仲間で恋人でもあるが死んだ。実験中の出来事だった。



彼女の夢は世界を幸せにできる発明家になる事で、日夜そのための勉強や実験を繰り返していた。
行った先々で何か新しい事を発見する度、子どもみたいにはしゃいだり。
その反面研究をしている最中の表情を見ていると、思わず時間が経つのも忘れてしまうほどで。
彼女が心の中に居場所を作るのにそう時間はかからなかった。

想いを告げたのは、島に着く途中の海上だった。

普段なら騒々しい夕方の甲板では何かの本を読んでいて。表紙を見ても中身なんて分かるはずもない。
それでも時折彼女はそれの内容や、今何を目標にしているかをおれだけに話してくれていた。
どうしておれだけなんだと聞けば「ゾロはなんか話しやすい雰囲気なんだ。だからつい色々話したくなっちゃって」と。

夕陽の橙色がの輪郭をぼやけさせていて。
柄にもなくとても美しい光景だと思った。
本に集中しているから視線はもちろんこちらを向いていない。
その視線をおれだけのものにできたなら、そんな考えが口を動かさせた。




「ん?」


名前を呼べば気がついたのか、栞を挟み本を閉じる。
横顔が正面からになって、それが頬を緩ませてしまうのをなんとか堪えた。


「もしおれが、お前のこと……」

「うん」

「……好きだって言ったら、どうする」


回りくどい言い方しかできなかったのは、土壇場になって臆病風吹かれたから。
世界一の剣豪を目指す者が聞いて呆れるとは思ったが、それとこれとはまた話が違うと言いたい。

目が開いて瞳孔が揺れ動きながら大きくなるのが分かるくらいの距離にいて。
その仕草が、彼女が心底驚いている事を伝えていた。

何度も口を開いたり閉じたりして、ようやく決心したのか声が発せられた。


「ゾロが私のことそう思ってくれてたら、すごく嬉しいよ」


夕陽の色に染まっているのに、それでも分かるくらいの頬は赤くて。
そこを爪先でごまかすように掻きながら服をくしゃりと握っているのを見て、自然と体が動いた。
すぐそこにあった体を引き寄せて腕の中に閉じ込める。
陽に当たっていた事と彼女本来の温かさが、じんわりと胸にぬくもりを届ける。


「なあ」

「うん」

「絶対大切にする。何があっても守るから……隣にいてくれねェか?」


まだ明確に想いが伝わったわけでも、伝えてもらったわけでもなかったからこその言葉だった。
は大きく頷くと、その小さな手をそっとおれの背中に回した。


「私ね、ずっとこうして欲しかったんだ」

「ずっと?」

「多分、先に好きになったの私だと思う」


思わず見下ろせば、照れ臭いのを隠すようにいたずらっぽく笑う彼女がいて。


「こんな事言ったら怒られるかもしれないけど、私はゾロだけがいてくれればそれで幸せなんだよ」


そう言って背伸びをして頬に口づけられた。

隠していても一緒に生活をしていて、なんとなくの違いを見つけられ仲間達にも関係が発展したのがバレた。
なんやかんや言いながらも祝福されて、これにかこつけて小さな宴も催された。
日常が大きく変わった事はなかったが、それでも以前よりふたりでいる時間が増えて。
おれが鍛練をする横で彼女は本を読んだり小さな実験をしたりと、お互いの時間を共有していた。
夜を共にして肌を重ねる事も、朝を迎えて笑い合う事も少なくはなかった。

喧嘩をするほど、なんてよく言ったものだがおれ達には当てはまらなくて。
それらしいものはあっても大きないざこざはなく。穏やかな日々を過ごせていた。

いつか、おれもも世界一になった時。
その時は絶対にもう一度幸せにすると誓おうと決めていた。
彼女とだったらどんな荒れ狂う海でも、それ以外の場所でもやっていけると。
おれ達の手を繋ぐ小さな存在も欲しいと思えた。
それを話した事はなかったが、きっとも同じ気持ちだったんだろう。

