燃え盛る本社を見て、何を思ったのだろう。
社長のこと? それとも同僚のこと?
違う。嘘つき。
そんな建前の事なんかじゃなくて、もっと自分の醜い精神に従って
ただ一人を思い浮かべていたくせに。

オレンジ色の短髪を揺らして、いつもニコニコ顔の彼は
私の前だけではいつだって気だるそうで
きっと、こんなところ子どもや女の子に見られたら、一瞬で嫌われるような表情を
彼は常に私の前でやってのけていた。

それでも私は、そんな彼に笑いながらいつだってキスを
頬に、瞼に、額に、唇に。笑いながら、そうすれば次第に彼だって笑うから。
には敵わんのお」なんて言いながら私を、抱き締めた。
その瞬間刹那がいつまでも、永遠に続くものだと
彼の隣でふてくされた彼に、恥かしげもなくキスをするのは
私だけの特権だと、信じてやまなかった。


「……カク?」


社長の部屋の前。黒い装束と仮面で正体を隠したカクに、そう声をかけた。
隣にいるのはきっとルッチなのだろう。二人はゆっくりと私の方に振り向いて


「相変わらずは鋭いの……時には目を瞑っておいた方がいい事もあると教えたじゃろう?」


女なのに、大工。そんな私を毛嫌いする人もいた訳で
心ない中傷に、一人泣いていた時にカクは私にそう言った。


「見たくない物は見なければいい。聞きたくない物は聞かなければいい。それでもダメならワシがお前の壁になろう」


ああ、そうだね。私は思う。
今見ているこの残虐かつ冷酷な景色を見て、こんな感触を味わうのなら、失明していて聴力も失っていればよかった、と。
心に感じたのは怒りじゃなくて歓喜。カクに覚えたのは恐怖じゃなくて安堵。
きっとこの後私は消える運命なのに。それでも骨の髄までカクを求めている。


ルッチがす、と足を動かす。
すると、カクがそれを手で制する。そうだよね、やっぱり私を消すのは君の役目だもの。
私だってそれを望んでいる。
ルッチは何かを言おうとして、何も言わず。私に背を向けて歩いて行った。

どうかご無事で、アイスバーグさん。
それから、ここまで立派な大工に育ててくれてありがとう。


「何から話そうかのう……」


カクは私に向ってゆっくりと歩み寄ってくれる。
その仕草はいつもと変わらないのに、なぜだろうね、涙が溢れて止まらない。
仮面を脱ぎ捨てて、重いマントも取っ払って、黒い細身の服になったカクは私を抱き締めた。


「カクは人殺し?」

「そう言われて否定はできんのう……もうこの手は血でしか洗い流せんからの」

「カクはいい人?」

「世界的に言えばの。じゃが、本当のところはワシにも分からん」

「私を連れては行けないんだね」

「……たとえ腕一本でもダメだと、ルッチに口酸っぱく言われたわい」

「だから、殺すんだよね?」

「お前さんが物分りのいい女でよかった」


強い力で抱き締められれば、どこかの骨が折れる音がした。
痛い、と言うより悲しい。怖い、と言うより切ない。
もうこのオレンジの髪も、長い鼻も、目も何もかも、自分の脳に伝える事はできないのだと。


「痛いか?」

「ううん……寂しい」


解放されれば力が入らない。ガクリとカクに体を支えられた私は
ふ、と真上を見上げる。もう動けない。


「キス、しようか……? そ、いえば……カ、クからされたこと……なかったね」

「そうかのう……」


行為の最中爆発しそうな勢いを止めるために君がしてくれた接吻は、どちらかと言うと噛みつくようなキス。
あたしが求めたキスとはまた違うものだったから。

瞼を閉じて。最初は触れるだけ、それはまるで幼子の頬にするように。
一度離れて、また、啄ばむように軽く口を開けて、混じる吐息にいつだって渇望した。
大きく息を吸い込んで、口を開いて受け入れる。絡む舌、交換する吐息、唾液が頬を伝う。
水音に、川の上に立つような感覚を覚えさせられた。
何度も何回も角度を変えて、私達は馬鹿の一つ覚えのように繰り返す。
獣のように、聖者のように、背徳者のように。

