三日後にあの島で花火大会があるらしいの

三日前の朝に、ナミさんが言っていたのを思い出しおれは甲板へと足を運んだ。
黒が支配する風景に、僅かながらの恐怖心を覚えつつ、真っ直ぐに船首に向った。

黒い海に浮かんでいるのは白い月。
見渡すと静かに、揺らいで見える島。

今日の昼間、降り立ち様子を見た分には優しい島だった。
緑が満ち、人も街も活気に溢れていて。
とても、とても居心地のいい島。
けれど今はそのなりを潜め、しっとりと黒い海の置物と化している。

ラウンジからは光が漏れ、時折聞こえてくる野郎どもとレディの声。
おれはただ、ずっと地平線を眺めていた。

一つの轟音がした。

地平線から伸びる光の筋。
そして行く果てで咲き誇る、赤い華。
おれは掌を手摺に置き、その華をじっと見続けた。





が……死んだわ」


朝一番、おれのもとへ来たナミさんが言った言葉はそれだった。


「そう……ですか」

「うん。今チョッパーとロビンが最後の弔いをしてる」


そう言って、ナミさんはその場に崩れて


「どうしてっ! どうしてなのよ!」


ただ、泣き叫んでいた。

人参の皮むきの手を止め、おれはラウンジの扉を開いて
そこに佇んでいたのは、ゾロで。床をジトリと睨みつけ、下唇を血で濡らしていた。


「結局、何にもしてやれないまま……逝っちまったな……」


手摺に背中を預け、おれに気づいて話しかける。
けれどおれはその言葉を素通りして、特等席に座るルフィのもとへと歩いた。


「おい、ルフィ」

「なんだ?」


振り向いたソイツの顔を見て、一瞬たじろいだ。
瞳は闘う時の、あの真剣な眼差しだけど、そこから流れ出てるのは涙。
拭う事も、止める事もしない。
ただいつもの格好のまま、ルフィは声も出さずに泣いていた。

気づけば、その近くでウソップが釣りをしていた。


「おい長ッ鼻……」

「どうした? サンジ」


泣いているのかと思ったら、ウソップは笑っていて
そう、いつものように釣りをしてた。


の好きだった魚……あれなんだっけ?」

「あァ?」

「お前彼氏のくせにそんな事も知らないのか? 前によう、俺様が釣ってやった……」


そこで音は途切れて、代わりに視界に入る震えた肩。


「前にデカイ魚を釣ったんだよ! そしたらの奴、スッゲェ笑顔でっ……すごいねって……また釣ってくれって……!」


見ていたくなくて、顔を背けた。


「頼むよ、サンジ……アイツの好きな魚……教えてくれよォ……」


ギリギリと音を立てて軋む釣竿が、まるでウソップの悲鳴のようだった。



女部屋へと続く扉は珍しく開放されていた。
ゆっくりとした動作で、おれは階段を下りる。
ベットの両端に、チョッパーとロビンちゃんがいて
その真ん中に、おれの最愛の人が眠っていた。


