梟すら鳴かない真夜中に、その部屋の主は自室の扉を開いた
今朝、五ェ門が出て行ったままの状態であるその場所で
ようやく彼は一息吐く

敷いたままの布団に、一刻も早く潜り込みたい
逸る気持ちを抑えつつ、彼は着流しを掴んだ

今回の計画で、最後の最後まで待機の繰り返しだった五ェ門
やっとの思いで全てを終え、彼にしては珍しくげんなりとした表情でアジトに戻ってきたのだ

帯を軽く締め、そっと布団に近づく
月光に照らされた自分の布団の異変に、五ェ門は気づいた


「……まさか」


布団には小さな膨らみが何故かある
自分が起きて出た後、キチンと布団を直した筈なのに
それは、まるでそこに何かがある事を示すように

自分が音を立てても、全く身動きをしない事から
その何かがすでに寝息を立てている事が、五ェ門には容易に想像がついた
枕元に回り込めば、小さな頭が見当たる
屈みこみ、布団を少しだけずらした


「……殿」


そこにいたのは、紛れもなく彼が名前を呼んだ彼女
案の定、気持ちのよさそうな寝息を立てている

体を縮ませ、布団の中心に顔を向けて夢を見ているようで
起こすのも忍びないと思いつつも、五ェ門の正直な気持ちは「休みたい」
けれども、の横に体を滑り込ませる事に対して、どうしても抵抗がある
どうするべきか、悶々と悩む五ェ門

そもそも、彼にはどうしてが自分の布団で寝ているのかすら、分かり得なかった
彼女の自室だって、ちゃんとこのアジトには用意されているのだから

布団の口を握ったまま、悩んでいた五ェ門の耳に衣擦れの音が届く
ふと下に目をやれば、先刻まで瞼を閉じていたが頭をもたげていた
は睫毛を二、三度瞬かせると五ェ門を見上げる
その目はぼんやりと、五ェ門を映し出していた


「あ、お帰りなさい……」

「う、うむ……」

「布団、温めておきましたから」


ゆらゆらと起き上がり、彼の布団から出て行く
そして、今だ覚束ない足取りで扉の前まで歩く
扉の前で振り返り、ふにゃりと笑う


「お休みなさい」


ぱたん、と閉まった扉をただじっと見続ける五ェ門がいた
が抜けた布団は、形だけを保っている
布団に視線を移し先程までが横たわっていた場所に、そっと手を置く
そこは確かに彼女の言葉通り、仄かに温かみが残っていて

ただ、五ェ門は少しだけ気がかりな事があった

普段なら、はこんな事をしない
計画で五ェ門の帰りが遅くなる事は、以前にもあった事
その度に彼女はこうして布団を温めていた訳ではない
大抵は、リビングなどで彼の帰りを待っているのだ

そして、もう一つ


「……泣いて、いたのだろうか」


月の光に照らされて、五ェ門の目に一瞬だけ映り込んだのは
の頬に残っていた一筋の涙
彼女の頭が置かれていた枕に触れても、濡れている場所はない

気になる。だけれども、ふらふらと出て行ってすでに自室で寝ているであろう
もう一度起こす事は、はばかられた

明日の朝一番に、聞いてみよう

そう自問自答の結果を出した五ェ門は、の体温が残る布団へと潜り込んだ


「ぐっ!」


が、しかし。予想外にもの残り香が、五ェ門の煩悩を刺激する
香水などの作られた香りではない、彼女の香り
小さな花のような香りが、五ェ門の鼻腔と煩悩を直に刺激した


「まだまだ……拙者も未熟っ……!」


無理矢理煩悩を追い払い、目を閉じ瞑想するも
結局彼が寝付けたのは、雀のさえずりが聞こえ始めてきた頃だった



充分な睡眠を得られずに、五ェ門は自室から出てくる
どこかの部屋の窓が開けてあるらしく、五ェ門の黒髪を風が通っていった
五ェ門はその風に導かれるように、リビングへと向かう

リビングには、誰もいなかった
彼はふと、先日残りの二人が次の計画の下見に行く、と言っていた事を思い出す
また風が彼の隣を過ぎていって
同時に、小さく千切ったように歌声が聞こえてきた
その声と風を辿れば、すぐに見えたのは


殿?」

「あ、おはようございます」


両開きの窓を全開にして、そのサンに腰掛けていたが、五ェ門の声に反応して振り返る
表情は、いつもと何ら変わりない
外で勝手に輝いている太陽が、その時の五ェ門には何故かいつもよりも眩しく感じられた

あと、数歩の場所で立ち止まったままの五ェ門
は首を傾げ、笑っている


「どうかしましたか?」

「いや……昨夜は、その……」

「よく眠れましたか?」

「あ、ああ」


咄嗟に吐いた嘘に、はよかったですと笑う
五ェ門の心臓の底に、少しだけ砂が溜まった


殿……」

「はい?」

「お主は……どうして、昨夜あのような事を?」


普段なら、リビングで待っているであろう? と続けて問う五ェ門
の笑顔が俯いて見えなくなり、彼はやや焦る
しかし、はすぐに顔を上げた。ほんの少しだけ、苦笑いを浮かべて


「昨日は、何だか妙に不安になっちゃって」

「不安?」

「はい。そんな事ないのに、もし五ェ門さんが帰ってこなかったら、どうしようって……」


ゆらゆらと蜃気楼のように揺れる外の風景が、五ェ門には煩わしく感じられた
窓のサンから降り、そこに手をつけ寄りかかったままは言う


「だから、帰ってきたら確実に会えるだろうから、五ェ門さんの部屋で待ってたんです」


ごめんなさい、と軽く頭を下げる
彼女に近づく五ェ門を、今のは見えていない


「……だから、泣いていたのか?」


そっと、の肩に五ェ門の手の平が触れた
驚いた顔を上げたの目の前には、彼がいる
思わぬ接近に、の頬の温度が上がって


「……そんな事、絶対ないって分かってるのに……ごめんなさい」

「謝る必要など……」

「五ェ門さんがすごく強いのは、誰よりも分かってるんです。それでも……」


馬鹿ですよね、とまた顔を俯かせてしまったの肩は、少しだけ震えていた


「私には……五ェ門さんが、全てだから」


再度顔を上げたのその表情は、僅かながらに歪んでいた
眉間に皺を寄せ、眉は八の字を描いてる
溜まって溢れた涙がまた、筋を残していて
きゅ、と閉じた唇が声を漏らさないように必死だ

五ェ門は、ゆっくりとの肩を引き、自分の胸の中にやんわりと閉じ込めた
は彼の胸板に頬をピタリと合わせると、瞼を下ろす


「五ェ門さんがいてくれるだけで、幸せです」

「拙者も、殿がいてくれるなら」

「……だから、ちゃんと私のところに……何があっても帰ってきて下さい」

「心得た」


重なった二人の影が、ゆっくりと床に伸びていった









りて、至福










Title by 溺愛ロジック