響き渡る金槌の音。
それに乗って大工の声、鋸を引く音が耳に届く。


「お疲れ様です」


その音の間を抜けて、一人の女性が歩いている。


「あ、アイスバーグさん!」

「ンマー、じゃないか」


と呼ばれたその人物は、軽く走って彼のもとに行く。


「今月の集金に来ました」

「毎月ごくろうだな」


いえ、と軽くはにかむと、気づかれないようには、キョロキョロと辺りを見回す。


「カクはまだ来てないぞ」


アイスバーグがそう言えば、頬を少し赤らめて「バレました?」と申し訳なさそうに頭を下げた。


「どうしても探しちゃうんですよね」

「ノロケはルッチにでも言ってくれ」

「ノロケじゃないです!」


笑うアイスバーグに対して、は両頬を膨らませる。


「アイスバーグさん、あんまりをからかわんで欲しいんじゃが」


ふわりとの肩からしなやかな腕が、彼女を包み込む。


「カク!」

「おはようさん」

「……朝から仲がいいのは構わないが、場所を考えてくれ」

「仰る通りです」


クイッと眼鏡をかけ直すカリファと苦笑するアイスバーグに、照れ笑いを向ける


「そう言えばは今日、なんの用事で来たんじゃ?」

「ん?」


前に向けていた顔を傾けてカクを見る。
そんな仕草をするを見てカクは「可愛いのう」と言いながら抱き締める腕の力を、ほんの少し強めた。


「今日は集金に来たんだ」

「そうか。この後は暇か?」

「午後にもう一件集金があるけど、それまでなら暇かな」

「なら昼までここで待っててくれんかのう? 昼飯を一緒に食べたいんじゃが」


その言葉にパァッと顔を輝かせ、体の向きを変えてカクに抱きついた。


「イチャつくなら他でやってほしいな」

「仰る通りです。アイスバーグさん」


外野二名を忘れてじゃれ合う二人の周りには花さえも見えたとか。



カク達と別れてから、一番ドック入り口付近の木材に腰を預けながら、は辺りを見回す。


「カクは査定の続きだっけ」


彼がいないだけで、こんなにも世界の色が変わり、ひとりがどれだけ辛いか思い知らされる。


「大げさかな」


一人、色味の少ない小さな世界の端で、愛しい人を待ち続ける
黒いいくつもの影が覆った。


「おいルッチ、を見んかったか?」

「見ていないぞ、クルッポー」

「おかしいのう、ここで待っとるように言っておいたんじゃが……」


それから数分後、カクは先程までがいた木材置場で立ち往生していた


「あの……カク職長が探してる人、さっき用事があって一旦会社に戻るって言ってましたよ?」


誰かの取り巻きであろう、一人の女性がカクに話しかける。


「そうじゃったんか。仕方ない、会社まで迎えに行くかのう」


そう言い終わると刹那、カクは青空にその肢体を投げ出した。
それを確認した女がほくそ笑んだ瞬間を見ずに。


「私達が何を言いたいか分かるわよね?」


薄暗い路地裏で何人の女性かに囲まれたは、訳の分からないと言う表情で
自分に囁きかけてきた女性を見上げる


「分からないんですけど……」


あえて挑発的に返すを、キッと鋭くした眼差しで射る。


「あなたみたいな凡人と、カクさんは釣り合わないのよ」


ああ、またか。とは顔には出さずに内側で悪態をついた。


「顔もいい訳じゃないし、スタイルだって私達の方が勝ってるのに……」


一人で喋り怒りを顕わにしている、目の前に立つ女性を、は冷ややかな瞳で見ていた。
「話はそれだけですか? 私用事があるので早く帰りたいんですが」とだけ呟やいた。


「こっちが下手に出てるのに調子に乗って!」


言いながら手を振り上げ、そのままの頬めがけて勢いをつける。
それがまるでスローモーションのようにには見えて、避けずに受け止めようとした。
乾いた音がそこに響いた。


「カクさん?!」

「……最近の女子の力は強いのう」


を庇い抱き包めているのは他ならぬカクで
その腕の中で、ただ驚いて目を見開いている


「カ……ク?」

「大丈夫か?」


優しく自分を覗き込むカクに、「どうして」とだけ紡ぐ。


「なあに、会社までお前を迎えに行こうとしたらな、たまたま見えたんじゃよ」


それだけを言うとカクは、未だ硬直したままの取り巻きに目をやる


「おぬしら、に何を言った?」

「私達は何もっ! ただカクさんとあなたじゃ釣り合わないって」


その一言の後、カクの握り締められた拳が路地の壁にめり込んだ。


「釣り合わない、じゃと?」

「ひっ……!」

「なぜそんな事をおぬしらに言われねばならんのじゃ?」


そこには、いつもの温厚なカクはどこにも見当たらなくて


「容姿や体形なんぞ、クソくらえじゃ。ワシはの存在全てが愛しいんじゃよ。それと、彼女が関わったらワシは、職長ではなく一人の男じゃ。 愛した者を馬鹿にされれば、いくら女子とは言えども許しはせんぞ?」


不謹慎なのかもしれない、とは思った。
だって、こんなにもカクが怒りを顕わにしているのに
すごく、すごく嬉しいだなんて。


「カク、もういいよ」


はクイッとカクの服の裾を引っ張った。
彼が振り向けば、そこには嬉しそうに顔を綻ばせている彼女がいて。


「私は、カクがいればいいから」


その一言と笑顔で、カクから怒りが一瞬にして消える。


「ワシも、だけがいれば充分じゃ」


を抱きかかえ、屋根の上に飛び乗る準備をして
ふと思い出したようにカクは取り巻きの方に視線をやる。


「次はないぞ」


の耳にはカクが屋根を飛び立つ音と、波の音、心地の良い心音が奏でられていて


「お昼過ぎちゃったね」

「なに、アイスバーグさんは物分りがいい人じゃからの、心配せんでいい」

「うん……カク」

「なんじゃ?」

「ありがとうね」


はにかむ笑顔が輝いて見える。
この手に抱く存在を失いたくないと思う。
カクはそっとその唇を、のそれに落として「愛してる」と呟いた。


綺麗な青空にその日、山風に抱かれた女性の影が映りこんだ










君のに映る