海面を撫でる風が、髪も揺らしていく。
カモメの鳴く声。波の音。全てが慈愛に満ちている気がする。
キン、と澄み渡る空気が私にとって唯一の救い。

ゾロが、この船に帰って来た時、彼はもう瞳を開けることができない体になっていた。
今まで同時に何十人、何百人相手にしたって負ける事のない人が
こんなボロボロの体になって。彼の誇りである刀さえ奪われて
きっと、それは、全部私のせいなんだよね。
私が、我侭を言ってゾロについて行ったばっかりにあなたは
志半ばにして、海の途中で倒れるなんて。



大きな大きな町だった。
港すら賑わい、たくさんの人で溢れている町。
その分、危険性だって孕んでいる訳で、最初は私が船を降りる事は許されなかった。
けれど、どうしても好奇心に敵わなかった私は
自分に対して好意を抱いているゾロに、ずるい手を使って船を降りようとした。


「ねえゾーロ!」

「……なんだ」

「一緒に町に行こう?」

「お前ナミの話聞いてたか?」

「聞いてたよ? 治安が悪いから私は降りちゃダメなんでしょ?」

「分かってるんなら」

「それでも降りたいの!」


お願い! と両手を合わせて女の武器と言える上目遣いと、涙目を使った。
それでもゾロは渋った。私は最後の手を使う。


「私はゾロと町に行きたいの……。それにゾロがちゃんと守ってくれるでしょ?」


私を好いているゾロが、これに逆らえるはずがなかった。
それを知っていて私はワザとそう言ったんだから
今思うと、あの瞬間の自分を殺したい。
くだらない事をして、こんなにたくさんの人を傷つけて
大事な人の夢を、奪って。

船を降りて駆け出す。久しぶりの地上に頬は緩みっ放しだった。
後ろからゾロの声がして。振り向いて笑う。
早くおいでよ! と手を振った。ため息を吐きながら、それでも嫌な顔をしないで歩いて来てくれる。
嬉しかった。ただ単純に、ゾロがそうしてくれる事が
どうして私はその時に気づかなかったのだろう。

屋台を覘いて、店主と言葉を交わして、時々買い物をした。
微々たる荷物はゾロが持ってくれて、身軽な気分で町を闊歩する。
だんだんと店の数も少なくなってきて。少しだけ違和感を感じた時だった。


「ようお嬢さん」

「……なんですか」


目の前にざっと十数人の男が並んで、私に声をかける。
その刹那ゾロが刀に手をかけて。


「そんな男放っておいて、俺達と来ないかい?」

「お断りします」

「なら力ずくで押さえ込むだけよ!!」


案の定そういう輩で。ワアッ! と襲い掛かってくるけれども
ゾロの尋常じゃない強さの前では、そこら辺の奴らなんて赤ん坊のようで
油断していた。


「後ろががら空きだぜ?」


いつの間にか後ろも囲まれていて、羽交い絞めにされる。
途端ゾロが振り向いて。


「麦藁海賊団のロロノア・ゾロ。賞金6.000万ベリーだったな」

「それがどうした」

「一緒にいるって事は…さしづめお前の女だろう?」


ピクリとゾロの眉が動いた。相も変わらず男は話を続ける。


「この女を殺されたくなけりゃあ、大人しくするんだな」

「何言ってんの?! ゾロ! 私なんて気にしないで、やっつけちゃって!」

「ちっ……」

「何黙って立ってるの! この間合いだったら」

「無理だ」


え、と。
声が出なかった。


「この間合いじゃ俺の技は使えねェ。全部お前にも当たっちまう」

「そんなっ」

「大よそソイツらはその事も頭に入れて、お前を人質に取ったんだろうな」

「……だったら、私はいいから! 早くやっつけちゃってよ!」

「……コレがナミとかだったら、な」


ガシャン、と。ゾロの刀が地面に落ちる。
まるでスローモーションのように、瞳に写った。
ダメだと、嫌だと叫んでいるのに。ゾロは一向に刀を拾う気配がなくて
ロロノアも形無しになったもんだなぁ、と下品な声が聞こえた。


「あんたらなんか! 束になったってゾロに敵わないんだから!!」

「ああそうさ。敵わないからこうやってお嬢さんを人質に取ったんだろう?」


足が竦む。目の前が暗くなって。
私のせい? ゾロがこんな風に、危ない目に合うのは私のせい?

