ちゃんを初めて見た時、予感めいたものを感じた。
きっとおれは、彼女に惹かれるだろう、と。
容姿がずば抜けていいわけではないけれど、ちゃんの笑顔はただただ眩しかった。
ナミさんにもロビンちゃんにもない何かを、彼女は持っていて。
陳腐な言葉で言ってしまえば、魂の片割れなんじゃないかって程、惹きつけられるものを感じたんだ。

それは、あいつも同じだったようで。

珍しく、熱に浮かされたみたいな表情で彼女を見つめていたゾロ。
ちゃんが近づいて、握手をするために手を差し伸べた。その時の動揺っぷりは、今思い出しても笑えるくらいで。
かく言うおれも、同じようにみっともないくらい取り乱したわけだが。



いつものように午後のティータイム。食堂にはちゃん以外の仲間が集まっていて。
レディにはもちろん一から十まで給仕して、野郎共はいい、という前にすでに食べ始めていた。
おれはここぞとばかりに、ちゃんを呼びに行く役目を手に入れる。

甲板に行けば、芝生の上で読書をしているちゃんがいた。
彼女はあまり室内にいる事を好まない。というよりは、外にいる方が好きらしい。
雨や嵐が来ていない、安定した天候の時は大概こうして芝生の上にいる。
読書をしたり、仲間達の洋服を作ったり、楽譜を書いたり。
そして、彼女の集中力は並大抵のものではない。
おれがそっと、あと数メートルという所に来ても気づかない程だ。

芝生の上に本を置いて、それを眺めているから俯いている顔。
時折吹く潮風に揺られる髪、ページを捲るおれよりも細い指先。
彼女を象る全てが愛おしくて、今すぐにでも抱きしめたいくらいだ。


ちゃん」


驚かせないように、同時に、彼女にしか聞かせないような柔らかい声色で、名前を呼ぶ。
すると、本から顔を上げて、おれを見る。ゆるりと笑って「サンジ」と名前を呼んでくれる。
この瞬間が、たまらなく幸せで。


「ティータイムですよ、お姫様」

「あ、もうそんな時間なの?」


本に栞を挟み、立ち上がろうとする彼女に手を差し伸べる。
すると、足が痺れていたのか、ちゃんの体が俺の腕の中に飛び込んできた。
今の天候は夏で、当然彼女は薄着なわけで、おれもシャツ一枚で。
薄い布越しに伝わる体温と、少しだけ触れた彼女の肌に、一気に体の温度が上がる。


「ごめん、足痺れちゃってたみたい」

「い、いや、大丈夫だよ」

「……サンジ、顔赤いよ?」

「暑いからじゃねェかなァ!」


いくら女性の扱いに長けているからといって、好きな女性の体温や肌に触れて、平常心でいられる訳もなく。


「もうちょっとこのままでいていい? まだ痺れ取れなくて」

「あ、ああ……」


身長差から、彼女の顔を上から眺める形になっている。
伏せられた瞼、長い睫、形のいい唇は思わず吸いつきたくなる程で。
そんな事を考えていると、瞼が上がりくるりと瞳がおれを見る。
ふわりと離れていく体。残されたのは、ちゃんのお気に入りのシャンプーの香り。


「ありがとう」

「……いえ、どういたしまして」


行こうか? と言えば、頷いておれの後についてくるちゃん。
雰囲気的にも、タイミング的にもきっと、もしかしたらチャンスだったのかもしれない。
好きだ、と告げる。
でも、まだまだ臆病なおれは、この立ち位置でいたいような気もして。

船内へと続く扉に近づくと、勝手に扉が開いた。そこから顔を出したのは、ゾロだった。


「何やってんだよ、

「本読んでた。ゾロこそどうしたの?」

「おれはもう食い終わったから昼寝しに来たんだよ」

「そっか。あ……」


ちゃんが何かに気がつく。
それは、ゾロが着ているシャツの襟ぐりで。ややほつれている。
そこに指を持っていくと、まじまじとその部分を見る。


「ほつれてる。後で縫うよ」

「おう、ありがとな」


ほつれ具合を見るちゃんは、少々近すぎやしないか、というくらいゾロの側に寄って。
そんな彼女を、普段の目つきが考えられない程柔らかな視線で、見つめる奴。
おれと、同じ目だ。
頭の中が、端からヂリヂリと焼かれていくような感覚を覚える。


「マリモはお寝んねの時間だろ、さっさと行けよ」

「ああ? なんだよクソコック」

「もう、すぐ喧嘩するのやめなよ」


ちゃんを挟んで睨み合うおれらを、苦笑いしながらたしなめる。
そんな彼女を、おれも奴もやっぱり同じような目をして見ていたんだろう。
きょとんとするちゃんに、おれは慌ててダイニングへと。ゾロは甲板へと歩き出した。
「変な二人」と笑うちゃんは、何も気づいていない。



ティータイムも終わり、おれは夕食の仕込みを始める。
各々がそれぞれの場所で、思い思いの時間を過ごしていた。
ナミさんから許可を貰い、今日はステーキのオレンジソース添えにする事にしていた。
蜜柑を取りに行くために、キッチンを後にする。

蜜柑畑でいくつか熟れている蜜柑を収穫して、キッチンに戻ろうとした。
不意に、サニーの首元にゾロの後ろ姿を見つける。
それから、すぐ横で眠るおれのお姫様の姿。

なんとなく、というかとても気になって、様子を眺める。
ゾロは刀の手入れをしているらしく、周りには刀と手入れ道具があった。
だが、集中できていないんだろう、何度も横で眠るちゃんを見ている。
時折、本当にほんの少しだけ距離を縮めやがるのには腹が立った。

