出逢った時から、きっと生まれた時から、私と彼の住む世界、生きる場所は交錯するはずがなかった。
世界政府のもとに動く闇である彼と、そんな彼らの世話をさせてもらう役立たずの私。
彼と出逢ったのは、私がまだ少女と呼ばれるに相応しい年齢の時で
彼もまだ青年には成り切れない時だった。


「今日からカク様のお世話をさせて頂くです」


ただ広いだけの部屋、真ん中にぽつんと立つ鼻の長い彼に
そう挨拶したのはもうずいぶん前のことだ。


、と言うんか?」

「はい」

「年は?」

「カク様より2つほど下になります」


扉からすぐの場所に立って、そう返事をした。
彼は、そんな私を眺めているだけ。

彼について知っていた情報は、当時まだCP9に配属されたばかりだという事だけで
まだ彼は真っ白なまま。誰の血を浴びる事も罵声も聞いたことのない
まるで子どものような人だった。

他の同僚達もまた同様に、CP9それぞれのメンバーに配属されたと聞いた。
紅一点であるカリファ様には、少しおっちょこちょいな妹分の子が。
ブルーノ様、フクロウ様には私達世話人の間でマスコット的だった双子の姉妹が。
ジャブラ様にはギャサリンが。クマドリ様には確かイーストブルーの女の子が。


「ルッチに配属された世話人は不運じゃのう」

「なぜでしょうか?」

「一週間と持たずに、アイツの手にかかってしまうわい」


大きな目を残酷に細めて彼は、笑いながら同僚の終焉を予告した。
その言葉通り、ルッチ様の配属になった同僚は、無残にも切り裂かれた体になって部屋に戻ってきた。



それから始まった彼との共同生活。
世話人は、彼らの広い部屋の隅っこにその体を休めるスペースを作り
日の出と共にそっと起床、それぞれの好みに合わせた朝食を用意して入浴の準備。
その日の予定を確認して、起こして朝食を食べさせ見送る。
その間に掃除や洗濯を済ませ、昼食の用意。
また掃除、掃除、掃除。
馬鹿みたいに広い部屋を一人、毎日彼らが帰ってくる前に完璧な状態にする。
それが終われば今度は夜の入浴の準備、そして夕食の用意。

毎日がその繰り返しで、休みなんてなかった

時々廊下で擦れ違う同僚に話を聞くと、それぞれの人格を伺えた。

カリファ様は、妹分のような彼女の失敗を笑って許し、あまつさえか彼女の仕事をやってしまうと
ブルーノ様やフクロウ様、クマドリ様は献身的に自分達に務めてくれる彼女達を快く思っているらしい。
ジャブラ様にいたっては、ギャサリンに恋をしただなんて。


「でも、ルッチ様のところに行ったあの子は………」


皆揃ってそこで口を噤む。
目元に、ほんの少しの涙を浮かべて。

カク様が一度だけ言っていた。
ルッチ様がなぜ彼女を手にかけたかを。


「自分に媚びへつらう女は嫌いじゃと」

「……カク様も媚びる者は嫌悪するのですか?」

「ワシか?」


それはいつものように、彼の入浴を手伝っている時だった。
白濁色のバスタブに浸かる彼の横に立ち、オレンジ色の髪を泡立てて。
気持ちよさそうに目を瞑る彼に、そう問いかけた。


「あんまりいい気はせんがのう、ルッチの奴みたく殺しまではせんよ」

「……そうですか」

「なんじゃ? も気にしておるのか?」


否定も、肯定もできなかった。
ただ黙々と彼の髪を綺麗にする事だけに、専念していた、つもりだった。
けれど胸中は恐ろしいほどに動揺していて。
どうしてだろうか。彼に疎ましく思われたくないと
殺される恐怖よりも、嫌われる恐怖に恐れ戦いている自分がいた。

ポタリ、と
白い湯の中に一粒の涙が吸い込まれた。



彼は、CP9の誰よりも優しくて誰よりも我侭だった。
年齢は一番幼いという事と、天性の才能によって周りから絶大な期待を寄せられている彼が
素直でいて、そしてそれが故に自分の気持ちをストレートに伝えるから
「暇じゃからポーカーに付き合っとくれ」や「一緒に散歩に行こうかのう」なんて事は日常茶飯事。
時には任務先にも私を連れて行こうとした。理由は、自分に従うのが私以外なのは嫌だから、と
そんな言葉にいつだって苦笑を浮かべながら、それでも心の底からそう言ってくれたことを喜んでいた。

