好きですと言えば彼は顔を真っ赤にした。
それから少しして顔の色が戻ると首を横に振った。
「拙者は殿に相応しくない」と言って。

なんとなく心の片隅で、そう言われるだろうと予想していた。
だって彼は世界を股にかける泥棒の仲間で、優れた剣の使い手。
私とは生きる世界が違う。違い過ぎるにもほどがある。

それでも、そうだとしても、この気持ちはそんな理由で砕ける事はなかった。


「じゃあ私が泥棒になったら相応しくなる?」

「……そうおいそれとなれるものではない。それに……危険が伴う生業だ」

「知ってるし分かってるよ。それでも、五ェ門の傍にいられるなら頑張れる」


自分でも分かるほど語尾が震えていた。五ェ門だってそれに気づいていた。
それでも、彼は決して馬鹿にしたような顔はしない。だから惹かれたんだ。

たとえば泥棒になってすぐ死ぬのと五ェ門の傍にいられずに天寿を全うするのは、私にとってイコールになる。
五ェ門の隣にいられないのなら、生きていようと死んでいようと変わらない。
私の世界の基準は彼で、彼の言葉が法律だ。
人はこんな私を馬鹿だとか頭がいかれてると言うだろう。自分でも若干そう思う節がある。
それでも、そんな私を私は嫌いじゃない。むしろ誇らしく思っている。


「五ェ門は私のこと嫌い?」

「それは……」

「嫌いならそれでいい。無理に好きになんてならなくていい。でも……もし私のために私の気持ちを拒絶するなら、それだけはやめて欲しい」


目を逸らしていたのに、不意に五ェ門の瞳がこちらを見た。
黒くて真っ直ぐな、芯の強さを思わせる玉石。
この瞳が好きだ。少し長めの前髪に隠れそうな、その色が。

彼が私を受け入れないのは、ひとえに私の為なんだと分かっている。
その優しさは私を舞い上がらせるには充分だけど、それよりももっと欲しいものがあった。


いつからだろう、彼の瞳の色が柔らかくなったのは。
五ェ門の仕事がこの国である度に彼は私のもとを訪れてくれた。
お土産はいつだって冒険譚のようなお話と甘い物。それをふたりで分けながらお茶を飲んで話をする。
私にとってその時間は、何にも代えがたいご褒美みたいなもので
彼にとってもそれは、心を休めるためのささやかな時間だと言ってくれた。

私がうたた寝をした時に掛けてくれた羽織りの温かさは、まるで母親に抱き締められているみたいだった。
そんな温もりをくれるのは、私を大切にしてくれる人だけだと思っていた。
だからあの時、五ェ門が私の頭を撫でて髪を梳いてくれた瞬間、その手の平の温度に恋をしたんだ。


五ェ門の目が揺れる。動揺しているのを肌で感じ取れる。
何を思ってそんな風になるのか分からないけど、彼の中に私に対する嫌悪なんかはないようだ。

五ェ門との距離はほとんどない。
私の家の狭いベランダで夜空を見上げていた。窓枠に座って、僅かな光しかない濃紺を眺めていた。
だからふたりの間に隙間はほとんどなくて、そのせいでずっと心臓がうるさくて仕方がなかった。
それは、気持ちを告げた今も変わらない。

去る事もせずに隣にいてくれる。
私を見遣る目は不安とか驚きとか照れとか、そんな感情で満たされていた。

私と五ェ門の間にある、彼の握られた手に触れる。
少し跳ねて、それからそのまま動かなかった。跳ね除ける事も、逃げ出す事もなく。


「……あったかいね」

「……そうだな」


冷えた空気の中、五ェ門の手は温かくて。それだけで泣きたくなってしまう。
こうして生きてくれている事が、共にいてくれる事が、あまりにも奇跡的で輝きを放つから。


「本当は、五ェ門の言いたい事も分かるんだ」

殿……」

「でも、いつ会えなくなるか分からないでしょ? 私の知らない所で命を落としてしまう事だって……」


それはきっと、気持ちを繋げたって変わらないだろう。
四六時中一緒にいられるわけじゃない。私が泥棒になろうがならまいが、ずっとふたりで歩いていけるわけじゃない。
でもそれだからこそ、脆くても構わないから確約が欲しかった。
互いの気持ちが同じだと。最期の瞬間、思い出すのは私のことだと約束して欲しかった。


「ごめんね。我侭だって分かってる。困らせたいわけでもない。ただ……」

「ただ?」

「……一緒に、生きて欲しいだけ」


平凡に生きていたって、いつか必ず別れは来る。
怖いのはその別れじゃなくて、思い出を共有できない事。
五ェ門が感じた事を、私が感じられない事。


彼の体温と香りが突然、とても近くなった。背中に回る腕が少し震えているように思える。


「拙者は……」


泣いているのかと思うほどやたら響く声だった。
どうすればいいのか、何が正解なのかは分からなかったけど、行き場をなくした手を五ェ門の背中に這わせた。


「……未熟者だ。殿を守れないかもしれない。そう思えば思うほど、身動きが取れなくなるのだ」

「守ってくれなくていいんだよ」

「いいや、それでは拙者が駄目なのでござる」


さらにきつく抱き締められる。まるで、どこにも行かせないと言っているように。


「ねえ、五ェ門」

「……なんでござろう」

「五ェ門が守れない分は、私が自分を守るから。それから、私にも五ェ門を守らせて」


彼は返事をしない。ふたり分の呼吸音と、遠くに聞こえる夜の喧噪だけが辺りに漂う。
心臓の音が規則的に伝わってくる。静かでうるさい、そんな音がする。


「……本当に、そなたには敵わぬ」

「知ってる? 私って案外強いんだよ」


小さく笑えば震えが伝わったのか、彼のそれも返ってくる。


「参った。降参だ」


そう言って少しだけ離れて、頬に指が触れた。


「共に、生きてくれるか?」

「……もちろん」


輪郭を撫でられ、また抱き寄せられる。
頬を彼の肩に預け、心音を胸で感じていた。





静かな夜に降る音は、何色だろうか