些細な事が大きな事件に繋がるのはよくある事で
その日もその日とて、ルパンはアジトのリビングで盗んできた物の整理をしていた
彼の目の前では次元が新聞を読み、扉の横では五ェ門が飽きずに瞑想を
そんな中、がトレイにコーヒーと緑茶を乗せ、リビングへとやって来る


「何か面白い物でもあった? ルパン」


は五ェ門に緑茶を渡し、ルパンのもとに向かいながら聞く
ルパンは振り向くとにんまりと笑い、小さな白い紙袋を見せた


「退化薬、だとよ」

「退化薬?」


は散らかったテーブルの上にスペースを作ると、そこにコーヒーの入ったカップを置く
そしてトレイを片手で持ち、ルパンの手から紙袋を受け取る
なんら変哲のないそれをはくるくると回す


「俺っちにはあんまり価値のないもんだからな。にやるよ」

「いいの?」

「おう、どぉーせ薬の成分調べてみたいんだろ?」


はそんなルパンに笑いながら「ありがと」と伝えると、次元にコーヒーを勧め
そして五ェ門と二、三言葉を交わし、自分の部屋へと戻っていく

彼らの耳に、爆撃音が聞こえたのはそれから少ししてからだった


「どうした!?」


真っ先に五ェ門が彼女の部屋の扉を開いた
爆撃音がした原因なのだろうか、部屋は一面白い煙で覆われていて
煙が一番濃く立ち込めているのは、彼女の机が置かれている場所
ただならぬ事だと予感しながら、それぞれが部屋の中に入る


! いるのなら返事をしろ!」

「……げほっ」


小さく聞こえた、咳き込む声
それは確かにのものだが、いささか違和感があった


……?」

「……う?」


やけに早く煙は消え、そして辺りはクリアになる

三人の目に入ったのは、
だが、ではない


「おじさん達、だあれ?」


彼らの目の前にいたのは、どう見たって幼少の頃のだった


不二子は目の前で眠る小さなを見ながら溜息を吐く
の目の淵には、涙の痕


「……一体どういう事よ」

「いや、それが俺達にもさっぱり……分かんねぇんだよ」


あれから、ルパン達がいくら説明しても小さくなったは状況を理解できず
挙句の果てには「パパとママはどこ? パパとママに会いたい!」と泣き出してしまう始末で
結局精一杯あやしたものの、泣き止む事なく
泣き疲れた事によって睡魔に襲われ、こてんと眠ってしまった


「どう見たって、幼稚園児くらいじゃない」

「だよなぁ。多分記憶も退化してるって事は、両親が生きてた頃くらいだろうな」


の口から出た、母と父を呼ぶ声
それは彼女の年齢が、ルパン達より出会う前くらいだという事を示していて
すなわち、の記憶にはルパン達はもちろん、五ェ門との事もない


「また、トラウマになってしまうのではないか?」


五ェ門がふと、思い立ったように声を上げる

は両親を殺され、さらには自分の身にまで暴力を受けた
そのトラウマが記憶喪失と言う形で、彼女の身に降りかかり
トラウマは今でも時々、彼女を夢と言う形で苦しめていた


「状況こそ違うものの、両親を失っている事は変わらないでござる」

「そう言うけどもよぉ、俺達にどうしろーって言うんだ?」

「適当に繕うしかないんじゃない? 仕事で遠くに行ったとか」


不二子がルパンにそう言う中、次元が思い出したように椅子から転げ落ちる


「ど、どったの次元ちゃん」

「ルパン、お前さんに変な薬渡しただろ」

「あ、ああ。この前の盗みの時にくすねたヤツか?」

「あれ、退化薬だって言ってなかったか?」


ルパンがその言葉に、あーっ!! と大声で反応した
「まさか本物だとはなぁ…」と額に手を当て、落胆した表情を浮かべる


「うん……」


ルパンの大声で、の体が動き始める
途端に彼らは慌てて煙草を消し、そして乱れた格好を直した
少しでも小さなに警戒されないようにとの、配慮だろう


「……夢じゃない。パパとママはぁ?」


目を擦り、そして周りのルパン達を確認し両親がいない事を知ると、の目には再び涙が溜まり始める
不二子が咄嗟に「パパとママはお仕事で出かけたの! 私達はママのお友達で、ちゃんを預かっているのよ」と
優しく頭を撫でる


