ずっと独りだった。

一番古い記憶は、知らないおばさんにとても強い力で肩を抑えつけらながら、おそらく母親であろう女の人が去っていく場面。
その後に思い出せるのは、来る日も来る日も折檻されながら奉公していた事。

そのうち攘夷戦争が始まって、縛りつけられていた家がなくなりそこにいた人達もいなくなって。
どこにも行く所なんてなかったし、未来に希望も何もなかった。
罪のない人々の死を目の当たりにしながら、どうせなら自分が真っ先に命を落としてその代わりに誰かが生き延びられれば、と本気で思っていた。

結局、運がいいのか悪いのか分からないけれどのらりくらりとしている間に戦争が終わった。
生きていく術は持ち合わせていたから、まず住み込みで働ける所を探して貯金をした。
ある程度貯まったので、狭いながらも自分の家を手に入れて。
それからまた仕事を見つけて、気ままに生活している。

このままおそらく独りきりで生きていくんだろうなぁ、なんて漠然と思っていた。
器量がいいわけでもなくなんの取り柄もない、こんなにもつまらない人間と一緒にいてくれる酔狂な人なんていないだろう。
寂しいとか大切にされたい、愛されたいという想いはこの方抱いた事もなく。
だからなんの支障もないと、本気で思っていた。

それなのに、いつからだろう。こんな感情を覚えたのは。



彼と出逢ったのは、働いている甘味処だった。
私が働き出す前からの常連らしく、初日に出くわした。

飲食店での仕事は経験があったから、ある程度の事を教わり一人で接客をしていて。
店内のお客さんがぽつぽつとしかいなくなった頃に、彼はやって来た。

がらがらと引き戸が開く音。すぐにそちらを向いて、いらっしゃいませ、と声をかける。
入ってきたのはふわふわした銀色だった。
珍しい髪色だなぁ、なんて思いながらお茶とおしぼりを持って席に案内した。
彼は、うっす、なんて言いながら椅子に腰かけてメニューに目を通す。
お茶とおしぼりを置いて一度席を離れようとすると、すぐに注文が決まったらしく呼び止められた。
そこでようやく初めて視線が重なった。

やや茶色がかった瞳はともすれば死んだ魚の目、なんて形容されそうな色をしていて。
けれど、その後ろ側というか奥底には信念だとか強い意志みたいなものがあるのが分かった。
私とは正反対の瞳。率直な感想はそれだけだった。
それでもなんだか妙に惹きつけられる目で、声をかけられるまでどうやら凝視していたらしい。


「あのォ、俺の顔になんかついてます?」

「あ、すみません。ご注文お伺いします」


慌てて笑顔を取り繕って注文を聞く。それを厨房に通し、数分してできあがったパフェを運び会釈をして下がった。
黙々とそれを口に運んで食べ終えた彼は、ささっと会計を済ませて帰っていった。

それからちょくちょく、多い時で一週間の半分くらいのペースで店にやって来た。
いつのまにか少しずつ会話をするようになり、その中で彼の名前が坂田銀時で万屋事を営んでいる事を知った。

銀さんの話は大抵が面白かった。
彼の話し方はやや嘘くさいところもあったけれどそれでもなんとなく説得力があって、ほとんどの事は本当の事なんだろうと思いながら耳を傾けていた。


さん、よく笑うようになったね」


ある日店長にそう言われて「そうですか?」と返した。
それに対して「銀さんと話すようになってからかなあ」と返される。
思い返してみるものの、自分では全く分からなかったし自覚もなくて。
ただ確かに銀さんの話は面白いし、また聞きたいとも思っていた。
だからずっとお店に通ってくれればいい、いっその事毎日でも来てくれればいいのに、なんて思ったりしていた。


「……は?」


それら全てを銀さんに伝えた。すると、新作パフェをつついていたスプーンが手から滑り落ちて、口が大きく開いた。
なんで彼がそんな反応をするのかよく分からなくて、首を傾げる。


「いやあのサン、それってまさか……告白?」

「告白? なんのですか?」


一体銀さんが何を言いたいのか、当時の私は全く分かっていなかった。
それに気がついたのか彼はがっかりしたような苦笑を浮かべる。
落としてしまったスプーンを片づけて新しい物を渡す。それをぶらぶらさせながら、何かを考えているようだった。


「なァ」

「はい」

「……今度、どっか出掛けるか」


断る理由もないし、むしろ楽しそうだと思ったのですぐに了承した。
その場で一番近い空いている日を聞かれ、どこに行きたいと聞かれどこにでも答えた私に銀さんはまた頭を抱えていた。



