それは草木も眠る丑三つ時。
屯所内にある土方の私室から漏れるのは、女の甘い吐息。


「……っ、ん……」

……」


土方が、さり気なく彼女の帯に手を伸ばす。
いつもならそのまま布団へとダイブしているのだが。


「ちょっと待って」

「は?」

「トシ、また煙草とマヨネーズの量増やしたでしょ?」

「……なんで分かるんだよ」


は乱れた髪を直しながら押し倒された体を上げる。
その動作によって否応なしに、土方は体を覆さなくてはいけなくて。
「キスした時の匂いで分かるの」と、彼の額にデコピンをかました。


「当分、キスもお触りもなしね」

「お触りってお前……いきなり何なんだよ」

「私は口から煙草とマヨネーズの匂いしかしない人なんて嫌です」


言いながら彼女は、ピシャリと障子を閉めて出て行ってしまった。
心なしか語尾がややきつく聞こえて。
残された土方は、中途半端な熱と口臭宣言された事に頭を抱えていた。





「おう、今日も早いな!」


土方の後ろには、朝っぱらから意気揚々としている近藤がいる。
珍しくどんよりとしている土方の顔を見て、ぎょっと顔を歪めた。


「トシ、どうした……? あ、もしかしてあの日?」

「俺は女じゃねェ! なんだよあの日って!」

「……痔?」

「痔の日ってどんな日だあああァァァッッッ!!」

「なんで抜刀してんのおおォォォッッ!? 今日機嫌悪過ぎいいいィィッッ!!」


はあはあと肩で息をする土方を、必死に近藤が宥める。
「な、何かあったの?」と怯えた目で聞いてくる彼を見て、どうにかこうにか平常心が戻ってくるのを土方は感じていた。


「……なあ近藤さん」

「ん?」

「俺って……口臭いか?」


その一言で、近藤の閉口していた唇がぽかんと開いた。


「へェー、そんな事があったのか」


場所は変わって、近藤の私室。
真ん中にドカリと彼が座り、その前に対峙するように土方が座っている。
昨日の土方との話を聞いた近藤は、うーんと首を捻った。


「近くで喋ってもそんなに気にならないがなァ。お前の場合口と言うより、体全体から煙草の匂いがするから」


その言葉はフォローでもなんでもなく、ただの率直な感想だ。


「……キスした時に臭うんだと」

「ははは、これじゃあトシも形なしだな!」


妙に嬉々とした近藤を見て、土方は青筋が立つ感覚を覚える。
そんな彼の殺気に気づいたのか、近藤が慌てて「まァ気にするなよ!」と言う。


「土方さんも大概鈍感ですねぃ」

「なんでテメェに言われなきゃって総悟おおォォッッ?!」


いつの間にか、隣に並んでいた沖田に抜刀しかける土方。
「なんだお前、気づいてなかったのか?」と近藤はあっけらかんとしている。


「俺は知ってますぜ、なんでさんが急にそんな事言い出したか」

「ああ?」


ニヤニヤと自分を見上げる沖田を見て、土方は嫌な汗が背中を流れるのを感じた。





「おい、

「はい?」


夕刻、市中廻りから帰ってきた後ろ姿に声をかける。
呼ばれて素直に振り返るの頬には、笑みが浮かんでいて。それは後ろにいるのが誰か分かっているからだろう。
不覚にも土方は、その笑顔に動悸を一瞬だけ激しくさせた。


「……その、やっぱりまだ触っちゃダメか?」


夕陽のせいではなく確かに頬に集まる熱のせいで、土方のそこは赤く染まっている。


「ダメですよ、煙草の匂いとマヨの香りをどうにかしてくれなきゃ」


彼にしては珍しく恐る恐る伸ばしてきた手を、容赦なくピシャリと叩いた。


「……お前が、俺の体を気遣ってくれるのはありがてェんだがよ」

「……なんで、理由がそれだって分かったの?」

「総悟に教えられたんだ。この前の健康診断の結果見て、が心配してたって」

「じゃあ、これからちゃんとその生活を改めてくれて、それが目に見えたら考えます」

「それじゃあ俺が我慢できねェんだって」


不意をついて、土方は彼女を自分の腕の中に閉じ込めた。
「約束違反!」と駄々をこねるの頭を、強引に胸に押しつける。


「……だって、それで体壊された日には、気がおかしくなっちゃいます」


呟かれた言葉は存外弱く聞こえた。
抵抗がなくなった代わりに、土方の腹部辺りをぎゅと握る彼女の手がある。


「ただでさえ危ない毎日なのに、これ以上危険指数高くしてどうするんですか?」

「俺は簡単に死なねェよ」

「過信と油断は禁物です」


何も全面禁止にしてるんじゃないですから、と。
膨れっ面で言葉だけは反抗しているを見て、苦いような甘いような笑みが零れた。


「……心配されるのも、悪くねェかもな」

「何呑気な事言ってるんですか!」


正拳を土方の鳩尾に突いた彼女は、悶絶する土方の腕からするりと抜け笑いながら高らかに言う。


「まあ、これに懲りて煙草もマヨも摂取量は控えて下さいね!」


テメェ、と涙目で彼女を追う土方の目には怒りではなく謝罪と感謝の色が浮かんでいた。

その日以降、食事の際に並ぶマヨの量や灰皿に山となっている吸殻の量が
ほんの少しだけ、全く訳の分からない人間から見たら変化があるのだろうか、と思えるくらいの量だが
減ったとか、そうでないとか。





不安のを取り払って