に出逢った時、所詮は別の世界に生きる女であり決して自分の人生に関わるような事はないと思っていた。
けれど偶然というものは非常に恐ろしく、その後の俺の生活に何度となく彼女は登場するようになり。
俺と違って平々凡々な道を歩いてきたくせに、どこか達観していて。
そのくせ危なっかしい事ばかりしでかし、妙なところに首を突っ込みたがった。実際に首を突っ込んだりもした。
それが結果として捨てる筈だった俺の命を救ったのだけれど。


「あ、峯さんだ」


ホテルでの会合が終わり、帰ろうとロビーに出たところで後ろから呼び止められた。
振り返れば案の定そこにいたのはで。
明らかに堅気ではないと分かる俺に声をかけるような女はいないし、何より声で誰だかは分かっていた。

振り返りその姿を視界に認めれば、いつも通りの緊張感のない笑顔を浮かべて近づいてくる。
普段のようなカジュアルな格好ではなく、パーティードレスを身にまとっている。


「奇遇ですね」

「そうですねぇ。お仕事ですか?」

「ええ。貴方は?」

「親友の結婚式です」


言われてみればその手にはバッグの他にホテルのロゴが入った紙袋があった。
それなりの高さがあるパンプスを履いているからか、顔が近く感じる。
ほのかに香水の匂いが鼻に届く。


「慣れない場所に来ると疲れますね。家に帰って早くのんびりしたいです」

「これから二次会ですか?」

「いえ、明日早くから用事があるのでこのまま帰宅です」


それでは、と軽く頭を下げてくるりと背を向ける。


「よかったら、送りますよ」


見えなくなった顔がまたすぐ見える。やや目を開いているのは、俺の言葉が意外だったからだろう。
大してなかった距離を詰めて返事を待った。


「手間じゃないですか?」

「そう思っていたら言いません。それに車で来ていますし私もこれから帰るところなので」


本当はどこかで適当に夕食を摂るつもりだったが、そんなものはどうとでもなる。
少しでもといる時間を伸ばしたくて、そんな口実を口にしていた。
彼女は少し思案して「ならお言葉に甘えて」と笑った。



車の中、の話に耳を傾けながら運転する。
ほとんどが式の話だったが、途中から彼女や俺自身の話に変わっていった。


「とうとう結婚ラッシュが起こるような年になったんだなぁ、と常々思います」

「そうですか。……ちなみに、そういった予定はあるんですか?」

「いーえ、当分はありません」


親からはせっつかれてますけど、と困ったような笑顔を浮かべている。


「そもそも結婚の前に、してくれる相手を見つけないとですし」


その言葉に胸中で安堵している自分がいて、もう手遅れなんだという事を悟った。

気がついた時にはすでには、その存在を確かに俺の中に根付かせていた。
強烈に惹かれた訳ではなく、それは緩やかに芽吹き蕾をつけ咲いたような感覚で。

今まで周りに近づいてきた人間はみな、俺の後ろにあるものにしか興味がなく。
そうなるようにしたのは自分自身だったのに、それが本当に虚しいものなんだと気づかされた。
それでも大吾さんを始め、こんな俺でも向き合ってくれる人がいるという事を知った。
しかし多少なりとも己が変わったところで、近寄ってくる人間の大概は変わらなかった。
その事にまた内側へと閉じ籠っていこうとした何かを引き止めたのが、だった。

損得や生きている世界なんか関係なく、純粋に峯義孝という人間を見た上で一緒にいてくれる。そこに偽善などはない。
最初は奇特な女だと思った。そうやって意外性を見せて取り入ろうとしているのだろうとさえ思っていた。
その考えはおそらくあからさまに態度に出ていただろう。それなのに彼女は変わらず俺との付き合いを続けていた。
あまりにもそれが不可解過ぎて、結局本人に問い質した。
返ってきたのは「峯さんという人がただ好きだからですよ」という言葉で。
一体俺のどこにそんな風に思える要素があるのだと聞けば「自分の魅力って自分じゃ分からないものですよ」と返された。


「あと、笑って欲しいと思ったからです。いっつも難しくて疲れた顔ばっかりしてるし、何より峯さんの笑った顔、意外と可愛いから」


その答えを聞いて唖然としている俺を見て、彼女はしたり顔をしてから笑った。


「そう言う峯さんはどうなんですか?」

「は?」


耽っていた意識がの声で引き戻される。


「結婚の予定とか恋人とか」

「……ありませんし、いませんよ」

「そうなんですか。いやーお互い寂しいですね!」


寂しいなんて思ってもいないような顔で笑っている。きっと今の生活が充実しているからだろう。

どんな理由でも構わないから、彼女には笑っていて欲しい。たとえそれが、別の人間によってもたらされているものだったとしても。
隣にいるのが自分でなくても笑っているなら、その笑顔を見る事さえできれば俺は生きていられる気がするから。


「そうだ! もし私がずっと売れ残ってたら、峯さんがよかったら引き取ってください」


こう見えて家事はけっこう得意なんですよ、と得意気にしている顔を思わず見てしまった。

不意に、が隣にいてくれる未来が浮かんだ。
なんて事のない毎日の繰り返しでも、心がすり減っていくような日々でも、彼女が破顔してくれるならそれだけで生きる意味を見出せるだろう。
どうやらやはり俺は、自分の隣でそうしているを見ていたいようだ。



いつしかあなたの笑った顔がの生きる意味になっていました



「別に今すぐでも私は構いませんが」

「へ……」


今度はが思わず俺を見る番で。その頬があまりにも真っ赤で、俺は堪え切れずに笑った。

Title by レイラの初恋