「お仕事?」

「そ、そう。お仕事」

「でも、いつもはお仕事でお外行かないよ?」


やはり心細いのだろう、涙目で不二子を上目遣いでみやる
不二子は母性本能をくすぐられ、溜まらず抱き締めたくなるが
それはを怖がらせると判断し「急用で呼ばれたのよ」と言い加えた


「……私、置いてけぼりされたんだ……いつ帰ってくるの?」

「さ、さあ? なんでも大きな仕事らしいから」

「……そっか」


不二子の言葉は信用したものの、は嘘の事とは言え両親に置いて行かれた事に対して落ち込んでいた
そして、他の面々に対してもまだ警戒心を解いていないようだ


「こんな大勢いちゃ怖いよな」


ルパンがひょっこり顔を出し、そして怖がらせないようにと手の平から小さなキーホルダーを出した
突然の手品には驚き、そして感嘆の声を上げる


「スゴイ! キーホルダーが出てきた!」

「これちゃんにあげちゃう!」

「ありがとう!」


余程嬉しかったのだろう、はそのキーホルダーを握り締めると顔をクシャクシャに丸めた
しかし、すぐにまた不安そうな表情を浮かべる


「俺達の中で一人だけちゃんの傍にいるぜ、何かあったらいけねえからな」

「一人? 誰がいてくれるの?」

「それはちゃんが選んでいいんだぜぇ?」


ルパンが両手を広げて、を促した
彼らは大方不二子だろうと読んでいた。が、が指をさし求めたのは別の人間


「私、あの侍がいい!」


指をさされたのは五ェ門
誰しもがその言葉と行動に驚き、そして「えっ!」と声を上げる

何故ならば、が起きてから彼は一言も言葉を発せず
また眉間に皺を寄せ、非常に無愛想な表情だった
なおかつがこんな状態になり、また忘れ去られた事がひどくショックだったのか
他人から見れば不機嫌そうな顔をしつつも、落ち込んでいたようだったから


「本当に、あの顔のこわぁーいお侍でいいのかい?」

「ルパン! その一言は余計だ!」

「うん! 私一回ね、侍とおしゃべりしたかったの!」


こくこくと頷きながらは言う
しょうがねえな、とルパン達は呟きながら部屋を後にした
その際「なんかされそうになったら叫ぶんだぞ?!」とルパンは言い、再び五ェ門の反感を買っていた

小さなを目の前に固まる五ェ門と、そんな五ェ門をキラキラした目で見上げる
はベッドの上で半身を起こした状態、五ェ門はそんな彼女のベッドサイドに腰掛けている


「……どうしては、侍を知っているのだ?」

「パパがね、侍や忍者は日本の宝だって、言ってたから」


五ェ門はやりきれない感情を、どうしても拭いきれなかった

事故だと、頭で分かっていても再びこうなるなんて、思いもしなかったから
また、に忘れられる。あの笑顔を自分に向けてもらえなくなる
それがどれだけ辛いかを、経験しているからこそ
もう二度と味わいたくない。そう思っていた

目の前で楽しそうに話すは、確かになのに
自分が求めてやまないのは、長い時を共に過ごした
たくさん傷つけてしまっても、それでも自分を好いていてくれた

それなのに、眼前の小さなの笑顔から、当然だろう
普段のの面影がチラついて
余計にそれが、五ェ門を苦しめる

傍にいるのに、抱き締められない
近くにいるのに、触れられない
自分のことを愛していない。好きだと言ってくれない


「お侍さん?」


いつの間に思い耽っていたのか、が五ェ門に手を振っている
我に返った五ェ門は「どうした?」と尋ねた


「私の話、やっぱりつまんないよね……」

「い、いや……」

「パパとママの話なんて聞いてても面白くないもんね」

「その話、是非聞かせてくれ!」


は戸惑ったような表情を五ェ門に向けたが、彼が慌てて笑顔を取り繕うと
嬉しそうにまた話を始める

それは、初めて聞くの本当の過去

普段は忙しい両親だが、必ず夕飯は一緒に食べる事
母親は少し怖いが、父親はとびっきり優しい事も、遠くに住む祖父母の事も
二人ともとても頭がよく、いつも自分に勉強を教えてくれる
何より、休みの日に三人でピクニックに行くのが好きだと言う事

