたもこうしたも……ずっと考えてたんだよ」


そう、ずっと考えていた。

私達の関係の始まりは、私の告白からだった。

同じ真選組にいて、色んな男性がいる中で、彼に惚れてしまったのが運の尽きだったのかもしれない。
その瞳は、まっすぐと前を向いているようで、いつだって過去を見ていた。
いや、過去の中に生きる一人の女性を、見続けていた。



「ミツバさんのこと、忘れられないんでしょ?」



最初はそれでもいい、と。
傍にいられるなら、それだけで幸せだと思っていた。
生きている女性の中で、一番近くにいれば、いつか彼も私だけを見てくれる筈だと。
淡く脆く、そんな希望を抱いていた。

トシは、思いの外優しかった。
真選組の一員である時は、副長と一隊士として厳しく接してくれと言ったのは、私で。
公私混同なんてもっての外だと、そう言った。
その言葉の通り、隊での彼の態度は交際の始まる前となんら変わりはなかった。

けれども、職務を離れれば、立派な恋人同士だったと今でも思う。
休日が合えば、こうして出かけたり、夜にお互いの私室にこっそりと行き来したり。
肌と肌を重ねる事も、少なくなかった。
掠れた声で「」と甘く囁かれる自分の名前に、涙を零す事もあった。
頬に指を滑らされて、微笑む事もあった。

それだけで、満足できる女でいたかった。
そうであれば、今こうして、こんな想いもしないで済んだのに。

きっかけなんて、本当に笑ってしまうくらい、単純な話で。
彼が寝言で、ミツバさんの名前を呼んだのだ。
それも、私に見せた事のないような顔をして。
隣でうつらうつらしていた私は、悪い夢なんだと思いたかった。
けれども、鈍器で殴られたような衝撃も、その後殴った腕の痛みも、全部が本物で。



「なんでそう思うんだ」

「……一緒にいれば、分かるよ」



目を見られなかった。
自分の腕を、自分で抱えて、震える指先を見つめていた。

目を見てしまえば、全てが壊れそうで。
トシの瞳がどんな色をしていても、私にとっていい事はないだろうと思っていた。

たった一度の事。そう思えたら、どんなに楽だったろう。

それ以来、トシといてもミツバさんの影がちらつくようになった。
私に囁く声も、触れる手も、全ては彼女にしたかった事なんじゃないかと。
私という肉を通して、ミツバという魂に触れているんだろう、と。

決定打は、夢を見た事だった。

やけにリアルな夢だった。
屯所で、私は縁側に座りトシの鍛練を見ていた。
風鈴が鳴り、汗を拭いながら笑ってこちらに来る彼。
手を伸ばそうとするが、腕が動かない。
視界に、私以外の白い腕が映る。トシは、私の手ではなく、そちらの手を取った。
すぐ隣に誰かいた。それは紛れもなく、写真でしか見た事のないミツバさんだった。
綺麗な桃色の着物を着て、彼に抱かれる。
トシの横顔しか分からなかったけれど、とても優しい表情をしていた。
そして、彼の腕の中にいる彼女が、こう言った。


あなたは、私の代わりなのよ


そこで、夢は途切れた。





「……がそうしたいんだったら、俺は構わねェ」


長い長い沈黙を破ったのは、そんなトシの一言だった。
震えが止まり、私は顔を上げた。

トシの顔を見る。彼の気持ちが、何も分からなかった。
ただ、その顔を見ていると、後から後から涙が溢れてくる。
楽しかった、嬉しかった思い出達が、涙と共に流れていく。

彼が近づいてきて、そっと抱き締められる。
煙草の香りに混じって、トシがいつもつけている整髪料の匂い。
ぽんぽん、と頭を撫でられ、それから体温が離れていく。


「今まで、ありがとな」


砂利の擦れる音が、だんだん遠くなる。
なのに、私の嗚咽は大きくなるばかりで。










星星にさえ永遠は無い










永遠は、存在するんだと思っていた。
自分の中からきっと、彼女の存在は消える事はないんだろうと、そう思っていた。

が、俺を好きだと言った。隣にいたいと、そう告げてきた。
アイツを失ってから、どれくらい経ったのか数えるのもやめた頃だった。
普段は強気なくせに、その時ばっかりは目に涙を溜めて、顔を真っ赤にしていた。
その姿がやけに可愛く思えて、俺は頷いていた。

ころころと変わる表情は見ていて飽きなかったし、時々する女の顔に柄にもなく心臓が早くなったり。
気がつけば、頭の中にはいつだっての存在があった。


夢を、見た。


俺は庭で鍛練をしていて、縁側には彼女の姿があった。
桃色の着物を着て、淡く微笑んでいた。
何かを呟いていたが、木刀を振る音でかき消されてしまう。
腕を止め、彼女に近づき耳を傾けた。


幸せに、なってくださいね


ミツバ、と呼べばその姿はいつの間にかになっていた。
ハッと目を覚ませば、隣にいた筈のがいなくなっていた。
その日以来だ、の様子がおかしくなったのは。
どこかよそよそしくて、でも片時も俺の傍を離れようとしなかった。



夜、散歩でもしようと言い出したのはだった。

砂利道を歩いていると、いつもは隣に立つが俺の後ろを歩いていた。
不意に、砂利の音が聞こえなくなって、その代わりに聞こえてきた言葉。



「トシ」

「ん?」

「……別れよう」



理解できなくて、振り返れば、は俯いていた。
こいつは、こんなに小さかったか? と思う程、縮こまって、手を震えさせていた。



「一体どうした」

「どうしたもこうしたも……ずっと考えてたんだよ」



やっと絞り出した声はとても情けなくて、でも、聞こえてきたの声はもっと小さかった。



「ミツバさんのこと、忘れられないんでしょ?」



どうしてがそんな事を言うのか、分からなかった。
実際に、今もこうして立っていられるのはのおかげでもあったし
彼女のことを思い出す事も、もうほとんどなかった。
ただまっすぐと、俺の想いはお前に向いているというのに。



「なんでそう思うんだ」

「……一緒にいれば、分かるよ」


俺の目も見ずに、そう言い切る。

分かっちゃいない。どうして、お前はそう思うんだ。
言いたい事は山程あったが、目の前にいるを見ると、全ての言葉を飲み込まざるを得なかった。

小さく縮こまった体。震える手。か細い声。
俺の何かが、を苦しめているのだと理解した時、選択肢はひとつに絞られた。



「……がそうしたいんだったら、俺は構わねェ」



ただ、最後に触れたかった。
そっと近づいて、その体を抱きしめる。

嗅ぎ慣れた洗剤の香りも温もりも、できる事なら離したくはなかった。
寝る前にしていたように、頭を撫でれば、びくりとの体が揺れた。


「今まで、ありがとな」


離れて、の顔を一瞬だけ横目で見る。
涙が溢れていた。どうして、そんな顔をしているのか分からなかった。
お前が出した答えなのに、なぜ苦しそうな表情をするのか。

砂利の音がまた耳に届く。それは一人分の足音。
背中の方で、できれば聞きたくなかった泣き声が聞こえる。



永遠なんて、存在しないのだと、思い知らされた。










Title by as far as I know
企画「bitter」様に提出した作品です