「夢を見たの」

「夢、でござるか?」

「うん。五ェ門に初めて会った時の事」


背中合わせのまま、私は空を眺めていた。
少し後ろの背中が動いたけれど、気にせず空を飛ぶ鳥を、目で追っていた。

まだ私が組織に入ったばかりの頃、ある要人の抹殺を命令された。
訓練は積んできていたから、何も問題はないだろうと見られていた。
上層部の誤算は、その要人についていたボディーガードだった。



夜更けの頃、その要人の屋敷に忍び込んだ。
幾重にも張り巡らされた厳重なセキュリティを掻い潜って、辿り着いた要人の部屋の前にいたのが、五ェ門だった。


「……侍?」

「ぬ。お主、何者だ」

「えーっと……あ、新しいメイドです」

「……確かここの女中には、制服があった筈だったが」

「……まだ支給されていなくて」


頭の中で、警報が鳴っていた。
瞬時に相手がどれだけの実力かは、分かっていた。それも訓練の賜物だった訳だけれど。
五ェ門の存在を知らなかった私は、ただ彼の実力を正確に推し量ろうとしていた。
彼も彼で、私が本当にメイドなのかを探っていたようで。
互いに目が合った瞬間、それぞれの得物に手をかけ、刃がかち合った。


「お主、女中ではないな」

「っ、そうで、すけどっ!」


寸でのところで受け止めた私に対して、余裕綽々の五ェ門。
それが悔しくて、なんとか命令をこなす事を考えては、次の手を繰り出そうとするのだけれど
それよりも前に、五ェ門が次の一手をはじき出した。

敵わない。咄嗟にそう判断して、私は後ろに下がる。


「……今日のところは、帰る。あなたの名前は?」

「石川五ェ門と申す。そなたは?」

、とだけ呼ばれる」

「……そうでござるか」


名乗った瞬間、五ェ門の表情が僅かにだけど曇った。
後になってその理由が分かったのだけれど、どうやら苗字のない私に同情したらしい。
明らかに自分の敵である私に同情してくれた辺りからも、彼の女性に対する優しさは窺える。

踵を返し、その場を去ろうとする私の背中に、五ェ門の声がかかる。
なんだろうと思い、振り返れば、とんでもない事を彼は言った。


「また、会えるか?」

「……えっと、それはどういう意味ですか?」

「そのままの意味だ。拙者は、そなたにもう一度会いたいと思う」

「どうして?」

「よき好敵手になり得るかもしれんからだ」


そう言われたものの、はっきり言って当時の私では、到底五ェ門に敵うとは思えなかったし、訓練をさらに積んだとしても、敵うかどうか怪しかった。
五ェ門は五ェ門で、私の中の潜在的な才能を見出していたみたいで、そう言ったらしい。


「……どうだろうね、会えないと思いますけど」

「なに?」

「命令に失敗した人達の末路は、嫌って程見てきてるから」


そう。命令に失敗した人間が、どんな仕打ちを受けるかなんて、恐ろしいくらい熟知していた。
きっと、その時の私の顔は、恐怖と絶望に染まっていただろう。
五ェ門も、だからこそ心配して、そんな言葉を言ったのだろうけど。


「それじゃあ」


それだけ言って、私は屋敷を後にした。

組織に戻った私に待っていたのは、拷問でも処刑でもなく、存外温和な処置だった。


「石川五ェ門か……相手も厄介な人間を雇ったな……」

「はい」

「お前の力では敵わないだろう。いい、他の奴を仕向ける」

「は……?」

「今回は大目に見てやろう。だが、次は失敗するなよ」

「……はい」


上層部の出した答えは、それだった。
難を逃れた私は、あろう事か五ェ門の身を案じた。
きっと本能で、彼が私を心配してくれていた事を感じ取っていたんだろう。だからこそ、だった。
結果として、五ェ門は彼の仕事を果たし、私がいた組織は滅多にない、依頼された任務の失敗、という結果で終わった。
その事が、あまり旺盛ではない私の好奇心を刺激した。

一体、石川五ェ門とは、どんな人物なのだろう。

至る所で彼のことを調べた。
十三代目石川五ェ門、名立たる剣豪で、斬鉄剣の使い手。
かの有名な怪盗ルパン三世と共にいる事もあり、ご先祖の名前を継いでいる事。
女性にはめっぽう弱い事も、風の噂で耳に入ってきた。


「五ェ門、か……」


パソコン画面に映し出される、五ェ門の顔を、飽きるまで眺めていた。

再会は、ひょんな所でだった。

故郷である日本に帰って、たまには散歩でもするかな、と思って訪れた山の中で、彼を見つけた。
知る人ぞ知る、名所でもある滝に打たれている彼を見つけた時、一瞬幻でも見ているのかと思った。


「あ! 石川五ェ門!」


指をさし、そう叫んだ私に気がついた彼は、その目を見開いていた。
ざぶざぶと滝の中から出てきた彼は、気づけば褌一丁だった。
あまり男性の裸に免疫のなかった私は、慌てた。


