「また途中で寝てる」


は薄手の毛布を手に取ると、それをそっと真島の体の上にかける。
真島はかけられた毛布の感触に、一瞬身じろぐも、彼女の気配を感じたのか、またそのまま眠りに就いた。

テーブルの上に投げられたリモコンを手にし、DVDの再生を止めテレビを消す。
薄明りだけのぼんやりとした部屋の中、呆れたようで、でも愛おしさを感じさせる瞳で、眠っている真島を見た。


「お疲れ様」


静かに、周りを片付け始める。
広いデスクの上に散らばる書類を、用件ごとにまとめ、ファイリングする。
灰皿に溜まった吸殻とゴミを袋に詰めて、口をしばった。

それからも、黙々と掃除をし、部屋に光がさし込む頃、彼女も真島の横に座った。
ギシリとスプリングが弾み、その衝動で真島が目を覚ます。


「んあ?」

「おはよう、真島さん」

「……ああ、か。おはようさん」


寝惚け眼のまま、目を擦り、彼女の姿を認識すると再び眠ろうとする真島。
それを制したのは他でもなく、だった。


「待って。今日は大事な会議があるんでしょ? 起きて準備しなくちゃ」

「あかん、眠くてしゃーない」

「朝ご飯作ってきたんだ。食べたら少しは目が覚めるかも」


人間の三大欲求よりも暴力を主としていた真島にとって、食欲を刺激されたところで、なんら変化はなかったのだが
と過ごすようになってから、食の大切さだったり楽しさを覚えたのか
彼女の作った物や、勧める物限定で食指が動くようになったようだ。


「……今日は何作ってくれたん?」

「鰹節の混ぜご飯おにぎりと、ホウレン草のおひたしと、鱈の西京漬け。あと、えのきとお揚げのお味噌汁」

「甘いもんはないん?」

「スイートポテト作ってみたよ」

「よっし、顔洗ってくるわ」


心なしか浮かれたような、でもそれを悟られたくないような表情で起き上がり、洗面所を目指す真島。

ローテーブルに、先程彼女が羅列したメニューが並ぶ。
電子レンジで温めたおかげで、それらからは湯気がたっている。
「ほな、いただきます」と手を合わせてから、とてつもない勢いで食べ始める。
そんな真島を少し眺めてから、も手を合わせた。
もぐもぐと口を動かし、飲み込み、そしてすぐさま「うまい!」と笑う。
はホッとしたような表情を浮かべ、自分の分に箸をつける。

都会の喧騒の中に立つ、富を象徴するようなこのビルの中で、ある種最も危険な場所とも言えようこの真島組事務所の中で
まさか狂犬と名高いその組長が、女と対峙して朝食を摂っているなど、誰が想像できただろう。

デザートまで全て平らげ、満足げに腹をぽんぽんと撫でる真島。
彼の前に、ほうじ茶を淹れた湯呑を出し、は食器を片づけ始める。


「スーツ、アイロンかけて事務所の方に出してあるからね」

「了解」

「少ししたら、お迎えくるみたいだから」

「……なんや、子どもみたいやの」


少し不貞腐れた様子で、ほうじ茶をすする真島に苦笑を零す
それから彼に近づき、湯呑を取り上げると、屈んで濡れた唇にキスを落とす。
彼女からそんな事をするのは、あまりにも珍しい事で、真島の目がぱちぱちと瞬きを繰り返した。
頬を桃色に染めたは、にっこりと笑って、至近距離でささやく。


「子どもだったら、頬にするから」


そう言って立ち上がり、また片づけを始める。
真島はどうしようもなく舞い上がってしまい、その後ろ姿に抱きついた。


「ほんま敵わんわぁー!」


きついくらい抱き締められて、苦しいくらいなのに、それでも笑顔を絶やさない
ますます彼の機嫌は上昇するばかりだ。



着替えを済まし、真島はと組員に見送られ、会議のために東城会本部へと向かった。
は事務所にいる組員達にも朝食を振る舞い、それから掃除を始めた。

事務所の中にある、真島のプライベート部屋、二人が朝食を摂っていた部屋を掃除していると
物々しい音が事務所の方から響いてきた。
すわ何事かと、慌ててがそちらに行くと、今にも殴り合いが始まりそうな雰囲気が醸し出されていた。
よくよく見れば、組員と見覚えのない男達が掴み合っているではないか。