「ごめん……ごめんな……おで、おで……!」


小さな蹄での腕を丁寧に拭くチョッパーの瞳からは、とめどなく雫が零れ落ちる。
その横で優しい顔をして、ロビンちゃんがちゃんの髪を梳かしていた。

今はもう泣いていない、きっと強い彼女の事だからもっと前に一人で泣いていたんだろう。
その瞳は赤く腫れていた。

近づくと、壊れてしまいそうな雰囲気。
足音でおれに気づいたチョッパーが、タタタッと駆け寄ってくる。


「ごめん……サンジ、おでの事治してやれなかった……!」


そう言って、小さな体でチョッパーはおれの脚に抱きついた。
屈んでその震える、頼りない頭を撫でる。


「気にすんな」


おれは笑った。
一層、チョッパーは泣いた。


「うわああああんっ!! ……!!」


蹄で大きな瞳をずっと擦り続けていた。


「コックさんは、泣かないのね?」


髪を梳かす手を止め、ロビンちゃんがおれに問う。


「おれが泣いたら、ちゃんも悲しんじまうから」

「も?」

「ええ」


力なく微笑めば、ロビンちゃんの頬に涙が伝った。


「ねぇ、サンジ」

「なんだい? ちゃん」

「今度の島でやる花火大会、一緒に見れるといいね」

「そうだなァ。でもおれは多分花火は見れねェな」

「えー、何で?」

「だってちゃんが隣にいんだぜ? おれは花火なんかよりずっとちゃんを見ててェもん」

「ははっ、サンジらしいや」

「だからちゃんもおれのことだけ見ててよ」

「えー、どうしよっかなぁ」

「つれねェなァ。でもそんなところもクソ素敵だぜ?」

「ふふ。じゃあ、花火も見ながらサンジも見てあげる」

「本当に?」

「うん。だから一緒に花火見ようね?」

「分かった。約束」

「うん、約束するね」


約束するね


三日前に交わした約束。
守れなかったちゃん。
彼女はおれの隣にいるはずだったのに
今、ちゃんがいる場所はあの島の広い野原。

気づいた時にはもう遅かった。
忌々しい病魔は、ちゃんの身体のほとんどを食い尽くしていて。

腹が立ったのはその病魔と自分自身。
一番、誰よりも傍にいて気づけなかったおれ。
そんなおれをちゃんは一度も責めなかった。
むしろ落胆するおれを「気にしないで、私は大丈夫だから」と慰めてくれていた。

いつ逝ってしまうか分からない体を背負って、彼女は今日まで生きてきて
やっと、その呪われた体から解放された。



一度も泣いていないおれを、誰も咎めたりしない。どうしてかは知らない。
それでもいつも通りの一日を過ごしたおれを、誰も責めたりはしなかった。


黒い空と黒い水面に映る、色とりどりの華。


赤、青、黄色に緑、白
きっと最高に綺麗なんだろうね


今でも鮮明に思い出せる、ちゃんの笑った顔。

触れたくても触れられない。
微笑みかけても返してくれない。
難しい事じゃないんだよ。
ねえ、もう一度笑って?

それが、ちゃんに言った最後の言葉。
もちろん、そんな願い事聞いてくれるわけもなく
おれの発した音は、空しく宙に浮いたまんまだった。

ふいに感じた、手の甲に落ちた雫は、雨なんかじゃない
ポタリ、またポタリと零れるそれは間違いなく俺の涙で。
手摺に置いた手に、力が入る。

泣かなかった理由
それはおれが、ちゃんが死んだ事を認めたくなかったから
心の奥底で、必ず目を覚ますと信じていた。

否、願っていたから

けれど、今決定的なものを突きつけられた。


ちゃんは……一度も約束破った事ねェもんな」


約束したから。
一緒に花火を見よう、と。

けれど、彼女はおれの隣にはいない。
あの大輪が咲き誇る空に魂を、呪われた体は野原に置いていったから。

約束を破られる事が、こんなにも痛いとは思わなかった。
もう君がいないんだったら、何も成り立たない。

君のために美味しいデザートを用意する事もなくなる。
他のレディに見とれるおれを、叱る事もなく
自由が、束縛がなくなる事がこんなにも苦痛だと
一人の大切な人を見つけることが、こんなにも幸せだと
全部、教えてくれたのは君だった。


「……ッ……ちゃん……」


サンジ


「…………!」


大好き


膝立ちになり、顔を下に向けたまま
涙は床に染みをつくり始める。


「あああああああああああああっっっ!!」


天に向って吠えても、返ってくるのは自分の声で
本当に帰ってきて欲しい君はもう、どこにもいない。

赤く染まる黒の空。
水面が少し、揺れた気がする。

いつか二人で作った砂の城は、波に攫われて崩れ落ちたね。
また作ればいい、そう言ったおれに


「今作った砂のお城は、もうつくれないんだよ?」


と悲しそうに呟いた君。
今なら君の言いたかった事が分かるよ。


「…………」


波に攫われた砂の城は、もう帰ってくる事はない。
ただ、そこにあり続けるのは、君を弔う赤の華。











、砂の城