何日、何時間、きっと本当は数分間だけれども
離れた唇を、繋ぐように銀糸がのびた。
この銀糸で本当に君が繋がれていれば、私はどんなに幸せだっただろう。


「ねえ、カク……」


私は幸せだったよ。こんなにも君を愛せた事が。
きっと一方通行の気持ちだったとしても、幸せだった。


「私を殺して……私の体を、カクの手で葬っ、て……」


人を好きになって、変わろうと思えた事。
こんなにも好きになるだけで、愛おしい、切ない、欲しいと思えた事。
全てカクが教えてくれた。


「……ワシは死んだお前の体さえ犯しそうじゃ」

「カク、にだったら……死んだ後だって……、何されても、いい……よ」


狂った果実は自ら樹より落ちる事を望む。
それは一種の運命であり、必然だ。
地面には穢れた土と菌と人で溢れている。
中に見出してしまったインモラル。抗えないその誘惑に私は狂い、そしてその手中に身を堕とした。

生きて一人、二人で見続けた景色を、カクが壊していくであろうそれを見るよりも
最上級に望んだのは、彼の手の平で命を落とす事。
カクがいるから成り立つその場所も音も色も、いなければ私にとっては意味のないものなのだから。
空気も光も水も何もかも、カクがいなければ必要ない。

ポツリと、頬に流れるのは私の涙なんかじゃなくて、もっと綺麗なカクの涙で
強くて、傲慢で、そしてなおかつ冷淡な彼が私なんかのためだけに、綺麗な綺麗な涙を落としている。
泣かないで、とは言えなかった。


「どうして……お前さんとワシは出逢ってしもうたんじゃ……。ワシにさえ出逢わなければは……ここで死ぬことも、なかったろうに……」

「……私は、後悔も……何もして、ない……むしろ、……私、は……幸せ、だ、た……」

「嫌じゃ……を殺しとおない……」

「殺して。そして……カクの手で葬って……一人、で……な、んて……生きて、いけない」


我侭でごめんね。困らせてごめんね。悲しませてごめんね。
でもお願い、一人にしないで。
もうカク以外の人なんて愛せやしない。カク以外何もいらないのだから。
せめて醜く自分で死ぬより、カクのささくれ立った手で死にたいの。

いつもみたいに、ふてくされた彼を甘やかすように必死に彼の唇に、自分のを近づけた。
そっと、力の限り押しつける。
ここから愛情が溢れますように。彼もまた、私以外を愛せませんように、と。
カクの涙の感覚が冷たいものに変わり始める瞬間、風を切る音がした。



痛みも悲しみも全てを置いて、私はあなたの手の平に堕ちる。
それが、私にとって最大の幸せで最後の我侭。
私の魂はずっとずっとカクの内で、光り続ける。
腐っても、変わり果てても私の魂をあなたの傍に置いて。
海に還さなくても、空に渡さなくても私は困ったりしない。
生まれ変わりたくない。私は私のままカクの傍にい続けたい。

カクの魂をもったカクの生まれ変わりなんて、愛せない。
今の、オレンジ色の髪のカクを愛したんだから。


カク


カク


愛してる。愛してる。愛してる。最初で、最後。永遠に。



燃え盛る炎の合間。縫うように漏れる音は瓦礫の崩れる音と、カクの叫び声。
縋り、子どものように泣きじゃくる彼の背中に立つのはルッチ。
カクの腕の中で、彼を泣かせる彼女はひどく美しい笑顔でその生涯を終えた。
穴の開いた胸に、もう瞳を開けることのない彼女にただひたすら許しを請い
そして「愛してる」と叫び続ける青年を、ルッチは知らなかった。





翌朝、本社の中からは誰の死体も出なかった。
行方不明とされたのは、ルッチ、カク、カリファ、ブルーノ。
そして、誰もその安否を知ることのない、

アイスバーグは空を仰ぎ見る。
いつか、この青空を彼と彼女が飛んだことを思いポツリ、と。一滴の水滴が彼の頬に流れ落ちた。





ねえ、カク? 私は幸せよ。
カクの手で、最後まであなたに愛されたまま、自分の運命の終焉を見たんだもん。
後悔も、生きたかったって思いも何もないよ。
ただずっとカクの傍にいたい、そう願ったんだから。


愛してる


愛してる


愛してる


心の底からいつだって。私はあなただけを愛してる










引き込まれたその