私はいつからここにいるんだっけ。
白いベッドの上で、時々しか開かない扉を見ながら、思う。
皆は今頃、消えた私を心配してくれているだろうか。
探してくれていたり、するんだろうか。
涙は、流すだけ無駄だと、とうの昔に悟った。

今日は何月何日の何曜日なのかも分からない。
窓はあるから、大体の時間は分かるけれど、それもそれだけの話。
空調の効いた部屋。寒くも暑くもない。
横に目をやれば、もう一つ扉がある。あれは、トイレと風呂場にだけ繋がる扉で、外に出る事は叶わない。
外に出るには、あの正面にある扉を出なくてはいけないのだけれど
それを許さないのは、足に嵌められた鉄の輪。
何度も外そうと試みたけれど、いつしかそれが無理だと分かってしまった。
鉄の輪には、私の爪痕が残されている。

正面の扉のドアノブが、ゆっくりと動く。
そこから顔を出すのは、私をここに閉じ込めた張本人。


「ただいま、ちゃん」

「……おかえり、なさい」

「いい子にしてた?」


ワインレッドのスーツに身を包んだ、男。秋山駿。
桐生さんを介して、私はこの男に出逢ってしまった。


「今日はね、韓来の焼肉弁当にしたんだ。最近、お肉食べてなかったでしょ?」

「そう、だね」

「俺も同じのにしたんだ」


がさがさと袋から、弁当箱を取り出して、それを私の前に差し出す。
同じ物を自分の前に置き、それから割り箸をご丁寧にも割ってから渡される。


「いただきます」


そう言って食べ始める秋山を横目に見ながら、私は食べる事をしなかった。


「……今日も、一緒に食べてくれないんだね」


一度食べる手を止めて、悲しそうに目を伏せてそう言う。
これは、私なりの精一杯の抵抗なのだ。



彼に、想いを告げられたのは、いつだっただろう。
秋山のことを、異性として見た事はなくて、いわゆる気の合う飲み友達、としか認識していなかった。
別に、特定の誰かと交際していた訳でもなかったけれど、その時の私は何かに縛られるのが嫌で
彼の申し出を、丁重に断った。
秋山はあの彼特有の笑顔で「これからも友達としてよろしく」なんて言っていたけれど
その時から、腹の内では考えていたんだろう。
私をいかにして、自分の籠の中に閉じ込めるかを。

いつものように飲みに誘われて、その日は俺の家でどう? なんて言われて。
特に怪しい点もなかったから、なんの疑いもなくその誘いに乗ってしまった。
最初に出されたお酒に、睡眠薬が混ぜてあって。気がつけば眠りこけてしまった。
そうして、連れて来られた場所が、ここだった。

おそらく、高層マンションの一室。神室町ではないだろう。
あそこは私の友人達の庭だ。その気になれば、私を見つける事なんて容易い筈だ。
なのに、未だに私が自由になれていない事を考えれば、必然的にその庭以外の場所である事が考えられる。
時間だけは有り余っているから、色んな事を考えたけれど、ここから脱出する方法だけはどうしても思い浮かばなかった。
と言うよりは、思い浮かんだ案はことごとく失敗したのだ。

足枷を外す事もできず、窓から飛び降りれば、それは人生の終わりを意味する。
自由にはなりたかったけれど、死ぬ勇気はなくて。
情けない自分に腹が立って、何度も泣いた。

最初の頃は、秋山が帰ってくる度に泣き喚いて、罵り、ここから出すように説得もした。
でも彼は、曖昧に笑って、私の頭を撫でるだけだった。
その手を乱暴に払っても、それこそ私が彼を殴っても、彼は笑っているだけで。
この人に、何をしても無駄なんだと、理解させられた。
だってその笑みが、あまりにも愛おしいものを見る笑みだったから。
彼は、私が何をしても、私が私である限り、許してしまうのだ。
ここから、出ていくという事以外は。



ちゃん」


弁当を横にあるチェストに置くと、私を抱き寄せる。
肩を抱き、頭を撫でる。


「愛してるよ。君は、俺だけ必要としてればいいんだ」


その言葉が、鎖になって私を雁字搦めにしていく。
言葉通り、ここで生きていくには彼が必要で。
必然的に彼に頼らざるを得ない。

いっそ、死にたくなるくらい酷い扱いをしてくれれば、死のうと思えたかもしれない。
でも彼は、乱暴もせず、私の嫌がる事は一切しない。
欲しい物があれば大抵は渡されるし、この部屋だって、出られない事を除けば快適な空間でもある。

怖い、とても怖い。
飼い慣らされていく、自分自身が。
いつか完全に順応してしまうであろう未来が見えて、日々、それに怯えている。


「……狂ってるよ」

「ああ、それでも構わない」


彼は言うのだ、俺を愛してくれなくてもいい、と。
君が俺を必要としてくれているだけで、幸せだ、と。
純粋が故に狂気を孕んでいるんだと、気がついた。





君は僕だけを必要としていればいいんだ





スカイファイナンスで、パソコンのモニターを食い入るように見つめる秋山。
そこに、来訪者が。桐生だった。やや顔色が悪い事に、秋山が気がつく。


「まだ、見つからないんですか?」

「ああ……の奴、どこ行っちまったんだ」

「早く見つかるといいですね」


桐生は来客用のソファに座り、煙草に火を着ける。
紫煙を吐き出すと同時に、ため息を吐く。


「そう言えば、パソコンで何を見ていたんだ?」

「ペットですよ。俺って心配性で、カメラをつけていつでも様子を見られるようにしてるんです」

「そうか……」


桐生は、煙草を灰皿に押しつけもみ消すと、立ち上がる。


「邪魔したな。のことで何か分かったら、連絡をくれ」

「はい」

「……ペット、大事にしろよ」

「ええ」


桐生は小さく笑みを浮かべると、事務所を後にした。
それを見送った秋山は、再びモニターを見つめる。


「大事にしてますよ……もちろん」


モニターには、白いベッドの上で眠るの姿があった。

Title by 原生地「狂気的な愛で10のお題」