轟音が響くと同時にゾロが崩れ落ちる。
何十人もの、まだ有り余っている手下達がゾロに群がって
残虐な程に暴行を繰り返す。笑いながら、馬鹿にしながら。
どうして私はこんなにも弱いの? どうしてゾロを助けられないの?
砂埃と鉄の匂いに噎せ返る。


「嫌ああぁぁっっ!!」


視界がクリアになると、手下に囲まれてボロボロになっているゾロが目に入って
私は無我夢中に男の手の中で暴れる。今まで大人しかった私が暴れたせいで、動揺した男は手の拘束を緩めた。


「ゾロッ!? ゾロ!」


血だらけで。いつもだったら気だるそうに開いている瞳もギュッと閉じていて、怖くなる。
起きて、立って、そして逃げよう、お願いだから。


「後はロロノアの首だけだな。お前は用済みだっ!!!!」


頭上で音がする。見上げればサーベルを翳す男。
瞬間、ゾロの刀が煌いた。


「……逃げろ」

「っイヤ、イヤだ……」

「逃げろ!!」


ボロボロなのに、今にも死んでしまいのそうなのに。
ゾロはそれでも。こんな我侭な私を守ろうとするから。
泣きじゃくりながら立ち上がって、行く手を阻む男達の間を潜り抜ける。

ゾロとさっきまで歩いていた道は、長くなかったはずなのに
どうしてか、一人で走っているとこの道が、永遠に続くように思えて
悲しくて、辛くて、怖くて、それでも私は走る。
走りながら、祈る。一万回、頭で祈り続けて。

失いたくないから。ゾロを、絶対に

そう思いながら、鉛みたいに重い足を一生懸命に動かした。


「ルフィ!!」


船が見えたと同時に叫び出した。少しでも早く、皆に気づいてもらえるように。
最初に顔を出したのはサンジだった。笑顔が苦悶の表情に変わる。
ちゃん…? その血…」と。お願いだから早く、もっと早く。


「ゾロがっ!! ゾロがぁっ……!!」


驚いた表情で私を見るルフィを見つけて、その場にドシャリと座り込んだ。
ザッと、皆が飛び降りる音がして。ナミが私の肩を揺さぶる。


! ちょっと、この血はどうしたのよ?! ゾロも一緒だったんでしょう?!」

「……私の、せいでっ……ゾロがっ、ゾ、ロッ……!!」

「ゾロがどうしたんだ?!」


その時だった
チョッパーの悲しそうな叫び声が
「ゾロォ!!!!」と呼ぶ声が聞こえて。

慌てて振り返れば確かにそこにはゾロがいて。一本の刀だけを持って立っている。
ボロボロで、黒い手拭もただの布切れで、あんなにも強気だった瞳は濁り
それでも、姿勢を保ったまま私達の方に歩み寄って
けれど、とうとうゾロは前のめりに倒れた。


「ゾローッ!!」


無我夢中で駆け出して、ゾロの元に。
顔を上げて、膝に頭を乗せて声をかける。
口周りにはおびただしい量の血液。顔は真っ白で
急速に体温を失っていくゾロの体を、強く抱き締めた。


「嫌ぁ……嫌だ……! ゾロ、死んじゃ嫌だぁ……!」


頭(かぶり)を何度も何度も振って、ルフィ達が訳を聞こうとしているのも無視して私はただ泣き叫ぶだけだった。
どうしても、彼を失いたくなくて。


「………ッ……か……?」

「ゾ、ロ……?」

「……ッハ、……こんな姿、情けねェ、な……」


本当は喋る事さえできないくせに、いつもそう。
彼は無理をして周りを安心させようとする。どうして、今自分の方が辛いのに。
何故、君は優しく私の頬を、幸せそうに撫でるの?


「私……っごめんね……? ほん、……とに……私、のせ、でっ……!」

「お前のせい、じゃねェ……」

「ウソっ! 私が、我侭……言わなきゃ……ゾロ、こんな風には!」


どうしていつだって君は私に一番優しかった。
船が奇襲された時も、真っ先に私を守って。海軍に見つかった時も、私だけを逃がそうとして。
なのにあたしは、ゾロに何にもしてあげられなくて
あまつさえか、今もこんな風にしてしまう。
そんな自分が情けなくて、また、涙が零れ始める。
泣くのは、ズルイ事なのに。


「……っ泣くな……」

「え……?」

……は、笑って……ろ」


敵を前にした瞬間の不敵な笑みじゃなくて
ルフィ達と馬鹿をやっておかしく笑う笑顔でもなくて
優しい、優しい笑顔でゾロは
私に


「……あ、い、……し」

「……ゾロ?」


どうして彼はこんなにも安らかな顔でいるのだろう。
どうして皆涙を流しているのだろう。

どうして私の胸は、心臓は
心は
こんなにも痛みを発しているのだろう。


「あああああぁぁっっ!! いやあああぁぁっっ!!」


もう二度と開くことのない瞼を持った彼の頭を、強く抱き締めて、声の限り叫んだ。



今、思うと、きっとゾロを愛していたんだと
今更、伝える相手もいないのに、気づいたって笑止。
自嘲気味に漏れる笑いは、仲間をも悲痛な表情にさせるけれど
ねえ、君の不器用な優しさはちゃんと届いてるよ。





















君を見失って道を間違えないように。



Title by インタスタントカフェ