刀を置き、手入れ道具を片付ける。それでも、奴はそこから離れなかった。
まるで、眠り姫を守る騎士だとでも言いたげに。

ゾロがまた、ちゃんを見る。
その無骨な手が、彼女の小さな頭を撫でた。
何度も何度も往復するその手の、優しい動き方がやけに目について。
そこからの出来事は、全てスローモーションのように見えた。

ゾロの手が離れたと思うと、奴は屈んで顔をちゃんの顔に近づけた。
ちゃんは海の方を向いていたから、おれからは直接見えたわけではなかったけれど。
確かに、奴は。


「テンメェェェッ! ちゃんに何しやがるっ!!」


ぼとぼと、と落ちた蜜柑の事なんて気にしていられなかった。
その場から猛スピードで、二人の所へと走り、その勢いで奴の背中を蹴り飛ばした。
突然の事に受け身を取れなかったゾロは、おれの蹴りをもろに受け、その衝撃で縁に頭をぶつけていた。
そして、轟音で目を覚ましたちゃんは、何が何だか、という顔をしている。


「え、ちょっと、待って! 一体二人ともどうしたの?!」

「どうしたもこうしたも! こいつが」

「うるせェ!!」


起き上ったゾロが、怒声を上げる。表情はまるで、敵と対峙した時のような表情で。
こいつにこんな表情を向けられた事がなかったおれは、一瞬怯んでしまって。
あたふたと、おれとゾロの間でちゃんが慌てふためいていた。

ゾロがガチャガチャと刀と道具をまとめる。
「余計な事言うんじゃねェぞ」とだけおれに言うと、その場を後にする。
その物言いに、腑に落ちないものを感じながらも、今見た事をちゃんに言ったところで
下手をすれば、彼女を傷つけるんじゃないだろうかと思い、おれも口を噤む事にした。

「起こしちゃってごめんな」と彼女の頭をぽんぽんと撫で、落とした蜜柑を拾ってキッチンへと戻った。



夜、全員が寝静まった頃、おれはひとりで甲板にいた。
煙草をふかしながら、今日の事を色々と考えていた。

おれだって、できる事なら彼女に触れたい。それを寸でのところで我慢しているというのに。
やはり納得がいかなくて、苛立ちと焦燥感の板挟みにされる。


「……クソが」


煙草を握り潰し、空になったケースへとしまう。
そろそろ寝るか、と海を一瞥すると、後ろに気配を感じる。


「……テメェか」


相手はゾロだった。
奴はバツの悪そうな顔で、おれの隣に立つ。


「……悪かったな」

「あ?」

「昼間の事だ」

「……謝る相手が違ェだろ」


それもそうだな、と妙に清々しい表情で言われ、それはそれで腹が立った。
今思うと、おれもこいつも、互いに自分の気持ちを言った事はなかったな、と。


「……なあ」

「なんだよ」

ちゃんのこと、好きなんだろ」

「……お前もだろ」

「おう」


なんでナミさんやロビンちゃんじゃねェんだ? と聞くとあいつの笑った顔が、特別光って見えたんだよ、と返された。
まさか好きになった理由も似たようなものだとは思いもしなくて、思わず笑いが零れた。


「テメッ……! 何笑ってやがる!」

「ハハッ……いや、まさか好きになった理由が、おれと同じだなんて思わなくてな」


それから、延々と二人でちゃんのどこがいいだの、あそこは反則だの、そんなくだらない事を言い合っていた。
そんな事をしていたら、また不意に気配を感じて。二人で振り返れば、そこにいたのはまさかのちゃんで。


「二人してこんな夜遅くにどうしたの?」


どうやら話の内容までは聞かれていなかったみたいで、それには二人して一安心した。


「い、いや、なんだか寝つけなくてさ」

「おれもだ」

「ふーん」


言いながらちゃんは、おれ達の間に入って海を眺め始めた。
どこかで聞いた事のあるような歌を歌いながら、空と海を交互に眺める。
ゾロと目配せをして、悟る。きっと、今が言うタイミングなのだと。


「なあ、ちゃん」

「んー?」

「聞いてほしい事が、あるんだ」

「……うん?」


ちゃんがおれの方を向く。
まっすぐな瞳は星の煌めきを受けて輝いて見える。ドクドク、と心臓がうるさい。


「おれ、ちゃんが好きなんだ」


その瞳が真ん丸に開かれる。その表情さえ愛おしくて。





ゾロの声が、彼女の名前を呼ぶ。
ハッとした顔で、おれから奴に視線を移して。


「おれも、こいつと同じ気持ちだ。お前が、好きだ」


二人同時に、ちゃんを抱きしめた。ややこいつとも抱き合う事になっているのが気に喰わないが、いたしかたがない。
腕の中のちゃんは、まさに混乱しています、って表情で。
それから次第に、何度か瞬きをすると、そこからポロリと涙を零した。


「……私、幸せ者だね」

「え……?」

「ふたりに、こんなに愛されて。……答え、まだ出せないから、少し待ってくれる?」


そう言って、おれとゾロの頬にそっとキスをした。





やさしい瞼とさみしい心臓





企画「HEPATICA」様に提出した作品です。