いつものように、同じ木の下で、私は待ち続ける。
あの日約束をした、あの人を。


「お嬢さん、こんな所で何してるんだい?」

「……人を待ってるんです」

「そうかい」


新緑に映え過ぎる赤いジャケットをまとったその人は、それだけ言うと私の隣に並んだ。
私はそれを特に気にするでもなく、ベンチに座り読みかけの文庫本を開いた。


「お、その作者好きなのかい?」

「彼が好きだったんです」

「もしかして、待ち人は男かな?」

「はい」


なあんだ、ざーんねん、と心底がっかりしたような声で、男の人は言った。
私は挟んでおいた栞を外し、続きを読み始めた。

さわさわと、緑色の葉同士が擦れる音だけが耳に届く。
赤いジャケットの彼は、何をするでもなく、ただ私の隣にいた。
それは決して居心地の悪いものではなく、まるで空気のようだとも思った。

どれくらい時間が経ったのだろう、日が傾きかけて辺りはオレンジ色に包まれている。
私は読みかけの文庫本に栞を挟んで、荷物をまとめて立ち上がる。
それを見た彼もまた、同じように立ち上がった。


「今日はもうお帰りかな?」

「はい」

「明日も、ここに?」

「はい、約束だから」

「……そうか」


咥えていた煙草を踏み潰して、それから笑顔を向けられた。


「また明日な」


私はそれに答えなかった。

次の日も、私を待っていたかのように、赤いジャケットはそこにいた。
しかも、昨日より距離を詰めて。
私が少しずれれば、彼もまたずれてくる。他に座れる場所はないので、仕方なく我慢して文庫本を読む。
彼は私に気遣ってか、昨日吸っていた筈の煙草を、今日は吸っていない。


「煙草、吸っても構わないですよ」

「え?」

「彼も吸っていた人だったから。気にならないので」

「そう? それならお言葉に甘えて〜」


見た事のない銘柄の煙草に、ジッポライターで火をつける。
私に煙がこないようにと、別の方向を向いて紫煙を燻らせていた。


「……彼は、どんな人なんだい?」

「突然、なんですか?」

「いや、美女をこんなに待たせる馬鹿野郎は、どんな奴なのかと思ってね」


にしし、と笑いながら、煙草を指に挟む。
少し考えてから、口を開いた。


「人を驚かす事が大好きで、少し嘘つきで、それでいて、私にはとびっきり優しい人でした」

「おお、それは俺にそっくりな奴だんなぁ」

「……本当ですか?」

「ホントホント」


だから、いっその事俺っちにしなあい? と肩を抱かれる。
苦笑いを浮かべて、その手を軽く払った。
ちえーっと不貞腐れて、それからすぐ子どもみたいな顔で、話し始める。


「どうせなら、今まで俺がしてきた色んな冒険譚をお聞かせしましょうか?」

「え……」

「本を読んでるだけじゃ分からない世界を、聞かせてあげるぜー?」


それは、とても興味のそそる誘いだった。
確かに私はこの町から出た事もなかったし、本の世界だけが唯一だった。
目の前の彼はきっと、私の知らない色々な事を教えてくれるだろう。
でも、あの人以外の人から何かを教わる事は、ひどくいけない事のように思えた。


「……彼が」

「君に優しい彼なら、俺から話を聞かされたって怒らないと思うけどなー?」

「そうでしょうか……」

「そうそう」


その言葉に絆されて、私は結局彼の話を聞く事になった。

彼の名前はルパン三世と言って、世界を股にかける大泥棒だと名乗った。
どこかで聞いた事のあるような、そうでないような名前だったの冗談半分で聞く事にした。

相棒である凄腕のガンマン、怒らせると怖い侍、いつも騙されるけれどとびきり可愛い女性のこと。
それから自分達をどこまでも追ってくる、鬼警部のこと。
その人達の話を聞いていたら、あっという間に時間は過ぎて、気がつけば夜だった。


「おっと、いけねえ。レディをこんな時間まで外にいさせちゃあ危ないな。送っていくよ」

「大丈夫ですよ。家はこの近くなので」

「いやいや、何かあってからじゃ遅いってえの」


そう言って、手を取って立ち上がらせられる。
まるでお姫様になったような気分だ。
彼は律儀に、私の家の前で送ってくれた。
玄関から中に入るまで、ずっと見送ってくれて。それがとてもくすぐったかった。

次の日も、その次の日もルパンは木の下にいた。
そして、私の知らない世界の話を色々と聞かせてくれた。
クローン人間の話や、黄金の話、私には想像もつかないような物語ばかりだった。
次第に、彼を待つ時間の筈だったのに、ルパンの話を聞くのがとても楽しみになってしまって。
そんな自分を、私は責め続けた。



***



「もう、ここには来ないで下さい」

「……なんでだい?」

「ルパンといると、その時間が楽し過ぎて……純粋にあの人を待っていられない」


ルパンの顔を見られなくて、私は自分の握った両手を見つめていた。
そんな私の手の上に、新聞の切り抜きが差し出された。
見出しは「世紀の若き魔術師、事故死」だった。
かたかたと、手が震える。


「どこで……これを……?」

「俺っちは大泥棒よ? どこかだって盗み出せるさ。例えば……君の寝室とかからも」


ルパンは、全て知っていたのだ。
私が待っている彼が、永遠にやって来ない事も。
それでも待ち続ける、愚かな私のことも。


「……嘘だと、思ったの。彼は、いつでも嘘を吐くのが得意だったから」

「ああ」

「いつかひょっこり帰ってくるんだって、だから、待ってなくちゃって……」


その後は涙と嗚咽が邪魔をして、言葉にならなかった。
そんな私を、ルパンは優しく抱き締める。


「俺は天下の大泥棒、ルパン三世さ。盗めないものは何もない」

「……ルパン?」

「だから、俺に君の悲しみを……辛さを盗ませてくれないか?」


あいつが見せる筈だった世界を見せるから、だから一緒においで

柔らかな温かみを持った言葉だった。
ためらう私の髪を梳き、そっと頬に口づけられた。


「俺と、世界を飛び回ろうぜ?」


初めて会った時のように笑って、手の甲にキスをされる。
風もないのに、彼に貰った文庫本のページがぱらり、ぱらりと捲れた。











日溜まりの木の下










Title by 瑠璃 「春夏秋冬の恋20題 春の恋」