恋人であるサンジは、たいへん女好きで有名だ。
それに対して私はサンジが初めてという、恋愛初心者で。
どうしてそんな私が、女好きのサンジとそういう関係になったか。
正直、最初はかなり軽いノリだったんだと思う。


「て言うか、あんた生意気なんだよねぇー」

「大体その目つきからして気に喰わないんだよ」


昔から身長や目つきの事で度々、同級生や先輩から呼び出される事があって
別に、私は何もしてないんだけどな、なんて思うけど
決まって相手はそれを聞いてはくれない。


「目つきも性格も生まれつきなんだから、しょうがないんじゃない?」

「そういうのがムカつくってんだよ!」


ガン、と壁を一人が蹴る。
女の子なのにバイオレンスだな、と、どこか抜けた事を考えていたら
いつの間にかその対象は私に向いていて
パシンと乾いた音がして、頬がジンジンと痛んだ。


「って……」

「ざまぁみろ」


その一言でプッツンとキレた。


「テメェら黙ってりゃいい気になりやがって! ふざけんなよ!」


ドスのきいた声で凄むと、一瞬相手が怯えたけれど
人数が多いのに後押しされたのか、負けじと怒鳴ってきた。


「うるせんだよ!! いい気になってんのはテメェだろ!!」


頬を殴ったであろう女子が、拳を振り上げて
来るであろう痛みから、少しでも逃れようと咄嗟に瞼を下ろした。


「っとォ……危ない危ない」


さっきと似た、乾いた音がして
鼻に届いた匂いは、学校ではありえない煙草の匂い。
おそるおそる瞼を上げれば、目の前には黒の学ラン。
その上に視線をやれば、眩しいくらいの金髪があった。


「レディがレディを傷つけるのは、あんまり見ていて気持ちのいいもんじゃねェぜ?」


聞こえてきた低音は、どこか怒声を含んでいて
もしかしなくても、私のことを庇ってくれていた。


「は? テメェに関係ねぇだろ?」


女子の一人が、その人に食ってかかろうとした時


「あんまり大人しくできないんだったら……どうなっても知らねェよ?」


庇われている私でさえ、その声に怯える。
もちろん面と向って言われた彼女達は、一目散に逃げていった。


「……あの」

「はァ、やっぱり女の子相手は後味が悪ィな……」

「へ?」


お礼を言おうとした瞬間、そんな一言が聞こえて


「でも、可愛い子が困ってたら助けなきゃ男が廃るしな」


振り向いて、笑いかけられた。
刹那、単純にも恋に落ちて。


「まあ、強い子も好きだけど」


心臓が、ドクンと跳ねた。
歩き出したその人の学ランの裾を、しっかりと握っていた。


「あのっ……その、ありがとうございました!」


きっとその時、すごく顔が赤かったと思う。
握っている手は震えてるし、声も上ずってしまって


「それで、あの名前」

「サンジ」


握っていた手の平を握り返されて、甲にキスをされた。


「君の名前は?」

「私?!」

「うん」

「私はです!」

ちゃんね」


付き合おっか


そう言われて、今度は頬にキスをされた。
勢いで私は頷いた。

単純に、そう一目惚れ。
後にサンジが女好きだという事を知り、よくよく観察してみれば案の定だった。
それでも、あの時感じてしまった気持ちは、紛れもなく本物で
どうしようもなくサンジを好きになってしまった以上、目を瞑るしかなかった。

仲のいい子が「今までサンジは特定の子と付き合った事がない」なんて噂を教えてくれて
確かめたらすんなり、YESの返事をもらった。


「だからちゃんがおれの初めての人」


と、甘い甘いフォローも忘れずに

私とサンジが付き合うという事実は、瞬く間に広がり
あまり仲のよくないクラスメイトにさえ「やめとけ」と止められる始末。
それでも、一番仲のいい子は「あんたが好きならいいんじゃない?」とだけ言ってくれた。
そんな感じで日々を過ごしてきて、もうすぐ一年が経つ。


「本日晴天、まさにデート日和」


一人、待ち合わせ場所で呟いた。
一年記念日、二週間前のデート。
いつもいつも、サンジと比べられて見劣りのないようにオシャレに気を遣う。
今日は上着を新調してみた。


「お待たせ、待った?」

「ううん、大丈夫」


サンジは大体五分前行動、そして私は十分前行動。
それを気にしてはいけない。


「あ、服新しいね」

「うん、気に入ったから買ったんだ」

「似合ってる。スッゲェ可愛い」


照れてはにかむ私の頭を優しくと撫でる。
嬉しくて、でもちょっと恥ずかしくて少し俯いた。
そうしたら、サンジの大きな手の平が離れてそのまま携帯にのびる。
素早く操作して、またポケットにしまう。
それはきっとメールの返信。


「メール?」

「うん、クラスの女子から」

「そっか」


誰? とか何の用事だったの? と、聞けないのは
私がサンジに甘いから。
傷つくのが怖いから。


「ごめん、じゃ行こうか」

「うん」


引っ張る手の強さとか、私と歩く時は遅くなる歩調とかはすごくすごく好きだけど
唯一好きになれないのは、どんな女の子にも優しい事。
きっと、それは私の我侭だから、言わずにそっと胸の奥に隠しておくけれど。


