頭の中で鳴り響いたのは警告音。それをかき消したのは己の声だった

数多くいる取り巻きの女とは違い、そいつはいつだって曖昧な存在で
声をかけると反応を返すくせに、気づくとどこか遠くを眺めている。
肩を叩いてようやく現実世界に帰ってくると「ただいま」と笑う。
調子を狂わされていると気づいた時には、手遅れ。





夕陽が浮ぶ海の端を遠くに置いて、それを何よりも愛おしそうに眺める彼女の背中に声をかけた。
「なあに、カク?」と振り向くと、眠いのだろうか、半目で自分を見上げている。
ワシは「そろそろドッグを閉める時間じゃ」と告げると、彼女の手を取るために己の手を差し出した。

ふわりと重なる彼女の手の平は、とても同じ仕事をこなしていると思えないほど艶やかで
どうしてこんなにも荒れないのだろうか、と疑問を投げたところ
「ちゃんと手入れしてれば、荒れないよ」とケラケラ笑いながら、ワシに自分の使っているハンドクリームをそっと分けてくれた。

いつか離れてしまうのを分かっていて、それでもこの気持ちは消えるどころか
急速に成長し、そしてやがて思考能力さえも奪いそうで。
邪魔になるのなら、殺せ。ルッチがワシを見ないで言ったのはつい最近の事だ。

できるならそんな事、とっくの昔にやっている。
それができないと、気づいた時にはもう彼女に溺れていたから。

器量がずば抜けていい訳でもなんでもない。
強いて言えば、他の女より少し軸がずれている程度。
それくらいしか特徴のない彼女を、ワシは何故好きになったのだろうか。
どうして手出しすらできないのだろうか。

ドッグの出口へと向かい、二人で歩く。
ワシの右隣にはの隣には波の音を流す海。
それらは全てオレンジ色に着色されている。
思い出すのは自分の、なんの色も重ねていない髪の色。


「夕陽の色は、カクの髪みたいだね」


歩を止める事なく、波の音に混ぜて彼女は言う。
「そうかのう?」と首を傾げれば「そうだよ」とは笑ってワシを見上げた。


「だから私は夕陽を見ると、いつもカクを思い出す」


まるで、そんな毒薬みたいな。
威力の高い言葉は、脳内に侵入して思考回路をシャットダウンさせる。
彼女にとって他愛のない言葉は、全て凶器。


「ルッチは月が綺麗な夜、カリファは明け方、アイスバーグさんは夏の真昼間、パウリーは……昼寝ばっかりのイメージだ」


「私はどう?」と何が面白いのか、口を大きく開け笑いながらワシに聞く。


「……そうじゃの、は……」

「私は?」

「……空気じゃの」

「空気?」


いて、当たり前。だけれども、いないと苦しくて。
苦しくて、苦しくて。見つけられないと不安で、非常に困る。

実際口にしたのは「空気じゃの」のみで。
は考え込む表情を浮かべる。その間も、器用に足は歩みを進めていた。


「空気は、太陽がないとできないのを知ってる?」

「どういう事じゃ?」

「植物が光合成をして、二酸化炭素を酸素にする。その時に太陽の光がないと、ダメなの」

「またずいぶん難解な例えを出すんじゃのう」

「言ったよね? 夕陽を見るとカクを思い出すって」


彼女はワシに背を向けると、綺麗な指を夕陽に向ける。
半分よりも、もっと沈んだ夕陽。沈んでいてもその光が失われる事はない。


「私が空気なら、私にはカクが必要なんだね」


勿論、カクだけじゃないけど。そう言うのを彼女は忘れなくて。
それよりもその言葉の重みが、ずしりと胃の中に落ちてくる。


……」

「でも、太陽に空気は必要ない。だから、カクには私が必要ないのかもね」


振り返り、先刻と変わらない表情では言う。
その口ぶりが、いつかワシがいなくなる事を示唆しているようで
彼女は知っているのだろうか、ワシの正体を。
本当は血で濡れてしまっている、この手の平を。


「それでも、やっぱり空気になるには太陽が必要で……二酸化炭素はきっと酸素になるのを夢見てる」


私は二酸化炭素じゃないから、分からないけど。
言ってまた歩き出したの背中が、少しだけ震えているように見えて
思わず足を止めたままのワシは、慌ててその背中を追いかける。


!」

「ん?」

は、ワシのことを夕陽……太陽だと例えたじゃろ?」

「うん」


はもう笑ってはいなかった。
ただ、じっとワシを見上げている。


「太陽も、空気を必要としているんじゃ」

「どうして?」

「太陽はいつだって燃えてるんじゃ。宇宙の真ん中に、一人で」

「宇宙は真空だから、燃えていても空気は必要ないと思うよ」


間髪いれずに返ってきた言葉は辛辣で、ワシは思わず間抜けに目を丸める。
は少しすると笑いながら、ワシの方へと戻ってきた。


「理科とか化学はあんまり得意じゃないよ」

「ワシだってそうじゃ」

「でも、よくよく考えたら私は空気じゃないし、カクも太陽じゃないんだよね」

「……相変わらず、全てを壊すような事を言うんじゃの」


はまた、軽く笑うと背伸びをする。
ワシの鼻先ギリギリで止まると、にっこりと笑い声を出した。


「私は私として、カクであるカクが好きじゃダメ?」


背伸びをするのに耐え切れなくなったのか、ワシの服の端を掴んでまた地面に足をつけた。
はそれでも、まだワシの顔を見上げたまま。

一つだけ思い浮かべる。
CP9としての自分と、その隣にいる今の自分。
残された時間が少ない事なんぞ、とうの昔に把握している。


「どんなワシでも好きでいる覚悟はあるか?」

「その時にならないと分からないけど、結構高い確立で好きでいられると思うよ」

「距離に負けるような感情だったら、ワシはいらんぞ」


強がってそんな事を言うと、やっぱりは笑う。


「どうせカクのことだから、カク自身でその距離を壊すでしょ?」


ああ、彼女はどこまでワシのことを見通しているのだろう。

腰を屈めて自分よりも小さな彼女にキスを落とした。
離れてしまうその時が来た時はその時で、今はただ眼前にいる存在を抱いていたい。

そう願う事もきっと、彼女には見通されているのだろう。










いやはや、った










Title by 溺愛ロジック