「桐生さん、頑張って!」


喧噪の中でもはっきりと聞こえたのは、彼女の声だった。



沖縄から、久しぶりに神室町へと戻ってくれば、相変わらずの街並みで。
特に何をする訳でもなく、ぶらぶらと街中を歩いていた。
平和な生活で、言い方は悪いが鈍ってしまった体を少しでも動かしたくて
足はバッティングセンターへと向かっていた。


「あ、桐生さん!」


その道すがら、ばったりと出くわしたのが、顔なじみの彼女。
年甲斐もなく跳ねる心臓に、苦笑を零しながらも、手を上げる事でその声に応える。
俺を見つけると、嬉しそうに笑って、近づいてきた。


「お久しぶりです! 今日はどこか行かれるんですか?」

「これからバッティングセンターにでも行こうかと思っている」

「おお! ならお供させていただきます」


こう見えてバッティングは得意なんですよー、と朗らかに笑う彼女に、俺の頬には穏やかな笑みが浮かぶ。
手を繋ぐ事すらできないが、隣にいるだけで心地よく感じられるのは、この先も彼女だけだろう。
そんな事を考えていたら、いつの間にか目的地に辿り着いていた。

扉を潜り、料金を払い、バットを握る。
バッティングは得意だと言った彼女は、自分が打つ事よりも俺のプレイを見る事に専念するつもりらしい。
なんだか照れ臭いが、ここはひとつホームランでも打てれば、と思う。


***


何本かホームランも打ち、適度に体が温まってきた頃、センターの中の様子が少し変わったの感じた。
先程までにぎやかだったのに、いつの間にか他の客がいなくなっている。
いるのは、扉の向こう側の彼女だけで。そんな彼女も、周りの客がいなくなった事に、首を傾げている。


「どうしたんですかね……他の人、いなくなっちゃいました」

「ああ……」


一旦プレイを止めて、センターの中へと戻る。
すると、入口の扉が開いた。


「桐生ちゃ〜ん、邪魔するでぇ」


金属バットがガリガリと地面を削る音、聞き慣れた声。
現れたのは、真島の兄さんだった。


「真島の兄さん」

「真島さん! こんばんは」

「ひひっ、嬢ちゃんも一緒やったか」


彼女に近づき、革手袋に包まれた手で頭を撫でる。
存外、その手つきの優しさに意外さを覚えた。と、同時に、妙な感覚も味わう。
そんな俺の感情に目敏く気がついたのか、兄さんは俺を見ると、にんまりと笑った。


「なんや桐生ちゃん、ジェラシーってやつか?」

「なっ……、兄さん、何を言って……!」


渦中の本人は、よく分かっていないようなのが幸いだった。
彼女は俺と兄さんを交互に見て、くすくすと笑っている。


「そや! 久しぶりに会ったんやから、喧嘩しようや!」

「はあ?」

「ほな行くでぇ!」


兄さんは俺の腕を引っ張ると、勢いよくバッティングコーナーへと飛び出した。

今日は愛用のドスは使わないらしく、バットでの攻撃が目立った。
寸でのところでかわしつつ、俺も拳や蹴りを放つ。
兄さんも兄さんで、俺の攻撃をひらひらとかわしていく。

実力差はさしてない俺達の喧嘩は、いつもこうだ。
どちらかが倒れるまで続く。

バッティングをした後だったせいか、体が鈍っていたせいか、兄さんよりも先に俺の体力の底が見えてきて。
その好機を逃すような相手ではない。


「もろたで桐生ちゃん!」


兄さんが、大きくバットを振りかぶった。


「桐生さん、頑張って!」


不意に、向こう側でハラハラと様子を見ていた彼女が、声を上げる。
それを合図のように、俺は空いていた兄さんのボディに拳を打ちつけた。
クリーンヒットした拳、バットは俺に当たる事なく、からんと床に落ちる。


「ぐっ……は」

「悪いな兄さん」

「嬢ちゃんの、応援で、息吹き返すなんてぇ……ほんま、ずるっこいわ」


恨めしそうな目を俺に向けて、ばたりと床に伏す兄さん。
扉の向こう側の彼女を見れば、ほっとしたような表情でこちらを見ていた。