「少し休憩しようか」

「へ?」


サンジが見たいと言ったCDを探しに行く途中
そう言ってサンジがカフェを探し始めた。


「買いたいCDあるんじゃないの?」

「だって、さっきクシャミしたろ?」

「私、した?」

「うん、寒いと思ってさ。CDは少し休憩してからでいいし」


ほら、行こう と言いながら手を引く。
見えた横顔が、やっぱり格好よくて。
胸の奥のほうが、キュンと音をたてた感覚。
サンジは、今まで味わった事のない気持ちをいつもくれる。


「そう言えばってスカート穿かないよね」

「うーん、動きにくいし」

「おれミニスカすごい好き」


あんな感じの とサンジが指差す方には女の子。
だらしなく緩みきっている頬を抓りたくなった。


「一年記念の日、どうしたい?」


店に入って、席に案内されて一言目に言われた。


「覚えてくれてたの?」

「当たり前。おれが忘れると思う?」


得意気な表情でメニューを見ているサンジがすごく、すごく愛しくなって
視界が少し歪んだ。


「で、どうしたい?」

「あ、うん。そうだね」


綺麗な景色を二人で見たいとか、美味しい物を食べたいとか
たくさん、やりたい事があったけど。


「サンジの部屋、行きたい。それでサンジの作った料理が食べたい」

「え、そんなんでいいの?」

「うん、そんなんがいいの」


一度だけ行った事のあるサンジの部屋は、全然男の子っぽくなくて
キチンと整頓されているラックや、本棚にある料理専門の本。
全部が意外だったのを覚えてる。
調理師になりたいんだと教えてくれた。
その時にサンジが作った料理を初めて食べたけれど、母親の作った料理より美味しくて。


「なんでこんなに美味しいの? すっごい感動なんだけど!」

「そんなに褒めてもらうと、作りがいがあるな」


照れくさそうに笑いながら、私の頬についたご飯粒をとってサンジは言った。


「たぶん、に作る料理が一番美味いと思う」

「へ? 何で?」

「料理はさ、作ってあげる人への愛情の深さで決まるんだよ。おれが一番愛情を注いでるのがだから」


好き過ぎて、嬉し過ぎて苦しくなる。
きっとサンジに出会わなければ、知らなかった感情。


「普通にデートして、二人で買い物してサンジの部屋でご飯食べる!」

「……じゃあさ」

「ん?」

「ペアで指輪でも買うか。予定してたより、予算余りそうだし」


そう言ってサンジが触れたのは左手の薬指。


「細いなー。俺の半分くらい」


当たり前のようにそこに触れて、当たり前のように笑う。
ああ、どうしようもなく、私はこの人が好きだと思った。





「というワケで、明日はお泊りです」


浮かれまくって、仲のいい友達に一部始終を話す。


「……まさかここまで続くとは」

「何その、意外です、みたいな表情」

「表情だけじゃなくて、心の中でも思ってる」


まあ、案外そういうカップルの方が続くって言うしね、と友達は笑った。
その例え、嬉しくないよ、なんて言っている私の表情はニヤけている。


「私だったら、彼氏が他の女と喋るだけでもかなりキレるけどね」

「それは怖いなあ……」


フッと友達は軽く笑って、私に聞く。


「今更だけど、あんたアイツのどこが好きなのよ?」


好きなところ
顔が格好いいところとか
案外寂しがり屋だったり、打たれ弱いとか
とにかく優しいところとか
あげればあげるだけ、キリがない。


「全部……じゃないかなぁ」

「すごい曖昧」

「だって決めらんないし」


曖昧だと言われても、当てはまる言葉がそれしかない。
サンジの嫌なところもひっくるめて、全部が好きで
想うだけで幸せになれる、愛おしく思える。
そんな気持ち、サンジが初めてだったんだから。
にやける頬を抓まれながら、そんな事を思った。



当日、いつもの場所で待ち合わせ。
私はやっぱりいつも通りにオシャレをして十分前にそこにいる。
そして、きっかり五分前
けれど普段ならそこで来る筈のサンジが現れなかった。

四分前、三分前。
一度も遅刻がした事のないサンジが、時間通りに来ない。


「遅いなー」


不安を紛らわせるために呟いた言葉は逆効果で、不安はますます募っていく・
瞬間、携帯が震える。
メールを開いて愕然とした。


ごめん、今日行けなくなった。
今度埋め合わせするから、今日は帰って。


理由もなく、ただ電子文字がチカチカと浮かんでいた。





***





「昨日、どうしてダメだったの?」


次の日、サンジに問いかけた。


「心配したんだよ? いきなりダメになったって言うから」

「……本当ごめん」


ただサンジはバツが悪そうに俯いたまま、同じ言葉しか言わない。


「別に怒ってないから、だから理由教えて?」

「それは……」


黙ったまま、サンジは下ばかり見ている。

そんなに信用がないの?
私には言いたくない事なの?