「ちょちょちょ! 何か着てください!」

「あ、ああ! すまない、少々待ってくれ!」


そっぽを向いて待っていると、少しして、いいぞ、と声を掛けられる。
彼の方を見れば、髪の毛はびしょびしょのままだったけれど、無事にいつか見た時と同じ格好になっていた。


「滝に打たれて、何していたんですか?」

「修行だ」

「修行……」


この時代に、真面目に修行に取り組む侍がいる事に、ある種の感動を覚えた。
次は何を言おう、と思った瞬間、彼の腹の虫が鳴いた。


「お腹空いてるの?」

「……そのようだな」

「家、来ます? 簡単な物でよければ、出すけど」

「……いいのか?」

「はい」

「かたじけない」


そう言って、斬鉄剣と軽い荷物を持つと、私の後について来た。
久しぶりの来客だな、なんて事を考えていたけど、心のどこかで弾む音が鳴っていた。

家について、私はすぐに彼にタオルを渡した。
遠慮なく頭をがしがしと拭いている五ェ門を置いて、台所に行く。
エプロンをして、冷蔵庫を開けて中身を確認する。
魚も野菜も漬物もあった。それなりの物を作れる事ができそうで、ホッとしたのをよく覚えている。

組織にいても、自炊はしていたので慣れた手つきで、食事を作り上げた。
気づけばいつの間にか五ェ門が食卓のテーブルにいて、出される食事を前に、待たされた犬のような表情をしていた。

最後に炊き立ての白米を出して「召し上がれ」と言った。
きちんと両手を合わせて「いただきます」と言われ、なんだか妙に居心地が悪かった。

白米を一口運び、そこから怒涛の勢いで全てを平らげてくれた。
食後に緑茶を出すと、とても貴重なものを見るような目を向けられた。


「とても美味だった。ご馳走様でござる」

「いえいえ、お粗末様でした」

「……ここは、そなたの家か?」

「うん、実家。もう誰もいないけどね」

「そうか……」


その時も彼はやっぱり、まるで自分が傷つけられたような表情を浮かべていた。
家族は物心がつく前にはいなかった。だからこそ、あんな組織に拾われたのだけれど。
だから、寂しいという感覚もなかったし、悲しいなんて思った事もなかった。
でも、五ェ門はそんな私の代わりに、悲しんでくれた。それが胸をすごく温かくしてくれた。


「何か返すものを、と思ったのだが……生憎今は何も持っておらん」

「別に構わないよ」

「そういう訳にはいかん」

「頑固だねぇ。……そうだ、時々、こうして会ってくれる?」


口から出た言葉はあまりにも自然で、それでいて不自然だった。
そもそも、敵同士の私達。もう二度と会う事はないと思っていた。
でも、再び出会ってしまった。これを運命と呼ばずして、なんと呼べばよかったのだろう。


「拙者は構わないが、殿の立場上、まずいのでは?」

「別にあなたを消すような任務は命令されていないし、意外とプライベートは放っておいてもらえるから」

「そうか……」


やや考えて、五ェ門は頷いてくれた。
なんだか嬉しくて、思わず抱きついたら、固まってしまって。
それが妙に面白くて、いつまでも笑っていた。



あの頃は、まさか今みたいな日々を送れるなんて、思ってもいなかった。
こうして、日永のんびりして、五ェ門と過ごす日々。
時々ルパンに呼ばれて仕事をする時以外は、こうして傍にいてくれる。


「縁って、不思議だね」

「そうだな」


今の私達の関係を、言葉にすると、とても難しい。
恋人かと言われればそうではないと思うし、友達かと言われれば、やっぱりそれだけの関係じゃない気がする。
私は彼に好意を持っているけれど、五ェ門が私にどんな感情を抱いているのかは、さっぱりだ。
もちろん、体の関係はない。清い関係だ。

背中から離れて、声を掛けてみる。


「ねえ五ェ門」

「なんだ?」


すぐに振り返って、返事がくる。
その目は真摯に私を見ていて、いっそ居心地が悪いくらいだ。
でも、その瞳の中に優しさが滲んでいるのに気がついて、なんだか悩んでいる自分が馬鹿みたいだと思った。
関係に無理に名前をつけなくても、焦らなくても、多分五ェ門はこうして私の傍にいてくれるだろう。
なんとなくだけど、そんな確信があった。
それはきっと、好意であるし庇護でもあるだろうし、彼の中でもまだちゃんとした形を成していないのかもしれない。


「来年も、その先も、こうして傍にいてくれる?」

「……ああ」

「ほんと?」

「拙者が殿に嘘を吐いた事があるか?」

「ないね」


いつか、私もちゃんと言葉にしよう。その時に、彼にも同じ言葉をねだってみよう。
きっと真っ赤になりつつ、どもりながらも、欲しい言葉をくれるに違いにない。










高い高い壁を乗り越えて、見渡した世界は










時雨様、リクエストありがとうございました!
Title by Lump