人でごった返す神室町。道行く人はみな、自分の世界を歩いている。
だから、その出来事に目をやっても、手を差し伸べる事をする人間はいない。
この街には、柄の悪そうな男など、掃いて捨てる程いる。
その中の三人が、ニヤニヤと下品な笑いを浮かべながら、どうでもいい事を喋り続けている。
「さっきから見てたんだけど、お姉さん暇でしょ?」
「いえ……人が待ってるので」
「本当にそいつ来るの?」
「ここ待ち合わせ場所じゃないんです……」
男達の中心には、困り顔の女性が一人。男達の隙間から辺りを窺っているが、誰一人目を合わせようとはしない。
項垂れる彼女−−に、ここが攻め時と男達がさらに喋ろうと口を開きかけた瞬間、怒気を孕んだ声が彼らを震わせた。
「テメェら、何してやがる?」
男達が恐る恐る振り返れば、そこにいたのは怒れる龍だった。だけが嬉しそうに「桐生さん!」と言う。
「お、俺達はなんにも……」
「彼女に用でもあんのか?」
「い、いえ! 滅相もない! 俺達はこれで!!」
蜘蛛の子を散らすように、男達はその場から離れていった。
「待ち合わせ場所にいないと思ったら、こんな所にいたのか」
「あの人達に捕まっちゃって……ごめんなさい」
「いや、こればっかりはしょうがない」
桐生は言いながら、の頭を優しく撫でる。その柔らかい手つきに、は目を細めた。
「まあ、できるだけ俺の目の届く範囲にいてくれ」
「はい」
***
駅前は夜だというのに、人で溢れている。
柱の前で、桐生は何度も携帯電話を見てはため息を吐いていた。
腕時計を見て、辺りを見回す。
その必死な形相に、通り過ぎる人達は関わらないようにと、細心の注意を払っていた。
「遅ぇな、のヤツ……」
先日の待ち合わせの時も、時間になっても現れなかった。
桐生が探しに行ったところ、チンピラに絡まれていた。
彼が探しに行っていなければ一大事になっただろう。
また厄介事に巻き込まれているのでは、と桐生が思い立った時
前方からが慌てた様子で駆け寄ってきた。
「桐生さーん! 遅くなってごめんなさい!」
「どうしたんだ。お前が約束に遅れるなんて珍しいな」
「……それが」
は汗を拭いながら説明する。
時間に間に合うように家を出たのだが、あともう少しという所で携帯電話を忘れていた事に気がつき
取りに戻った時にはもうギリギリの時間。
なんとか間に合わせようとしたが、今度は電車が遅延してしまった。
連絡を取ろうと携帯電話を見ると、電池がなかった。
「公衆電話で連絡しようと思ったんですけど、ここに来た方が早いかなって思って」
「……どれだけ心配したと思ってる」
「本当にごめんなさい!」
頭を深く下げるに、本日何度目か分からないため息を吐く桐生。
心配をかけられた分、少し意地悪をしてやろうかとも思ったが、未だに息を切らしているところを見ると、それもどうかと思い
「頭上げろ。行きたい所があったんだろ?」と穏やかな声色で問いかけた。
「許してくれるんですか?」
「今度から気をつけてくれればいい」
「はい! 気をつけます!」
ビシッと敬礼をするに、桐生は苦笑を零すしかなかった。
***
桐生が今度の日曜の事を確認しようと、に電話を掛けた。
何度目かのコール音の後に、弱々しい声が響く。
「……はい」
「か? どうしたんだその声」
「実は……風邪ひいちゃいまして」
「なに?」
桐生は、話しながら歩き出す。
聞き出せば、数日前から体調が思わしくなく、ついに今日倒れてしまったとの事。
の声は、どこかこの事を隠したかったような、後ろめたさのある声だった。
「なんで具合が悪くなった時に言わなかったんだ」
「心配かけちゃ悪いかなって思って……」
「こういう時は俺に頼れと言っただろう!」
思わず強い声が出てしまう。
普段から、は思った事をなかなか桐生に言えないでいる。
それを桐生自身、不甲斐なく思っていて。
できるだけ心のうちを明けてほしいと思っている。
「今からお前の家に行く、いいな?」
「え、でも片づけとかしてないし……」
「そんな事言ってる場合じゃないだろ」
「う……」
「なんか欲しいもんはあるか?」
一瞬ためらってから、ゼリーが食べたいです。と声が返ってきた。
桐生は頭の中で、他に必要な物を思い浮かべながら、電話を切った。
***
先程から桐生の耳には、騒々しい音が届いている。
音に混じって、の慌てた声も聞こえる。
先日の看病のお礼にと、夕食をご馳走すると言ったのはだった。
最初、桐生は別に構わないと答えたのだが、自信がないと滅多に手料理を振る舞ってもらえない事を思い出し
その誘いに乗る事にしたのだった。
家に訪れた桐生を、エプロン姿で出迎えた。
彼女の姿に、将来の事を思い描いた桐生だった。
今まではすでにできあがっている物を食べていたのだが、今回は訪問した時間が早く
まだ料理途中だと言う。
「座って待っててください。ちゃちゃっと作りますから」
「おう」
テーブルに着いて、出された茶をすすりながら、キッチンに立つを見ていた。
初めこそ慣れた手つきで料理を進めていたのだが、桐生に見られている事に気がつくと
その手つきがだんだんと危ういものになっていった。
ボウルを落とす、一帯を水浸しにする、火加減を間違える。
その度に声をあげて、ちらりと桐生を見る。
「……俺を困らせたいとしか思えないな」
「はは……すみません、大丈夫ですから……」
「本当だろうな?」
そう言いながら、皿を落としかけるを見て、首を振る桐生だった。
***
沖縄、あさがお前のビーチでは、子ども達のはしゃぐ声が響いていた。
子ども達に混じって、も笑顔で飛び跳ねている。
目に痛いくらいに輝く太陽、光を受けて反射する波飛沫。
カラフルなビーチボールが青い空に映える。
それを砂浜から見ている、桐生と遥がいた。
「お姉ちゃん、すごいはしゃいでるね」
「ああ、楽しそうだ」
「おじさんも本当は混ざりたいんじゃない?」
「何言ってるんだ」
からかい顔の遥に、桐生が咳払いをする。
ビーチボールを追いかけていたが、盛大に転ぶ。
波間に姿が消え、子ども達がざわつく。
いつまで経ってもあがってこない彼女に、桐生が腰を上げて走り出す。
ばしゃばしゃと、濡れる事も厭わず海に入る。
透明度の高い海の中で、揺れるその姿が桐生の目に入った。
その腕をひっぱり上げれば、咳き込むが海から出てくる。
「おい、大丈夫か?!」
「げほっ……は、はい」
額に張りついた髪を除けてやる。
粗方海水を吐き出し、は苦笑いで桐生を見上げた。
「お前から目が離せそうにないな」
「お世話かけます」
過保護な彼のセリフ
Title by 確かに恋だった