彼を初めて見た時、なんて美しいんだろうと思った。
背筋が粟立ち、脳髄に電撃が走ったような気がする。
男性にしては白い頬に、相手の赤い鮮血がまるで絵の具のように飛び散った様も
刀を振るい、倒れたそれを見る細い目も
何もかもが美しかった。

だから私は思ったのだ。
最期は、彼に斬られて死のう、と。

なのに、どこをどう間違えたのか、彼は私を殺すどころか
私に惚れてしまったのだと言う。





「いらっしゃいませ……って、五ェ門か」

「うむ、今宵もいい夜だぞ、殿」


白い頬を、少し桃色に染めて。
その手には刀ではなく、向日葵の花が一輪、握られている。
そっと、カウンター越しに渡されて、思わず笑顔になってしまう。
そうすると、目の前の彼はまるで褒められたかのような笑みを浮かべるのだ。



私はこの物騒な異国の地で、バーを営んでいる。
どうして、とかなんで、とかは聞かないで欲しい。
人生、流れるまま身を任せていたら、こうなったのだ。そうとしか言いようがない。

そんな地で、私が同じ日本人である五ェ門と出逢ったのは、数か月前の話だ。

買い出しに出かけた際、運悪くごろつきに絡まれてしまった。
しかも、結構サイコパスな方に。
いたぶられるだけいたぶられ、路地裏に追い込まれてしまった。

ああ、こんな不細工な男に殺されるなら、もっと美形な麗人とかがよかったなぁ

死ぬ事になんら抵抗はなかったけれど、自分の最期を飾るのがこんな男なのか、と思うとそれは悲しかった。
男がナイフを思い切り振り上げた瞬間、別の煌めきが瞳の端に入った。
ナイフがからん、と軽い音を立てて落ち、同時に男も倒れた。
そこに立っていたのはまさに麗人、すなわち五ェ門だった。


「大丈夫でござるか?」

「え、あ、はい」

「そなた、日本人か?」

「はい、えっと……その……」


あまりの美しさに、言葉が出なくて。
私はきっと、恋する乙女のような表情をしていただろう。
それがいけなかった。それが、彼に誤解を招いてしまったのだ。


「その、なんだ……お主、傷だらけだが、手当を……」

「あ、私の家、この近くなんです」

「ならばそこまで送ろう」

「え、そんな、悪いです」

「否、また先程のような不届き者がいたら危ないだろう」

「じゃあ、お茶くらい出します。お礼に……」

「……そうか」


彼が前を歩き、時々私が声をかけて誘導しながら、バー兼自宅へと辿り着いた。


「店を営んでいるのか……」

「はい。小さいですけど」

「いや、いい店だ」


店を褒められて、嬉しかったのは事実。
そしてなんだか照れくさくてはにかんでしまったのが、彼にとってはポイントが高かったらしい。

自分の手当てよりも先に、彼にお茶を出した。
私の店は、日本の物を出すのが売りだったりもするので、それなりに食材や茶葉、お酒も揃っていた。
日本語を使った事よりも、その見た目ですぐに日本人だと分かったので、一番の玉露を出してあげた。
ちょうど、日本の物に久しく触れていなかったようで、そこもツボを突かれた、と言っていた。

お茶を出し、ようやく自分の手当てに取り掛かろうと、店の奥から救急箱を持ってきた。
五ェ門に一言断りを入れて、カウンターで手当てをしようとしたら、あっさり彼に取られてしまった。


「自分ではやりづらいだろう。拙者が手当てをしよう」

「そんな……悪いですよ」

「いや、大丈夫だ」


そう言って、慣れた手つきで私の手当てをしてくれた。
足、腕、最後に顔。目元もやられていたので、目を瞑ってされるがままだった。

不意に、頬を何かで包まれる。
ん? と思いつつ目を開けると、真剣な表情の五ェ門と目が合った。
あの光景を思い出して、頬が熱くなる。


「……そなたを、拙者に守らせてはくれぬか?」

「……はい?」

「このような物騒な地で、ひとりとは心細いだろう」


その言葉に色々と思考を巡らせて、ああ、しまった。と思った。


「……ごめんなさい。こんな事言ったら、怒られるかもしれないんだけど……」

「なんだ?」

「私、死にたがりなの」

「……死にたがり?」

「はい」


特に何があった訳でもないのだけれど、私はいつでも死というものから遠ざけられていた。
まるで死神がいつでも憑いて回って、私の周りにだけ死を運んでいるかのように。
私に死が降りかかりそうになると、その死神は私の大切な人達を標的に変えた。
親や、友人に恋人。いつだって、大切な人達は私を残して死んでしまった。
結局気づくと、私はひとりだった。


「こんな所でお店をやっているのもそう」

「……そうか」

「だから」

「やはり、そなたには拙者が必要だ」

「は?」


頬から、今度は私の両手を取って、ぐっと握り締める。


「拙者はそなたを置いて死にはせん。必ず、そなたを守る」

「えー……っと」

「拙者は石川五ェ門と申す。そなたは?」

です……」


こうして彼は、自宅の空いている部屋に住み着いた。



空いている瓶に、向日葵を活けて、それから入口に向かってOPENのプレートをひっくり返す。
カウンターを越えて、キッチンに向かう。すでに座っている五ェ門は、私のその様子を満足げに眺めていた。

