辰馬と結婚するんだ

旧友の女に、酒を飲みに誘われて。
その帰り道、やけに星が綺麗だな、なんて思いながら空を見上げた時、いきなり告げられた言葉に俺は
何も言えなかった。


「……おめでとう、くらい言ってくれてもいいんじゃない?」


空から目を離して、隣の女を見れば、少し膨れっ面で俺を見上げている。
きっとまぬけな顔をしている俺を見て、はその顔を一度だけ真顔に戻して、やんわりと笑った。
「急な話だから、驚いてるか」と。


「この前辰馬が地球に来た時にね、プロポーズされて。それで、来月には仕事も辞めて、辰馬の船で暮らすんだ」


見れば確かにその証拠か、左手の薬指に到底今の俺じゃ買えないような、立派な指輪がはめられている。
キラキラと光る原因はそれだったかと、なかば無理矢理他の事を考えた。


「銀時は? 彼女とうまくいってる?」

「俺、か?」

「うん」


彼女なんて、もういないんだよ
言おうとして、やっぱり止めた。
言ったところできっと、この現状を打破できるわけでもないから。





「銀時のことが、好き」


そうに言われたのは、今から大体一年前くらいで。
その日も今日みたいに、酒を飲みに行った帰り道。
大して飲んでいなかったのに、顔を赤くさせて、三歩後ろで俯いて震えながらは、確かにそう言った。


「……わりィ」

「え……」

「言ってなかったのも悪いんだけどよ、俺今彼女いんだわ」


その時の俺には、他に女がいた。
とは攘夷の時からの付き合いだったけれども、一度も女として見た事がなくて。
だからまさか、自分がそういう風に見られていたなんて、思いもしなかった。

泣くかと、思った。
女なんて、皆そんなものだと思っていたから。

現にその時付き合っていた女も、事ある毎によく泣いていた。
記念日を忘れられた、他の女と喋った。
面倒なのは変わりないが、それが女の醍醐味だと思っていた。


「そっかぁ……本当に、全然気づかなかったよ」


けれど、はいつもみたいに、気の抜けたような顔でヘラリと笑った。
「それなら早く報告してくれればいいのに! フラれ損だよ!」と。
少し怒った顔をして、冗談なんかも言って。


「なんかごめんね、気にしなくていいから」

「あ、や別に、俺こそ」

「これでギクシャクするの嫌だからね? これからも飲みに付き合ってもらうんだから!」


顔を上げれば、いつもの笑顔でそう言う。
その笑顔にホッとした自分がいた。
「おう」と返し、三歩後ろにいたは俺の隣に並んで、その日はそのまま帰路についた。

家に帰れば、そこには彼女がいて。
「またあの人と飲みに行ったの?」なんて苦い顔されたけど、俺はそんな言葉を無視して、家の下で手を振っている
いつものようにじゃあな、と。

けれど、いつもならそこにいる筈のは、もう姿も形もなくて。
上げかけた手を、無意味に戻しただけ。


「まあ、な。ボチボチやってるよ」

「銀時はどっか抜けてるから、記念日とかまた忘れてるんじゃない?」


辰馬は、女の私より記念日とかにうるさいけど
そんな言葉を吐くの横顔は、あの時見た女の顔そもので。



それから三日間、珍しくから連絡がなかった。
いつもなら一日、間を空けて何かしらの連絡があった彼女だから。
違和感を覚えた矢先だった。

通い詰めている甘味所からの帰り、スクーターに乗って。
もうすぐで家だと、そんな場所から見えた一人の女。
それはで。
万屋の看板を見上げているのが、見えた。

俺はスクーターから降りて、ゆっくりとそれを押しながら家に近づく。
別に普段と変わったところはなく、ただは看板を見上げてた。

クシャリと歪んだのは、風景でも、なんでもなくて。
の表情だった。

もっと近づけば、すぐに分かった。
その目は毎日泣いていたかのように、赤く腫れ上がっていて。
まだ泣き足りないのか、道行く野郎共の視線も気にしないで。
はただただ、泣き続けていた。