「ちょっと、どうしたの?」

「あ、姐さん! 危ないんで、下っててください!」


まだ組に入りたての員が、に近づき奥の部屋に戻るようにと促した。
しかし、そんな彼に笑顔で「大丈夫」と微笑むと、悠然と男達に近づく。


「どちら様でしょうか?」

「んだよ! 女に用はねえんだよ! 引っ込んでな!」


見れば、見知らぬ男達はすでに満身創痍だ。
ふと、は思い出す。先日やけに機嫌よく真島が帰宅した日があった。

話を聞けば、田舎から出てきたばかりの、彼を知らないチンピラに絡まれたのだと言う。
もちろん、絡んできたのはあちらなのだから、それ相応の対応をした、と。


「先日、真島にやられたチンピラさん?」

「なんだと?!」


の物言いに彼らの矛先が、掴み合っている組員からに変わる。
何も知らない組員は慌てるが、それを古参の組員が止めた。
はらはらと、行方を見守る彼らに、は安心して、と言う。


「ごめんなさい」


謝罪の言葉の後に、すっと頭を下げる。
チンピラと、新参の組員は呆気に取られる。


「彼も悪い人じゃないの。ちょっと変わってて、迷惑をかけたりしてしまうけど、本当はいい人なの」

「はあ?」

「さぞ痛い思いをしたでしょう? 謝って済むとは思わないけど……本当に申し訳ないです」


一番手前にいた男の手を取り、見上げて謝るに、何も言えなくなる。
目には涙を浮かべ、柔らかい手は攻撃対象ではなく、守るものだと訴えてくるのだ。


「わ、分かればいいんだよ……あんたからも、言い聞かせてやってくれ」

「許してくれるの?」

「お、おう。あんたに免じて、今回だけだからな!」

「ありがとう!」


そう言って、男は踵を返す。後ろにいた数人も、を見つつ真島組を後にする。
笑顔で彼らに手を振る。そんな彼女に喰ってかかる組員がいた。


「姐さん! なんであんな奴らに謝ったりするんすか!? 組の威厳台無しっすよ!」


他の新参者もそうだそうだ、と声をあげる。訳を知っている組員達は、を庇おうとするが、それを彼女自身が止めた。


「謝って済むなら、それに越した事はないでしょ?」

「そんな甘っちょろい事言ってたら、なめられます!」

「たとえばここで、皆が彼らと喧嘩をしたとするでしょ? そしたらもちろん両方に怪我人が出る。別に、あの人達が怪我をするのは構わないけど、皆が傷つくのは嫌だったの」

「え……」

「私だって、謝って済むかどうか見極める事くらいできる。それに、あの人達も女に謝られてすごすご戻った、なんて言えないと思うけど」


無駄な怪我はしない方が賢明でしょ? と朗らかに笑う。
組員達は、そんな彼女に田舎の母の姿をつい重ねてしまう。
はっと我に返ると「すみませんでした!」と頭を下げた。


「いいのいいの。力が必要な時はちゃんと頼むし、私にできる事ってこれくらいだから」


そう言って、掃除を再開するために部屋へと戻るの後ろ姿を、尊敬の眼差しで彼らは見ていた。



***



「帰ったでー!」


事務所に真島が戻ってきた。
普段ならと組員が出迎えるのだが、この日は組員のみだった。
は?」と開口一番に聞く真島に、組員達が人差し指を口元に立てる。


「奥の部屋で休んでます。多分、寝てるかと」

「そかー。ほな見てくるわ」

「はい」


部屋へと消えていく真島。

夕陽のオレンジ色に満たされた温かい部屋。
革張りのソファに、気配を感じる。
そっと歩み寄って覗き込めば、今朝方真島にかけられていた毛布を抱きしめるように眠るが、そこにはいた。


「よう寝とるな」


起こさないように、小声で呟く。
ローテーブルの上には、ラップがかけられた軽食が並んでいた。
白い小さな紙には「おかえりなさい」の文字が書かれている。

何もかもが、あまりにも与えられ過ぎているとさえ思ってしまう程、真島は幸せを感じていた。
朝、傍にいてくれる事も、こうして自分の体のために色々としてくれる事も、全てが愛おしかった。
過去、欲しくても貰えなかったものを、彼女は惜しみなく自分に注いでくれる、と。
それは似ているようで、全く別のものだけれども、それでも構わなかった。
むしろ、からなら、それがいいのだ、と。

ソファの前に回り込んで、の顔の前に屈んだ。
そっと、その唇に自分のそれを落とすと、柔らかさと体温をしばし楽しむ。
離れると、ゆるゆると瞼を上げる


「……お帰りなさい」

「ただいま」

「眠っちゃってた……ごめんなさい」

「ええって。眠っとき」

「ううん、真島さん帰って来たから、起きるよ」


キスで目覚めるなんて、まるでお姫様だ。
愛おしい彼女を見て、真島はひとりごちて、微笑むのだった。









それはきっと=のようで、そうではない









企画「アストロジア」様に提出させて頂いた作品です