以前、夜の営業を彼がいる状態でしていたら、来る客みんなに威嚇をするので、商売にならなかった。
なので、五ェ門には少し遅めに帰って来てもらうようにして、営業時間も繰り上げた。
常連のおじいさんには、笑いながら「いつの間にこんな番犬を用意したんだい?」と言われてしまった。


「今日はほうれん草の味噌汁に、焼き鮭と卵焼きとご飯です」

「うむ」

「向日葵、ありがとね」

「……うむ」


にっこり笑うと、照れて右下斜めを向く。
普段は私に、こうしてからかわれている事にすら気づかないのに。
時々、獣になって帰ってくる事がある。



大体が手強い相手と斬り合って、本能が昂ぶっている時だ。
そういう時は帰り自体が遅い。私が我慢できずに眠ってしまった後に帰宅する。
がたがたと大きな音を立てながら、帰ってくる。


「……五ェ門?」

「っは、……、殿? ……っく」

「すごい血……だいじょ」

「近寄るなっ!」


見た事のないような凶暴な顔をして、私に刃を向ける。
首に差し向けられた刃は、皮を裂いて一筋の血を流させた。


「どう、したの?」

「頼むっ……放っておいてくれ……!」

「……放っておけるか!」


ぺしっと刃を違う方向に向け、呆気に取られている五ェ門に近づく。
そしてがばっと着物の前を開き、傷を確かめる。


「これくらいなら手当てできるから」

「な、にを」

「噛むならここの辺りで」


そう言って、私は肩口を差し出す。
すると、だんだん冷静になって来たのか、凶暴な顔がいつもの優しい顔になる。
そしてその顔は真っ赤になり、あたふたと視線を泳がせ始める。


「ん?」

「おなごが、そのように、簡単に肌をさらけ出すのは……!」

「だって五ェ門だし」

「拙者とて惚れた女の肌を見たら……あ」

「……惚れた女?」

「いや……そのだな……」


そんな成り行きで、私は彼の気持ちを知ってしまった。

別に、その後から格段何かが変わった訳ではない。
相変わらず五ェ門は私の自宅の空き部屋に住み着いているし、私の死にたがりも変わっていない。
時々、獣になって帰ってくる彼から向けられる刃に、そのまま刺さってしまおうか、とも考えるけれど
そうするとこの人は、どうなってしまうのだろう、と思うと、それもできないでいる。
少し毒されているのかもしれない、と思う。




「五ェ門」

「む?」

「いつになったら、私のこと殺してくれる?」

「またそのような事を……」


味噌汁をすすりながら、困ったような目を向ける。
その目は慈愛に満ちていて、涙が出そうになる程だ。
人は愛されると変わると言うが、私もそうなんだろうか。

時々、眠れなくて、彼の部屋の扉をノックする時がある。
五ェ門は何も言わず部屋に入れてくれる。そもそもその部屋は私の物だけれど。
そして、いつの間にか持ち込まれた布団の上に、ふたりで横になる。
五ェ門の真っ黒い瞳を見ていると、自分の茶色い目が映る。
彼は、とびきり甘くて優しい笑顔を浮かべると、ただただ私の頭や背中を撫でる。
そうすると、だんだん睡魔がやってきて、気がつくと眠っているのだ。

きっと、彼の言葉が本物ならば、相当我慢を強いているだろう。
それでも文句のひとつも言わずに、私の傍にいてくれるのは、やはり愛の力とやらなのだろうか。


「惚れた女を手にかけるなど、拙者にはできん」

「……そっかぁ」


焼き鮭をほぐして、口に運んでいる。
また頬が桃色だよ、とは言わなかった。すぐ怒るからだ。
でも、きっと五ェ門も、私のにやける頬を指摘したいのだろう。
指摘されたら、私も怒るから彼はしないのだろうけど。

きっと、私に憑いている死神でさえ、五ェ門は殺せないと思う。
それだけ強くて、逞しいのだ。彼は。


「ねえ、五ェ門」

「なんだ?」

「あの話、考えたんだけど」


あの話とは、この店を畳んで、五ェ門について行く、という話だ。
先日、急にその話をされた。
どうやら五ェ門の腐れ縁の友人達に呼び出しを食らって、この地を当分離れなくてはいけなくなったそうだ。
しかし、この地に私だけを残して行く事はできない。けれども、友人の呼び出しを蹴る訳にはいかない。
だから、拙者について来て欲しい、そう言われた。

五ェ門が、背筋を伸ばす。
なんだか私まで緊張してしまって、ごくりと生唾を飲み込んだ。


「あの……」

「うむ……」

「その、ついて行くよ、五ェ門に」

「まことか?!」


がたっと五ェ門が立ち上がる。
カウンターを越えて、キッチンに入ってきて私を抱き締める。


「うわっぷ! ご、五ェ門?!」

「よかった! 殿のことだ、もしやここに残るなどと言うのではないかと……!」

「いやーそれも考えたんだけど」

「なに?!」

「やっぱり、私の最期は五ェ門の腕の中かなって」


にっこり笑うと、嬉しいような嫌がっているような表情を浮かべる五ェ門。
ああ、本当に、あなたは










なんてやさしい









れもねー様、リクエストありがとうございました!
title by 約30の嘘