――


あの人の声でまた今日も目が覚める。
その声は夢の中の産物であって、決して彼本人から発せられる物じゃない。
分かっている。分かっていても、思い出してしまう。
封印しても、塞いでも、忘れようとしても。
忘れたつもりでも結局求めている事に気がつくのだ。


「トシ……」


手を伸ばしたってもう届かない。
誰より好きだと叫んだところでもうあの人は帰ってこない。
ひとりきりで、鉛のような日々を過ごしている。
離れれば離れた分だけ、伝わらなければ伝わらないだけ、想いは募っていくから性質(たち)が悪い。

布団から抜け起きて、ふと机の上に置かれた物を見た。
それは、あの日トシが置いていった忘れ物。
彼特注のライターと吸い掛けの煙草。それを吸わない私にとって必要のない灰皿。

いつもならどんなに大きな喧嘩をしたって、どんなに酷い事を言ったとしても時間が経てば
苦い顔をして丸ごと抱き締めてくれたのに。

瞼を閉じても、夢の中でさえも会えない。願えば来てくれるんだろうか。
それはきっと、あの人から見れば大した意味を持ち得ないんだろうけど。

ただありきたりな日々をトシの隣で過ごせれば、他にもう何も望むものなんてなかったのに。


「馬鹿みたい」


そんな事を考えたって彼が私のところに帰って来てくれるなんて事、ありもしないのに。

頬を両手で軽く叩き立ち上がる。
風にでも当たれば、少しは気も紛れるだろう。



朝焼けが眩しい。自宅の前から適当に道を歩いている。

最近ここのところ、夢の中の彼の声でこんな時間に目が醒めてしまう。
姿が見えなくても、声だけでも聞こえるなら夢の中にずっといたい。
何度そう思っただろう。

一人で俯きながら歩いていると、前から誰かの足音が聞こえてきた。
こんな時間に珍しい、と思い顔を上げれば。
そこにいたのは夢でも何でもない、紛れなく本物の恋焦がれ求めた人がいた。


「……ト、シ」


私の声に反応するように、彼が見透かす。
目を丸くするでもなくただ真っ直ぐに射抜くその視線は、どこも変わっていなくて。
滲んでいく景色に混じって、彼が動き出した。

でも、なぜだろう。
彼は私が目の前にいるのに、一直線に。そう、私にぶつかる位置のままこちらに歩いてくる。

ぶつかる、と思い目を閉じた次の瞬間。
彼の体はぶつかる事なく後ろへと過ぎて行った。


「え……?」


勢いよくと後ろを振り返れば、何かの目印のように置かれた小さな石の前に、彼が座り込んだ。


「……


その声の色は確かに夢の中で何度も聞いてきた声で。
でも彼は今ここにいる私に声をかけていない。目の前の小さな石に声をかけている。

どういう事なんだろう。これは何の冗談なのか。
問いかけようとしてトシに近づき、そっと肩触れた瞬間。
流れ込んでくるように、過去の事が鮮明に蘇った。


――っ!!


トシの焦ったような叫ぶ声。


開かれたままの瞳から、涙が一筋だけ零れた。


私達は喧嘩別れをした訳じゃなかった。
喧嘩をしたあの日、思い直して帰っていった彼を追いかけた。
道の向こう側にトシがいるのを見つけて。

早く謝らなくちゃ

そう思って何も見ずに道路へと走り出していた。


「……、お前はどこまで間抜けなんだよ」


彼の手に握られた小さな花束が揺れている。
よくよく見ればそれは、私がずっと好きだと言い続けていた花ばかりで。


「なんでお前が、俺のこと置いて先に逝っちまうんだよ」


揺れていたのは花束じゃなく、彼の肩だった。
目を凝らして見れば、肩だけじゃなく体全体が少しだけ、ほんの少し。
誰も気づかないくらいに揺れている。


……ごめ、んなさい

「まだ、今なら許してやっから……隠れてんなら出て来いよ!」


あまりにも痛過ぎる声でそう言うあなたの後ろにいるのだと伝えられたら、どんなに幸せか。
それでも、もう。
透けてきた手の平にそんな事ができる程の力は残っていなくて。

しばらく黙っていたトシが一度だけ鼻を啜り花束を置き、立ち上がってまた来た道を戻っていく。
その時すら彼の顔が見られなくて。

だって、きっと。
目元を真っ赤に腫らしてしまった顔を見たとしても、慰める術を私ははもう持っていないのだから。

風が、強く吹いた


――トシ


去ろうとした土方の耳に届いた声。
振り返ってもそこにあるのは、小さな墓石と彼が持ってきた小さな花束だけ。


……?」


その声に反応するように、もう一度だけ強い風が辺りを吹き抜けていった。





刹那の逢瀬に僅かな希望を





Image song「夢のうた」by 倖田來未