とある日の昼過ぎ、秋山駿は自身がオーナーを務めるキャバクラエリーゼに顔を出していた。
時間が時間なだけあり、店にいたのは店長のみで、どうやらキャストの女性達はまだ出勤していないようだった。
事務所で店長から、最近の店の様子を聞いていると、扉がゆっくりと開いた。
二人がそちらに目をやれば、一人の女性が顔を覗かせる。
秋山はエリーゼのキャストの女性全員を、把握している。だが、彼女はその中では見た事のない顔で。


「どちら様?」


営業用スマイルでそう問えば、おどおどしながら女性が事務所の中に入ってくる。
すぐさま丁寧にお辞儀をし、よく通る声で話し始めた。


「初めまして。こちらのお店で働いているアキナの友人です」

「ああ、アキナの」

「はい、と申します。その……アキナが今日、体調を崩してしまって」

「そうなの? 店長、連絡来てる?」

「あ、さっき連絡ありましたね」

「それで、アキナに代わりにお店に出て欲しいと言われて」

「えっと、こういうお店での接客経験は?」

「未経験です……」


その言葉に、男性二人が目を丸くする。
アキナが未経験の女性を店に寄越した事もだったが、いくら友人に頼まれたからと言って、やって来てしまう彼女にも驚きだった。
どうしたものか、と秋山と店長が思案していると、が再び頭を下げる。


「すみません、やっぱり素人じゃ務まらないお仕事ですよね。アキナがお店に迷惑が掛かると気にしていたので……」

「いや、まあ、急な体調不良はしょうがないよ」


申し訳なさそうに瞳を揺らすに、秋山が笑ってフォローを入れる。


「今日は特に予約もないですし、忙しくはならなさそうなので、大丈夫ですよ」


店長もここぞとばかりにフォローを入れる。そこでようやくは安心したように笑った。
お邪魔しました、と事務所を後にする。
扉が閉まったのを見て、秋山と店長は顔を合わせて、なんとなく曖昧な笑みを浮かべた。



***



後日、時刻は夜。秋山はスカイファイナンスを出て、当てもなく神室町をブラブラと歩いていた。
慣れ親しんだ町だが、今だに新しい発見をしたりする時がある。


「こんな所にバーなんてあったっけ」


裏路地を入ったところで、見慣れぬ看板を掲げているバーを見つける。
開店したばかりだろうか、店先にはあまり大きくはないスタンド花がふたつみっつ並んでいた。
おもむきは、他のバーとさして変わらない。店先に置いてある小さなボードには、いくつかの酒と料理名が書かれている。
取り扱っている酒のわりには、良心的な値段設定と、書いてある料理名につられて秋山は店内へと足を踏み入れた。


「いらっしゃいませ」


ドアについていたカウベルの音と、男性の声で出迎えられる。
店内は然程広くはないが、狭いとも感じさせない広さで。五席ある小さなテーブルのうち、三席は男女が座っていて、カウンターには誰もいなかった。
大きな声を出さなくても近距離にいれば相手に声が届く程度に、ジャズが流れている。
レンガ造りの壁に、温かい色を灯したライト。飾ってある絵画やアンティークは、万人受けしそうな物で。


「どうぞ」


カウンターの中にいる男性が、目の前のに手の平を向ける。
秋山はそれに従ってそこに座った。
ドリンクメニューを差し出され、受け取る。適当に目を通し、注文をした。
男性がドリンクの準備を始める前に、フードメニューをもらう。
手書きであろうそれには、前菜からデザートまで色々と書かれていた。

腕時計を見れば、二十時を少し過ぎた頃だった。
空腹具合を考えれば、それなりにしっかりした物を食べたいと考える。

酒のつまみにナッツの盛り合わせと、夕飯にと魚介のパスタを追加注文した。
男性はメモをすると、それを厨房へと持っていく。
少しすると、男性は手にガラスの器に盛られたナッツを持って戻ってきた。
ナッツと酒を秋山の前に出す。

ジャズと、内容までは聞き取れない男女の囁く声をバックミュージックに、酒とナッツを楽しんでいた。
目の前の男性と他愛もない話をしてもよかったが、パスタが来る事を思い出してそれを控える。

厨房のドアが開いて、そこから女性が出てくる。
彼女の手には秋山が注文したであろう、魚介のパスタがあった。
パスタに目をやっていたが、おもむろにその視線を女性の顔に移す。

どこかで、見覚えがあるような

女性はすぐに秋山の隣に来る。
そして、通る声で「お待たせしました、魚介のパスタです」と告げ、流れるような仕草で秋山の前に置いた。


「あ」


彼女が秋山の顔を見た時、そう声を出したのは彼女と秋山、ほぼ同時だった。


「確か、アキナのお店の方ですよね?」

「あ、はい。オーナーの秋山です」

「オーナーさんだったんですね。先日は失礼しました」

「いや、失礼だなんてそんな」


男性が「さん、お知り合いの方?」と聞くと、彼女は「先日、友人の勤めるお店で」と言った。
それからまた秋山の方を向くと、軽く一礼をして厨房へと戻っていった。
彼女の姿が完全に厨房へと消えてから、秋山は目の前のパスタに目を向ける。

湯気を燻らせるパスタ。輪切りのイカ、小ぶりのエビ、貝柱などの下に細めのパスタがあり、オレンジ色のオイルとパセリがかかっていた。
食欲のそそられる見た目に、秋山の腹の虫が鳴いた。
フォークを取り、イカとパスタを絡めて口に運ぶ。


「うまい……」


口の中に広がる、魚介の旨味とシンプルながらも奥深い味わい。
がつがつと食べ進め、あっという間に完食した。
いつの間にか出されていた水を飲み干し、紙ナプキンで口元を拭う。
久しぶりに満足度の高い食事をしたな、としみじみ秋山は思った。

それからもう一杯酒を注文し、男性とほんの少しの談笑をしてからレジに立った。

レジに立ち、会計金額を聞いて秋山は首を傾げた。


「あれ、金額おかしくないですか?」

「パスタ代はが出すそうです。先日のお詫び、と言ってました」

「え……」

「よかったら、今後もお越しください」


釣りを渡され、笑顔を向けられる。
彼女の好意を無碍にするのも憚られ、そのまま受け取り店を後にした。



帰路を歩きながら、とりとめもなく秋山は考えていた。
あの日、彼女がエリーゼを訪れた日は、結局アキナがいなくても店は回った。
損害もなく、こちらが迷惑を被った事もなかった。


「お詫び、ねぇ……」


お詫びにお返しをするのは失礼だろうか、と考える。
それがなくとも、あのバーの雰囲気や料理の味は気に入った。


「また行ってみるかなぁ」


秋山の呟きが、神室町の夜に溶けていった。





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