冬島であるこの島は、一年中雪が降り注ぐ。
生まれてから一度もこの島を出た事のない私は、雪のない景色を知らない。
真っ白な空から降る、真っ白な雪。
窓から外を覗けば、いつだってチラつく雪。

白い景色の中に見えた、珍しい色。


「いらっしゃいませ」


この小さな小さな島で、武器屋を営んでいるのは私くらいだ。
元々父親が経営していたここを、継いだのは今から三年前。
あまり体が強くなかった父親がいなくなり、この店を残したい一心で
何も知らないまま、経営を再開させた。

争い事がほとんどない島だから、お客さん自体が珍しい。
この島ではほとんどの人が顔見知りだけど、見た事のない人だ。

萌黄色に近い髪と、腰にさした三本の刀。
どこかで聞いた事のある風貌だったけれど、思い出せない。
ちょっと強面のその人は、店内をウロウロと歩き回る。


「……何かお探しですか?」

「刀の手入れ道具を探してんだ」

「それなら、レジの奥にありますので、取ってきますね」


やっぱり。そんな事を思いながらレジへと戻る。
この島ではほとんどの武器が銃火器。
だから、刀関係の商品はいつもレジ奥の棚にある。


「こちらです」


興味が出たのか、他の武器を物色していた彼に、そう言いながら商品を渡す。
「ああ、すまねェ」と受け取る彼の手は、それ相応に無骨だ。
ちらりと、見えた小さな笑顔に、体の芯が震えた気が、した。


「……店の奥に、売り物ではないんですけど、父の手入れ道具がありますが……」

「見せてくれんのか?」

「よろしければ」


会ってから五分も経たない男を、どうしてこうも軽々しく家にあげられるのだろう。
きっとそれは、強面な彼から一切嫌な気を感じないからで
それ以外理由なんてない、と。自分に言い聞かせていた。


「へェ……珍しいな、この手入れ道具」

「父は武器の中でも一番刀が好きでしたから、色々集めてたんです」


畳の上に置かれた道具の品々を見て、呟く彼に後ろからそうつけ足す。
彼は壁の時計を見ると「ヤベェ、時間だ」と言う。


「もうお帰りですか?」

「ああ。見せてくれてありがとな。これ、道具の代金」

「ありがとうございます」

「包まなくても大丈夫だ」

「いいんですか?」

「おう、それにまた明日来るしよ」

「え?」


じゃあな、と扉を潜っていった彼を引き止める必要はなかった。
また明日。その言葉を反復して、顔を綻ばせて
白い中にまだ見える萌黄色に、持っていかれそうになる意識を必死で繋ぎ止めた。

その次の日も約束通り彼は店に現れた。
昨日見た手入れ道具を使ってもいいか? と問う彼に、二つ返事で快諾した。

その次の日も、また次の日も彼は律儀にも店に現れてくれた。
ただ単に、手入れ道具を貸して欲しいだけかもしれない。
それでも、充分嬉しかった。

ポツリと「こうしてる時は、心中穏やかでいられる」と言って
思わず顔を見れば、心なしか頬に朱が差していた。

言葉にした事なんて、なかった。
ただ二人、並んで同じ部屋から同じ外の白い景色を見ていられるだけで、幸せだった。

それを人は、恋や恋愛と呼ぶのかは定かではなかったけれど
確かに私は、これが幸せなんだとそう思っていた。

雪しか降らない島。
雪しか見えない景色。
それでもいいと、この人と見られる景色なら、例え一色だとしても幸せで。

その日、いつもより早い訪れに、いささか疑問を持ちつつも
普段通り「いらっしゃいませ」で、彼を出迎えた。


「……あの手入れ道具、譲ってもらえねェか?」


唐突な言葉に、目を開く事しかできなくて。

忘れていた。
彼がいつか、この地を去る事を。

聞けば彼は最近名を馳せている海賊団の一員で
ログが溜まった今、この地に留まる必要なんてない。
そのログが溜まった日が、今日なのだ。


「……あれ、は……父の形見でして……」


建前がそうだとしても、本音はそうじゃない。

あの道具を譲ってしまったら最後、もう二度と彼には会えない。
ここから去るのだから、次に会える事すらないに等しいのに
ましてや、なんの関係もない店主と客の関係なのに。

私が持っていても、あの道具が輝かないなんて事は分かっている。
それでも。それでも私は
彼と私を繋ぐ、細い細い糸を切れなくて。


「そりゃ譲れないよな。変な事言っちまって悪ィ」


売り物の方、貰えるか? と彼は言う。
その言葉に一度だけ頷くと、奥にある品物を取りに向かう。

レジに戻ると、そこにはやっぱり他の武具を見ている彼がいて
この数日間当たり前だったその姿が、見られなくなる事が
どうしてこんなにも、辛いのだろう。

震える手で、彼にそっと手渡した。


「悪いな」

「……いえ、ありがとうございました」

「名前」

「え?」

「お前の名前、なんて言うんだ?」


なんで、最後の最後で。
もう二度と会わないのに。ただの店主と客なのに。


「……、です」

か」


色々、世話になったな

そう言ってあたしの頬に微かだけれども触れたのは、彼の唇で。

気づけば彼の色は、店からずいぶんと遠く
ああ、そうだ。あの先には港があるんだ。
見つけた物は、父の形見である手入れ道具。

流れ出す涙に驚きもせず、声をあげた。
手入れ道具を掴むと、勢いよく店を飛び出す。
まだ、あの距離ならきっと追いつける筈だと。


「待って……!」


雪の降り出した景色の中で、唯一存在する色が私の方に振り返る。
彼は驚いたように私に駆け寄ると、どうしたんだ? と問う。


「私も、あなたの名前、聞くのを忘れてて……」

「それだけでここまで追ってきたのか?」

「それから……これを」


差し出されたそれに、彼が目を丸くする
「だってお前……これ、親父さんの形見だろ?」と


「使わない私が持っていても、道具が可哀相です」

「……本当に構わねェのか?」

「はい……ただ、その代わり……」


後ろで誰かが、彼を呼んでいる声がした。
初めて聞く彼の名前は、新聞で見た事のあるもので。


「それを持っている間は……私のこと、忘れないで下さい……ゾロさん」


溢れ出した涙が雪を溶かしていく。
彼は私が両手で抱えて精一杯だった物を片手で持ち上げて
もう片方の腕で、私を抱き締めた。


「……忘れねェよ。忘れてなんか、やらねェ」


低い声が届いて。

始まりと同時に終わってしまう恋だけど
それでも、あなたに出会えてよかった。そう思える。

船が遠ざかる
あんなにも温かかった体も、今は雪の冷たさに埋もれて
彼がいないだけで、こんなにも景色の色が少なくなるなんて、思ってみなかった。

もしかしたら、もう会えないかもしれない。
それでも、きっと彼を想い続けるだろう。
この島が雪に包まれてる間は、ずっと。










In the snow.










Image song「you」by 倖田來未