夜明け前の、まだ藍色の闇に包まれている頃、ふと目を覚ました。カーテンの隙間から、白い三日月が見える。
隣から、すぅすぅという寝息が聞こえる。起きている時とは雲泥の差だ。
あまり広くない私の部屋に、不釣り合いなくらい大きなこのベッドは、今隣で眠っている彼からの贈り物。
「一緒に寝る時に狭いのはかなわんわぁ」と、勝手に注文して届けてくれた。

隣で眠る彼―真島吾朗―の顔を、そっと見た。
隻眼の瞳は瞼に隠され、もう片方の失った瞳は黒い眼帯に隠されている。
暗闇の中でも、ぼうっと浮かぶくらいに白い肌は、白に灰色と肌色を混ぜたような、不健康な色で。
口周りの生やされた髭は、キスをする時にちくちくと当たって痛痒い。

そっと、少しこけた頬に指を滑らせる。
気配に敏感な彼だけれど、隣にいるのが私だけだと分かっているのか、目を覚まさない。

女である私の、手入れをしている肌より、ややがさついている肌。
この場所にはよく、赤い色が付着していて。それが時々不安になる。
いつもその赤の持ち主は相手であるけれど、いつかそれが彼の物になる時が来るんじゃないんだろうか、と。
それを彼に言えば、笑い飛ばされるのは目に見えているので、言う事はないだろうけれど。

そっと指をなぞるように動かして、髭をいじりながら、唇に辿り着く。
肌と同じで、少しかさついている唇。紫色と桃色を混ぜたような、あまり血色のよくない色だ。
指を離して、そっと自分の唇を重ねた。
低い体温が唇を通して流れ込んでくる。やっぱり、髭が当たってちくりとする。

どれくらい、唇を重ねていたか分からないけれど、不意に雰囲気が変わって。
顔を離して見下ろせば、私を見上げる瞳と視線が絡んだ。


「……なんなん、こないな夜中に……」


ただでさえ低い声が、掠れている。それだけで、背筋に電流が走るようだ。
細められた隻眼に、私は映っているだろうか。


「目、覚めちゃって。寝てていいよ」

「……寝かす気ないやろ」


私の指は、今度は彼の髪を梳いている。
手入れなんてしていない筈なのに、髪だけは良質だ。とても触り心地がいい。
いつもはセットされている髪も、風呂から上がって乾かしただけの今は、乱れている。

上半身を起こしている私の腰に、甘えるように彼が腕を回してきた。
私の腹辺りに、顔を埋めて。それに気をよくして、私はそのまま髪を梳き続けた。

また、視線が絡む。顔を上げて、まじまじと私を見る。


「なあに?」

「なんもあらへん」

「変なの」

「おかしいのはの方やろ。俺の顔やら頭やらいじくり回して」


何が楽しいん? と聞かれて、別に楽しくはないよ、と答えた。
ただ体温がそこにある事に。存在がここにある事に、安堵しているのだ。

ふと、髪を梳いている指が、眼帯の紐に引っかかる。
緩んでしまったそれを、彼が締め直そうとする。


「……ねえ」

「んー?」

「眼帯の下、見たい」


彼の動きが止まった。
私を見上げたまま、まるで探るような目を向けてくる。
探られても何も見えないだろう。今の私は何も考えていないから。
ただ、彼の全てが見たい、それだけだ。


「見てもつまらんで。いや、むしろ気持ち悪いで」

「いい。見たい」

「強情やなぁ……」


起き上がって、私と向き合って、それからゆっくりとした動作で、眼帯を外した。
ぱさりと、私達の間に眼帯が落ちる。
瞼は閉じていて、裂傷の痕がそこにはあった。ひきつった、色が少し違う皮膚。


「こんなん見て、どないするん?」


私は果たして、どうするつもりだったんだろう。いや、どうするつもりもなかった。ただ、全てが見たくて。
気がつけば、彼の両頬を包んで、永遠に閉じられた瞼に唇を落としていた。
そうして膝立ちのまま、彼の頭を抱え込む。


「見せてくれて、ありがとう」

「……おう」


後頭部を撫でながら、今度は頭のてっぺんにキスを降らせる。
そうしてまた座って、眼帯を拾い上げてそれを定位置に戻す。
両頬を包んで、正面から口づける。
私の後頭部に、彼の大きな掌が回る。押さえつけられて、強引に口を割られる。
侵入してくる舌に抗う事なく、貪るようにキスをした。

酸欠寸前で、やっと解放される。
目の前には一匹の獣がいた。


「ほんま、あかんなぁ」

「……何が?」

は煽るのがうまいわぁ」


他の男には、こないな事したらあかんで、と笑う。
しないよ、と口を尖らせれば、おりこうさん、と頭を撫でられた。
そのままベッドへと押し倒されて、再びキスの嵐。
頭の横に、彼の腕がまるで囲うように置かれて。やっぱり私は、彼の両頬を包んでいた。

彼の唇が、私の唇から離れていって、首筋を伝う。
鎖骨辺りに辿り着いた時、両腕で彼の頭を抱え込んだ。


「動けん」

「いいの。こうしてたい」


彼の頭の重み、体温、髪と髭が肌に触れてちくちくとする。
どうしてこんなにも、涙が出る程愛おしいのか。その重みに、安心してしまう。


「泣いてるん?」


私の腕の中から、私を見上げる彼。目線を下げて、笑ってみせた。


「泣いてるけど、幸せ。ごろーさん、だいすき」


少し目を開いて、驚きの表情を作る彼。
それから、私の腕の中で、彼も笑って。


「変なやっちゃのう、は」

「変でもいいよ」

「そんな変なが、俺は好きやで」


その体勢のまま、私を抱き締める彼に、増幅していく気持ち。
愛おしい、愛おしい、愛おしい。世界中の何よりも、愛している。










抱え込んだものの重さは、の重さ










企画「Du bist die Ruh」様に提出した作品です。