それはほんの、ちょっとした出来心だった。

老若男女、特に若い女性から大人気の同僚であるカク。
時には職人として意見をぶつけ合う事もあれば、お酒を酌み交わす事もあったり。
酔っ払った私を家まで送り届けてくれて、ついでにそのまま泊まってしまうような仲で。
もちろん、泊まったからといって何かがあった訳ではなく。

だから彼はきっと、私のことなんて女性としては見ていないだろうと。
ただの同僚だと思っているんだろうと、考えていた。
そんな私から愛の告白を受けたら、どうなるんだろうと思った。

あの丸くてのほほんとした瞳は、どれくらい見開かれるんだろう。

職場からの帰り道、黒に近い藍色の空にはいくつかの星と真ん丸の月が浮かんでいる。
私の数歩前を歩くカクの背中は広い。
鼻歌が届く距離だがら、きっとそう声を大にしなくても聞こえるだろう。


「ねえカク」

「なんじゃ?」

「私……」


妙に心臓がうるさくなって、よもやカクにこの音が聞こえるんじゃなかろうか、と。
少しでも抑えるために、強く胸元を握る。
ただ、好きの一言を言うだけで、なんでこんなにも苦しいんだろう。


「カクが、好きだよ」


渇き切ってひりひりの喉から発せられた声は、なんとも情けない声で。
頬はまるで、灼熱の砂漠にいるのかと思う程熱い。なんだか熱中症になったみたいに、頭がくらくらする。
彼の背中を直視できなくて、私はそっぽを向いていた。

石畳の上にあるカクの靴が、それを擦る音がして。
その音で彼が私の方を向いた事が分かる。
確かに私の方を向いている。視線が頬に突き刺さっているから。
けれども彼の声は聞こえない。

今、カクはどんな表情をしているんだろう。
困り顔なのか、迷惑そうな顔なのか、それとも怒っているんだろうか。
恥ずかしさや後悔やら不安が波のように押し寄せてきて、思わず彼の方を向いてしまった。

そこには予想に反したカクの顔があって。

顔の向きは確かに私の方だけれど、視線は横を見ていた。
大きな手の平が口元を覆っていて、心なしか頬が赤く見える。

その表情はまるで、照れつつも喜んでいるように見えてしまって。
その事が、なんだか私の涙腺を刺激している。鼻の奥がつんとして、目元がじわじわと熱くなっていく。

距離を詰めるようにカクが大股でこちらに近づいてくる。
あっという間に距離はゼロに等しくなり、目の前に彼の胸元があって。
カクの顔を見ようと顔を上げようとすると、手の平で目を覆われる。


「カ、ク……?」

「どうして急にそんな事を言うんじゃ」

「それは……」

「ワシのこと、からかっとるんか?」


確かに最初はそのつもりだった。
でも、言葉を伝えようとした瞬間の胸の苦しさだったり、その後のカクの表情や仕草を見たら。


「からかって、ない」

「……そうか」


それから降ってきた体温と感触が、彼の唇だと分かるのに少し時間がかかった。
手の平が離れていって、数ミリ離れたところにカクの顔がある。
真ん丸の目を細めて、とてもとても幸せそうな表情をしていた。それがどうしようもなく、泣きたくなるくらい私の胸を鳴らす。


「ワシも、のことが好きじゃよ」


私の頬もきっと、カクの頬のように真っ赤なんだろう。





好きだとってみる





Title by Lump「実験」