けれどそれも、今となってはもう聞く事もできない。



サウザウンドサニー号に船が変わった時、ルフィが特注でどうしても作りたいと言った中に彼女の研究室があった。
どんな実験にも耐えられる安全な部屋を作って欲しいと、がアイズバーグ達と相談していたのを覚えている。
彼女が言っていた安全の中に、彼女自身が入っていなかったなんて思いもしなかった。

それぞれがそれぞれの午後を過ごしていた時、けたたましい警告音が鳴り響いた。
それは初めて聞く音で、誰もが慌てふためいて食堂に集まった。
フランキーが「こりゃの実験室で何か起こった時に鳴るやつだ!」と。
その言葉を認識した瞬間にはもう走り出していた。

通常なら閉まって鍵までかかっているはずの扉が開錠されていて。おそらく自動で開かれたんだろうと。
中へと躊躇する事なく飛び込めば、分厚いガラスを挟んだ向こう側にの背中を見つけた。


!!」


おれの声が届いたのか彼女が振り返る。
その顔には焦りも何もなく、ただ全てを諦めた色だけが浮かんでいた。
がゆっくりとガラスの壁に近づく。

もうひとつの扉を見つけ刀を構えた時、ドン、と何かを殴ったような音がして。
見ればしてはいけない事を止めようとする表情の彼女が、拳を目の前に打ちつけていた。
の視線とおれのそれが絡むと彼女は首を横に振った。

変わらず響き渡るうるさい音。
どんどん色を失っていく顔。

手招きをされて、震える脚をなんとか動かして呼ばれた方へと。
拳は平に変わりおれの手を待ち構えているように見えた。
そこへ同じように重ねれば、なぜかホッとしたような顔になって。

の口が動く。けれど声は阻まれて届かない。
どうしてさっきのおれの声は彼女に届いたんだろう。
何を言っているか全く分からなくて、それでも確かに彼女の残り時間が減っていっているのが分かる。
その証拠に咳き込んだ途端、真っ赤な血液がガラスに飛び散った。


「なァ頼むから! 早くそこから出てこい!!」


おれには彼女の言葉は聞こえないのに、彼女にはおれの言葉が聞こえていて。
首を振るたびに髪が揺れてそれがやけにゆっくりとしたものに見えた。

の命が消える瞬間、最期の一言だけは分かった。


「ごめんね」


おれ達の頬に同じ水滴が流れて、そうして彼女はガラスの下へと落ちていった。



原因は実験の最中に配合に失敗したせいで発生した、毒ガスだった。
何を作っていたのかよく分からないが、形見に成り下がってしまった彼女のノートにはいくつかの言葉が書かれていた。

効果・助かる見込み98%、およそ世界の8割、子ども、成功率10%

の話の中でひとつ思い当たるものがあった。
世界での認知度は低いがある重い病があり、その患者のほとんどが子どもであるという。
その特効薬の研究は収益が見込めないためかあまり進んでいない事。
彼女は何度かその病に伏している子どもに会ったという事。
おそらくはその特効薬か何かの実験をしていたんだろう。

あの時なぜ彼女は部屋から出て来なかったのか。
それはおれ達全員を守るためだったという事を、後から聞かされた。

あの部屋は緊急事態が起こった時、外からも内からも開かないように設計されていたという。
爆発が起きても決して吹き飛ばない、海水に呑まれても何も流れない、そんな風に。
そして一切の空気も遮断できるように。
少しでも隙間を開ければ瞬時にあのガスは船内を駆け巡り、おれ達も餌食にしていただろうと。


共に歩む未来を見ていたはずだった。
互いに互いがいなくてはいけない、そんな存在になっていたはずだったのに。
彼女はおれではなく、夢と世界中の子どもを選んだ。

もし逆の立場だったなら、おれはどうしていただろう。





貴方がいればそれで良い、なんて、言ってくれたのに。
お前にとって俺はどうでもいい存在だった。






せめて最期の言葉が謝りではなく、遺していくおれを奮い立たせてくれるものだったなら。

Title by Lump「一方通行」