聞けば聞くほど、それはどこにでもある家庭の過去で
それがあと数年もしないうちに壊される事を、このは知らない
その事実が五ェ門の胸を締めつけた


「……どこか痛いの?」

「……何故そう思う?」

「だってお侍さん、すごく泣きそうだよ?」


心配そうに自分を見上げる


『どうして泣いてるの?』


それはいつだったか、彼がいつものように女に騙された時だった
まだルパン達の輪に入って僅かな時しか過ごしていないが、五ェ門に近づき言った言葉
その時、彼は泣いてなどいなかった


『泣いてなどいない』

『じゃあどっか痛いの?』

『何故?』

『だって、泣きそうなんだもん』


確かに、痛かった。心が
たとえ一時でも信じた相手に裏切られるのは、慣れられるようなものではなく
だけどそれを表に出した覚えはなかった

それでもは見抜いたのだ
そして、今の


は、どんなに姿形が変わってもなのだな」

「どういう意味?」

「いや……。それでこそ拙者の愛しただ」

「あいした? お侍さん、私のこと好きなの?」


の返答に思わずシドロモドロになる五ェ門
彼女はそんな彼を面白そうに眺めている

しかし、五ェ門が不意に目配せをするとがピタリと止まり
そして彼は口を開く


「たとえ、また忘れられようとも……この想いは変わらん。必ず、また拙者を好かせてみせる」

「お侍さん、私のことそんなに大好きで、あいしてるの?」

「なっ……! 愛してるなど、誰に聞いたのだ?!」

「パパとママ。いつもあたしにあいしてるよって言ってくれるし、パパとママも言い合いっこしてる」

「……そ、そうか」



「五ェ門、愛してるよ」



聞こえた声は聞き慣れ、耳に馴染みのあるの声
思わず顔を上げると、そこには普段のがいた
彼女はぎゅ、と五ェ門の手を握っている


……?」


幻覚だったのだろうか、普段のは五ェ門の声にかき消されるように見えなくなり
そしてそこにいるのはやはり小さなままの

彼女は急にグラリと揺れると、そのままパタンと倒れてしまう
五ェ門がアワアワと呼吸を確認すると、どうやら寝てしまったようで
穏やかで、そして控えめな呼吸音が聞こえた


「拙者も、愛している」


五ェ門はそっと手の平を握り返すと、一晩中彼女の横を離れなかった



いつの間にか眠っていたようで、五ェ門の耳に鳥のさえずりが聞こえた
軋み痛む体に、自分はどこで眠っていたのだろうと瞼を上げる
そして思い出す。昨日の大惨事を


!」


身を起こし、の姿を確認する五ェ門


「ん……?」


そこにいるのは、普段の見慣れた、五ェ門の愛した


「よかった……」

「……ごえ、もん?」


瞼を動かし、まだ眠いのだろう
は寝惚け眼で彼を見上げる


「…まだ眠るといい。昨日は疲れただろう?」

「……あんまり、覚えてない」

「そうか……それならそれで構わん」

「でも、いい夢は……見てたなぁ」

「夢?」

「うん。野原にいて、両親とピクニックしてたの……皆でさ、野原なのに遺伝子学の話してて」

「……それで?」

「すっごい、楽しくって……ずっと、このままでいたいなぁ、て思ってたら……五ェ門が呼ぶの」

「拙者が?」


はふっ、と笑うと彼の握っていた手に力を籠めた
そして、彼を見上げ言葉をまた紡ぐ


「拙者にはが必要だー、とか愛してるー、とか……。両親の目の前なのに」

「そのような事は………」

「だけどさ、五ェ門すごい哀しそうで……私まで泣きたくなるくらい、泣きそうな顔なの……実際は泣いてたかも」

「泣いてなどごさらん」

「……夢の中の話。そしたら両親がね「彼はとてもいい男だね」って褒めてたよ……」


どんなに遠くに離れても、それこそが彼を忘れても彼はを待っている
そんな人に巡り合えて幸せだね。俺達も安心できるよ


「すごい、嬉しそうだった」

「……拙者を、認めてくれたのだな」

「私の、夢の中だけどね」


それだけ言うとはまた、夢の世界へと戻っていく

五ェ門は強く、再びその手を握り返すと自分も惰眠を貪る為に彼女のベッドに入る
二人で夢の中の両親に会いに行こう。そんな事を思いながら