※直接的ではありませんが、グロテスク・流血表現があります。




最近サンジの様子がおかしい気がする。
何かを思いつめているような、悩んでいるような、そんな感じだ。
心配になってその都度話を聞こうとするのだけれど、彼は曖昧に笑って「なんでもねェよ」と言うだけ。
私では頼りないのは分かる。なら他の人にでも相談して欲しいのだけれど
どうやら仲間内の誰にも話はしていないようだ。


「ねえサンジ」

「ん?」

「……本当に、大丈夫?」


キッチンにて、夕飯の仕込みをしているサンジの横に私はいた。
やっぱり今日もどこかよそよそしくて、おまけに顔色も少し悪いように見える。


「大丈夫だよ」


やはり彼はそうやって曖昧に笑うだけ。
それが妙に悲しくて、無意識に胸元を強く握っていた。


「何か、私にできる事ない?」

「……ちゃんにできる事か」


そう言うとサンジは、ボウルの中の食材を混ぜていた大きな銀色のスプーンをじっと見る。
それが何を意味するのか分からないまま、彼の動作を眺めていた。
銀色のそれが照明の光を受けて、ギラリと不気味に煌めく。

カランと、サンジの手の中からそれが落ちて。


「約束して欲しいんだ」

「……うん?」

「何があっても、おれの傍にいてくれるって。おれだけを見ててくれるって」


鼻腔にサンジが吸っている煙草の香りが充満する。
骨が折れてしまいそうな程強く抱き締められていて呼吸がしづらかったけれど、何度も頷いた。
いつもなら、抱き締められると胸の奥から温かいものが流れだすのに。
どうしてか今は、冷たい風が隙間から強く吹いていた。

その日からサンジが、元気のなかった時に比べて多少は笑うようになった気がする。
サニー号にいる時はなるべくサンジの隣にいるようにして、島や港に着いた時も他の仲間達の誘いを断ってでも、サンジと行動していた。
そうする事でサンジが笑ってくれるなら、と思ったから。
彼がいないところで仲間の皆には事情を説明して、理解を得ていた。
皆「サンジはにべた惚れだからな」と笑ってくれていて。
日に日に、私にしか分からないくらいにサンジは以前の活気を取り戻していた。

だから、心のどこかで安心しきっていたのかもしれない。
もう大丈夫だと、そう思ってしまっていたんだろう。



当分島などには到着する予定もなく、私は芝生の上でサンジと背中合わせになりながら本を読んでいて。
それぞれが自分のやりたい事をしている。

ルフィとウソップとチョッパーがおいかけっこをしていた。
何の気なしに本から目線を上げて、三人の様子を見てみる。
太陽が海と船の上を照らしていて、全身で今の時間を謳歌しているルフィ達はきらきらと輝いていて。
ああそう言えばここのところ、体をあまり動かしていないなぁ、と。


も入るかー?!」


私の視線に気がついたのか、ルフィがそう声をかけてくれる。
入るー! と答えてから本に栞を挟み、立ち上がろうとした。
中腰になったくらいで、何かに引っ張られる感覚を覚えて。振り返れば、サンジがワンピースの裾を握っていた。
彼の表情を窺うけれど、俯いていて目が前髪に隠れてしまっている。だからどんな顔をしているか分からないのに。
それなのになぜか背筋に、まるで氷が融け出したのかと思う程冷たい汗が流れた。


「……サンジ?」

「行かないでくれ」

「え……」


ゆるりとサンジの顔が私を見上げる。
その瞳に光はなかった。それは餓死寸前の、獰猛な鮫の瞳のようにも見えて。
小さくだけれども、自分の手が震えている事に気がついた。
それを振り払うようにあえて笑みを浮かべて、返事をする。


「や、だなぁ……すぐそこで、ルフィ達とおいかけっこするだけだよ?」

「ダメだ」


無理矢理描いた唇の弧は、すぐさま一文字になってしまった。
言い返そうとして口を開きかけたけれど、刹那また閉じてしまう。
サンジの顔を見て、今まで一度も彼に抱いた事のない感情が湧き上がってきて。


「サンジ……なんか、怖いよ……」


少し先で私を待ってくれている三人には、今の彼の表情は見えていない。

睨み上げるように私を射抜くその目に籠っているのは、明らかにナイフのように鋭い殺意で。
どうして、なんで、サンジはこんな風に私を見ているのだろう。

小刻みだった震えが全身を支配した時、不意に体が自由になった。
掴まれていたそこを見れば、布はしわくちゃになっている。
おそるおそる彼を見れば先刻までの様子が幻だったかの如く、青空みたいな笑顔を浮かべていて。


「変な事言っちまってごめんな?」

「え、あ……うん……」

「ルフィ達のところに行っておいで」


立ち上がり後ろに回って背中を押された。
一歩前に出て、それから気づかれないようにサンジの方を見れば。

心の機微を全て忘れてしまったかのような顔をしていた。


夜、見張りのプルック以外は深い眠りの世界にいる頃。私はサンジとふたりでダイニングにいた。
どうしても話したい事があるから、こっそりと抜け出して来て欲しいと言われたから。

その場に静寂という布が敷かれている。どこかで動いている時計の針の音だけが奇妙に響いていた。
サンジは明日の朝食の仕込みをしていて。
スプーンがボウルにカチカチとぶつかる音に、耳を塞ぎたくなる衝動に駆られる。

作業が終わったのか、蛇口から勢いよく水が飛び出す音が聞こえて。
すぐにそれが聞こえなくなり、テーブルについている私の所へと彼が歩いてくる。

その手にはきっとさっきまで使われていた、大きな銀色のスプーンが握られていた。

隣に座ると、肩を掴まれる。ぎちぎちと、肉を通り越して骨を掴もうとしているように思える。
あまりの痛さに顔をしかめると、大きなため息が聞こえた。


「なあちゃん」

「な、なに……?」

「約束してくれたよな? おれの傍にいてくれる、おれだけを見てくれるって」


喉が糊で貼り付けられてしまったようで、返事ができない。
不規則に歯が上下して、がちがちと音を奏でる。


ちゃんが、男を……おれ以外の何かを見るのが嫌なんだ」


そう言ってサンジは笑う。

私が最後に見たものは、スプーンの緩やかなカーブだった。





その瞳が僕以外を映すなんて、許せない





鉄の匂いが鼻に届く。
頬には冷たさと、何かが乾いて肌が引きつる感覚だけが残っている。
背中に回された腕の温かさが、ただただ恐ろしかった。

Title by 原生地「狂気的な愛で10のお題」