目の前の男に敗北を感じた瞬間
見えたのは己の手で葬った、この世で心底愛してしまった彼女の顔だった。





焼けるような痛みを体全体に感じて、ああ、いつも自分は人にこれを与えていたのかと
今更ながらにそう感じて、それがとても滑稽に感じる。
そういえば彼女が言っていたな。
人に与えてしまった苦痛は、自分も感じないと分からない、と

お前さんも、こんな痛みを感じたのだろうか。
なあ。お前さんはあの瞬間確かに笑った。
まるでワシの手に殺されるのを、喜んで受け入れるように。
どうしてこんな痛み、喜んで受け入れられたのだろうか。
きっと、お前はそれはカクがしてくれる事だからだよ、とまたワシの好きな笑顔で言うんだろう。

バタリと倒れこんで、去っていく男の背を眺めて。この先の「仲間」達の安否を探る。
きっと、ルッチ以外はみなやられてしまったのだろう。
情けないかな、自分が闘った海賊の実力で、それを量ってしまった。
そのルッチさえも、多分危ない状況なのだろうが。
今はそれより、自分の体の方に意識が行く。


「熱いのう……」


そっと斬られた所に手を当てれば、ヌルリと生温い感覚と液体。
それは赤黒く、まるで自分の性分を象徴しているようで
自嘲気味な笑いが込み上げるのを、我慢しないで放り出す。

どこかに飛んだ帽子。折られた刀。グシャグシャになった身なり。
至る所から血と汗が吹き出ては、熱が篭りひどく不愉快になる。
重くなる瞼の力に従い、目を閉じれば暗闇が襲ってきた。


カク


きっと、自分が捨ててきた街の港に葬った彼女は、今も自分を呼んでいる。
あの、少し女にしては低いアルトの声で、海に立って
ふてくされた顔で、自分の帰りを待っている。
ワシが迎えに行くのを、待っている。


「本当はのう……の亡骸を、ここまで運ぶつもりじゃったんじゃよ」


誰に言うわけでもなく、誰に聞かせるわけでもなく
否、自分に問いかけるように、その言葉の後を紡いだ。


「でもの、ルッチがダメじゃと言いおって……アイツ、自分に愛しい女がおらんから、意地悪するんじゃ」


だってルッチはいつだって意地悪でしょう?


聞こえてこない筈の彼女の声が、裏切ってもなお自分だけを求め続けてくれた愛しい女の声が
脳内にリフレインして、一瞬だけ覚醒する意識。
ついには幻覚までか、と半ば呆れ気味にもう一度瞼を閉じる。


「なあ……お前は今どこにいるんじゃ……?」


もう一度、この腕で掻き抱きたい。嫌がられても、恐怖されても己が為だけに彼女を抱き締めたい。
不安定な自分が安定する唯一の方法が、に出逢うまでは殺しだった。
だけれど今は、その殺しさえ自分をますます不安定にしかさせなくて、欲しいのは彼女だけで。
瓦礫と炎の中で、情けないほどに搾り出し、枯れさせた筈の涙がまたジワリと浮かんでくる。


「どうしてお前さんはここにいないんじゃ……?」


ぎゅ、と胸のスカーフを握り潰した。
そうだ。これは彼女が去年の誕生日に自分にくれた物だ。


を泣かせるくらいなら、お前の望むようにしてやろうと……それが間違いじゃったんか?」


君がいないことがこれ程に辛いなんて、思いもしなかったんだ。


お願いだから、どうか自分の元に帰って来てくれないか。
馬鹿だなと、もう一人のワシがワシを馬鹿にする。
殺したのはお前だろう? と。嘲笑の笑みで、ワシを見下ろすもう一人のワシ
ああ、いっそお前がワシを殺してはくれないか?


誰が殺すか。自分を殺す馬鹿がどこにおると言うんじゃ


「構わん。がいないんじゃったら生きている意味がない」


海賊一人も止められず、作戦も結局失敗に終わるだろう。なら、もうこれ以上
この穢い世界に縛りつけられている道理はない。今すぐにの元に行かせてくれ。


お前さんは結局自分じゃ何もできないんじゃよ


宣告が聞こえた。刹那の時に体が震える。
この傷じゃ死なない、死ねない。
けれども、こんなにも心は死にたがっているのに
頭はそれを恐怖して、受け付けてくれない。
体に信号を送るのは脳なのだから、頭が恐怖している以上
ワシは己の刀で自分の体を貫く事も、飛び降りる事もできない。

はどうしてこんなにも弱いワシを好いてくれたのだろうか。
お前を殺して、殺すハメになった作戦も失敗して、なのに自分はのうのうと生き続けようとしている。


……」


手をのばす





声をあげる





涙を流して君を懇願するけれど、君はやっぱり脳裏の奥で笑っているだけ。


…………ッ!」


もうどこにもいないと知っていて、それでもお前を求めて叫び続ける。

まだ、ほら、こんなにも、愛してる。










もうどこにもいないと知っていて