よく晴れた日曜日で出掛けるにはもってこいだな、なんて考えながら待ち合わせ場所に行く。
少し早めに着いたおかげで銀さんはまだいなかった。
約束した時間に彼はやって来て「適当に歩くか」と言われ頷いた。
歩き出す前に左手を差し出される。


「ん」


とりあえず握れば、そのまま握り返されて歩き出す。
少しだけ引っ張られて隣に並んだ。

誰かにこうして隣に立って歩いてもらう事や、手を繋いでもらう事は初めてで。
こそばゆいような、照れ臭いような感じた事のない感覚がした。
それでも不思議と嫌だなぁ、とは微塵も思わなかった。
それより、伝わってくる手の平の柔らかい温度や横にある優しい気配に安心感を覚えた。


「なんで笑ってんの?」

「え、笑ってます?」

「おう。めっちゃにこにこしてんぞ」


どうしてか分からなかったのでやや思考を巡らせてみると、幸せを感じているからかもしれないという結論に至った。
ただ、今まで感じた事のあるおいしい物を食べた時のものや、動物と触れ合ったりした時のようなものとは違う気がして。


「多分、幸せだなぁって感じてるからだと思います」

「お、おう」

「こうしてもらうの、初めてなんです」


なんの気なしに零れた言葉だった。けれど隣にある雰囲気が少しだけ変わったのは分かった。
銀さんの顔を見上げれば、なんとも言い難い表情で。なぜか泣きそうだと思ってしまった。


「どうかしたんですか?」

「……いや、なんでもねェ」


重ねていた手の平の力が、ほんのちょっとだけ強くなった気がした。

それから町の中をぶらりぶらりと歩いた。
雑貨屋を覘いたり、新発売だという食べ歩きのできそうな甘い物を買って食べたり。
陽ざしがだんだんとオレンジ色になった頃、公園のベンチに座って他愛もない話をしていた。


「聞きたい事あんだけど」

「なんですか?」


その続きを言っていいのか迷っているのが、目が泳いでいるので分かった。
あちらこちらにさまよっていた視線が、ようやく私を見る。


「……の、昔の事」


昔、というのはおそらく生い立ちから今日までの事だろうとは、すぐに想像がついた。
別に隠し立てするようなものでもないし、普通に喋ってしまえばいい事なのに。
どうしてだろうか、銀さんには知られたくないと思ってしまった。


「……話す程の事なんて、ないですよ」


彼の瞳を見る事ができなくて。
膝の上に置いていた両手は拳を作っていた。


「……初めて逢った時、なんでこいつこんな目してんだろうなって思ったんだよ」

「目、ですか?」

「すげェ暗くて光もなんもなくて、俺が言うのもあれだけどよ、生きてるのか死んでるのか分かんねェような目だった」


見抜かれていた。そして銀さんの言葉はおそらく、ほとんど正確に私の目の色を言い表していたと思う。


「けど、少しだけ泣いてるように見えた。だからずっと気になってたんだよ」


会話をするようになって、だんだん私の目に淡く光が灯っていった事。
表情の変化が乏しかったのに、気がつけば自分がいない所でも笑うようになっていた事。
銀さんはそんな事を、ぽつぽつと話してくれた。


「簡単に適当な事は言えねェし、言うつもりもねェ」

「銀さん……」

「お前の過去がどんなもんでも、俺は受け止めっから」


その言葉の前に紡がれた事を踏まえれば、それが決して生半可なものじゃないという事が分かる。
心の奥、体の底の方で澱んで溜まっていた何かが雫になって目から溢れてきて。
頬に銀さんの手の平が触れて、親指で目尻を拭ってくれた。

途切れ途切れに全てを話した。その間彼はずっと頬を撫で手の平を握ってくれていた。
全てを話し終えると、銀さんに抱き締められて。


が今日まで生き続けてこれて、俺は本当によかったって思ってる」

「なん、で……?」

「そりゃおめー……お前のこと、愛してっからだろ」


初めて言われたその言葉が沁み渡っていって、自分の中にある彼への感情がなんだったのかようやく分かった。


「私も、銀さんのことが、好きです……! 一緒に、いてくれますかっ……?」

「あァ。これから先、独りになんてさせねェから」


抱き締めてもらったまま、頭を撫でられて。それのおかげでひたすらに声をあげて泣く事ができた。



することの幸せを知りました。されることの幸せを知りました。ぬのが怖くなりました。
いつ捨ててもいいと思っていたが、今はこんなにもおしい。




「どうした?」


隣に立つ彼が私を見て問いかける。見上げればあの日と同じ瞳がそこにあって。


「なんでもない」

「……変なヤツ」


そう言いながら繋がれている手に、少しだけ力が込められて。
なんだかそれが嬉しくて、バレないようにこっそり笑顔を浮かべた。

Title by レイラの初恋