そんな彼が変わったのは、彼が初めて人を殺した日で
当時の任務は政府の方針に反対意見を述べ良心的な海賊についた要人の抹殺。
もちろん要人の殺しを請け負ったのは、一番実力のあるルッチ様だった。
ただ彼は、海賊と殺しの現場を見に行っただけ。
けれど、任務を終えて帰ってきた彼は、どうしてか血塗れだった。


「お帰りなさい、カク様……?」


血で濡れて帰る事はしばしばあったけれども
こんなにも廃人のようにどこか暗い影を落として、瞳を虚ろにして帰ってきたことは一度もなかった。
いつも「疲れたわい。、すぐに風呂の準備を頼む」と言いながら、その顔を綻ばせていたんだから。

どこか今にも消えてしまいそうな彼を見て、居た堪れなくなり
そっと近寄って、指銃でもしたのだろうか、その手の平を握ろうとした。


「触るな!」


途端、聞いた事もないような怒声で拒否された。
彼はハッとした表情で私を見たけれど
なぜか泣きそうな、それなのに自嘲した顔で目を逸らしポツリ、ポツリと話し始めた。


「今日の任務での殺しは……ルッチの役目じゃったんじゃ」

「はい、存じております」

「ワシは奴の後ろで、ただその成り行きを見ていただけじゃったんじゃよ……」

「はい」

「そうしたらのう……後ろで気配がしての……」


咄嗟に振り向いたら、そこには息の根を止められた筈の海賊が刃物を振り上げていて
身の危険を感じて、体を翻し指銃をその海賊の胸に
瞬間海賊の目が見開いて、彼に一言。



「化け物、じゃと……この腐った人間が、と………」


未だその海賊の血で濡れた手で、彼は顔を覆った。
肩が震えていて、床には小さな水たまりができ始めている。


「あなたは化け物なんかじゃありません……!」


気がつけば胸に彼の顔を押し込めていた。
泣いている彼以上に、涙を流して。ただずっと、そう言い続けた。


「あなたは腐った人間でも、化け物でもありません……」

「嘘じゃ……もいつか……ワシから離れていくんじゃ!」

「私の命は! あの日からずっとカク様のものです! あの日、あなたに仕えた日からずっと……」


腕の中の小さな彼が揺れ動いて
そっと拘束の手を解いて、屈んでまだ俯く彼の頬に手をあてる。


「顔をあげてください」


おずおずと、まるで母親に怒られる子どものように彼は顔をあげて
一つ、呼吸をするとゆっくりと顔を近づけながら、呟いた。


「……キスさせてください」


了承をもらう前に、私は彼の唇にそっと自分の唇をあてた。
驚いて体を硬直させている彼を、心のどこかで可愛いと感じている自分が
それ以上に、今嘆き傷ついている彼を愛おしく思っている自分がいて
きっと、あの時からあなたを愛していたんだと思う。


「……はワシのことが好きじゃったのか?」


唇を離し、あまりにも行き過ぎた事をしてしまったと
その時今更ながらにして気づいて、恥かしさのあまりに俯いていた。
俯く私に彼はそう声をかけて、ただ黙ったまま頷く。


「……こんなワシでもか?」

「はい」


そう肯定を返せば彼は、情けなく微笑む。
私の頬と髪に触れながら、慈しむように。


「きっと、これからワシはどんどん穢くなっていく」

「そんな……」

「たくさんの人を殺すじゃろうし、そのうちそれを当たり前と思うじゃろう」


それでも、とそこで声が詰まる。
目の前に跪いていた私を、彼は力の限り抱き締めて
また、震えていた、また泣きそうだった。
ドクドクと異常な速さで血液を運ぶ彼の心臓の音が、体越しに伝わる事で安堵する。


は、ワシを愛し続けてくれるか……? ワシを待ち続けてくれるか?」

「……はい。私にとって、それが生きている中で一番の誉れであり……誇りです」


もう一度だけ、今度は彼からのキスで眠りに就いた。
彼のベッドで、体を寄せ合って体温を共有して、決して交わったりするのではなく
純粋にお互いの肌でお互いの体温を感じ合ったまま、きっと同じ夢を見た。
一万人の中からでもあなたを見つけられる私だから、同じ夢くらい難なく共有できる筈。



翌朝私に残されていたのは、彼が書いた置き手紙だけだった。
知っていたの、本当は。あたながこれから五年間ここを離れる事を
そこで、たくさんの人を騙し殺し、そして盗み情報を手にするためだけに、どんどん穢れていく事を。

でもね、きっとあなたがここに帰ってきてくれた時
絶対に同じ事を言うよ。



















照れ屋で臆病なあなただから、きっとまた怯えて帰ってくるでしょう?





Title by インスタントカフェ