嫌な気持ちばっかりが溢れそうで、グッと涙を堪えた。


「サンジ君、この前楽しかったね。また遊ぼうねー」


違うクラスの女子が、通り過ぎる時に言った言葉は
私を後ろから刺した。
ぽろ、と溢れた涙。


「どう、いう事……?」


ぽろぽろと涙は止まらない。
サンジは何かを言いたそうに、ただ私の目を見ていた。


「なんで……他の子とは遊ぶのに……私の約束は破るの?」

「破るつもりはなかったんだって」

「じゃあ理由教えてよ!」


ギュッと目を瞑って、搾り出すように言う。


「サンジにとって……私は何?」


もう止まらない。


「他の女の子と平気で遊ぶし……デートの途中でも連絡が来れば絶対に返す」


膿んでいた傷口が開く。


「私は……必要ないの?」


自分で言っていて、すごく空しくなる。
寂しいよ、何か言ってよ。



「……もう無理、私」

はおれと別れた方がいい?」


私の目を見ずに、サンジは言葉を紡いだ


「そんなに辛いなら、別れた方がいいよ。おれはのしたいようにするから」


私を見もしないで。そんな残酷な言葉。
いつもみたいに、軽口を叩いて抱き締めてくれると思った。
けど、サンジは立ち上がる事もしないでただ手を組んだまま廊下の床を見ていた。

どうしてそんなに、酷い事が言えるの?
そんな簡単に、切れるような関係だったの?

言いたい事はたくさんあったけど、泣きじゃくる私は何も言えずにその場から逃げるように歩き始めた。


「サンジと別れた」


教室に戻ると、もう人はいなくて
鞄の中から携帯を取り出し、友達に電話をしてそう言った。
すごく驚いた声と、本当にダメなの? という声だけが聞こえて
それに、多分もうダメとだけ答え続けた。

やや強引に話を終わらせて、携帯を元に戻した。
いつもだったら、サンジと二人でいる時間に、今の私は一人で。

そのまま電車に乗り、都会のど真ん中に来ていた。

空は薄黒く、街灯やイルミネーションがキラキラしている。
道行く人は誰も見向きもしないし、殊更それを気にするわけでもない。


「さっきから暇そうだけど、誰か待ってるの?」


不意に声をかけられて、その方向に顔を向ける。
そこにはサンジに似た金髪を持つ男がいた。


「……別に誰も」

「じゃあさ、暇人同士どっか遊びに行かない?」


俗に言うナンパらしく、相手のノリはかなり軽かった。
今までは、サンジがいつも隣にいてくれたから、された事がなかったのかな。
私自身も、行く気なんて毛頭なかった。けれど。


「……いいよ」


半ばヤケになって答える。


「決まりー。じゃあ早速なんか食いに行こう?」


グイッと力強く腕を引かれ、軽い痛みがする。


の腕は細いから、優しく扱わなくちゃな


フラッシュバックしたサンジの声は優しくて
そうやってサンジは私を大切にしてきてくれた。
どうして今頃になって思い出すの?

あの瞬間、言いたい事を言えばよかった
幸せはいつもサンジが与えてくれてるって事
私の隣はサンジじゃなきゃダメだって事。


「やっぱり、無理。離してください」

「は? 何今さら。離す方が無理だし」


掴まれたままの腕は急速に痛みを増していく。
嫌悪感と吐き気が襲ってくる。


「離して!」

「なんだと?! テメェ調子に乗ってんじゃねぇぞ!」


ヒュッと風を切る音がして、私は目を見開いた。
刹那、視界が黒で染まる。


「失せろ」

「はあ? テメェ誰だよ?」

「失せろっつってんだよ!!」


色褪せない、綺麗な金髪が揺れて
涙が溢れてくる。


「ど、して……」


声が涙に邪魔されて、途切れ途切れになる。


「やっぱり無理なんだよ、おれが。の傍にいられなくなるのが」


ぎゅっと抱き締められて、香る匂いはやっぱりあの時と同じ、煙草の匂い。


が泣くから、おれといて辛いなら自由にしてあげた方がいいのかと思った。でもそれじゃあ、おれがダメなんだ」


回された腕はやっぱり優しくて、耳元に振ってくる言葉は甘く染みていく。


「我侭でごめん。自分で言っておいて……でも別れるとか無理なんだ」


自分の腕をサンジの背中に回す。


「ねえ、どうして来れなかったの?」

「笑わねェ?」

「うん」

「……楽しみ過ぎて、夜眠れなかったんだ。それで、具合悪くなって……」

「そっか」

「ほんと、ごめんな」


頭を撫でる手は優しい。涙が目尻に溜まった。

お互いが一番だなんて、分かる筈がない。
知ってるのはその人ひとりだけなんだから。

だから時々不安になって、また泣いてしまうんだ。
それでも君が好きだから。
やっぱりこうやって抱き締めて欲しいから。
いつかまたこうやって不安になっても、きっと君が優しくしてくれる。
私はだたそれを信じていけばいいんだと、今気がついた。










sweet sweet sweet.