その顔は、友人の顔でもなければ、紛れもなく女の顔で。
それが初めて意識したの女の部分だった。
そんな彼女に俺は、どうしても声をかける事も近づく事もできなくて。

は着物の袖で頬を拭うと、また自分の家へと歩き出す。
その次の日、いつもの調子でから電話が掛かってきた。


「たまには、他の星のお土産でも持って帰ってくるよ」

「おう」

「まあ、あと一ヵ月は色々と準備しなくちゃいけないから、こうやって飲みに行くのも、当分ないかもね」

「そうだな」

「飲める時はとことん飲もうね。あ、そうだ、今度三人で飲もうよ!」

「三人?」

「うん、辰馬も久しぶりに銀時と飲みたいって言ってたし」


そうやって俺を見上げて笑う顔も、銀時って呼ぶ声も。
俺のことを好きだと、言ってくれたお前の気持ちも。
全部もう、手に入らないんだと。

薄情なもので、の女の部分を見てから、隣にいた女に対する気持ちはどんどん薄くなっていった。
薄くなっていたんじゃなくて、への気持ちが、沸々と湧き上がってきたのかもしれない。
一ヵ月もしないうちに、俺は彼女に別れを持ち出した。
意外にもあっさりと女はその申し出を受け入れてくれて。
「だって銀、いつも一緒にいたって他の人のこと考えてたもん」と、泣きながらそう残した女の残像は、もう見えない。

一人になったところで、俺からに気持ちを伝える事はできなかった。
一度フッてしまった俺が今更、何を言えばいい。
えんえん悩み抜いた挙句、俺の出した答えは待つ事。
もう一度が、俺に好きだと言ってくれるのを。
浅はかにも俺は、そうするしかなかった。

途端かき消されるように、携帯の震える音がした。
その携帯はの物で。慌てて携帯を取り出す。
画面を見た瞬間の、喜んだ顔はあえて見ていない事にした。


「辰馬? どうしたの?」


向こう側からノイズ交じりで聞こえる、聞き慣れた声。
まだ宙にいるのだろうか、ずいぶん電波の入りが悪い。


「え、明日こっちに来るの? うん、うん……分かった、じゃあ空けとくね」


そう言い終わると、は一瞬だけ黙って。
それから照れたように笑って。馬鹿、とだけ呟いた。
今、お前は何を言われたんだろう。
想像もしたくないけれど、きっとあいつのことだから。
分かってしまう自分の脳みそが、ひどく憎たらしい。


「ごめんね」


携帯をしまって、俺を見てそう言う。
その顔も表情も、全部もうアイツのもので。
思った瞬間壊したくなる衝動。


「何、あのモジャモジャ明日来んの?」

「うん、何か私の仕事先に挨拶だってさ。普段無頓着なくせに、そういうところだけはしっかりしてるよね」


また歩き出す。
どちらとも、歩こうかと言わなくても歩調が合う。
まだ出逢ったばかりの頃は、俺の歩幅がでかくて、一生懸命後ろからついて来るを、よく笑って待っていた。
気づけば俺の歩幅も、こいつと歩く時だけは小さくなっていた。

土手の端っこ、ここで俺達はいつも別れる。
他愛もない話も途切れて、が俺を見上げた。


「じゃあ、またね」

「……おう」


そのまたね、が。
さようなら、に聞こえて。





「銀時?」


行くな、と言う代わりに、の腕を掴んでいた。
驚いた表情で、やっぱり俺を見上げる。
なに? と聞くその口を塞ぎたいと思うのは、きっといけない事で。


「……石、あんぞ。そのまま行くとまたド派手に転ぶっつーの」

「あ、本当だ。ありがと」

「……

「ん?」



お め で と う


声にしないで、口だけで言ったのは、それが本心じゃないから。
でもきっとお前は、これもいつもの俺の悪ふざけだと、そう思ってくれる筈だから。

嬉しそうに笑っては「ありがとう」と、今まで俺が見た中で一番綺麗な笑顔で言う。
手を振って、もう違う道を歩くを、ぼやける視界で捉えた。

後悔したって、謝ったって。
もうあいつを手に入れられない事くらい、分かってる。
分かっていても、感情はそれを許さない。
許せない代償に出てくるのは、情けないため息と涙。

なら、いつか許せる日が来るまで。
あの口だけで言った「おめでとう」を、ちゃんと声にできる日まで。
きっと俺はお前を、愛し続けるんだろうな。


「あのな、。俺、お前のこと、好きなんだわ」


誰もいない道、暗い夜空に吸い込まれていく言葉はもう、届かないだろう。





溺れたのはきっと、愚かな自分