数人のギャングらしき男の人に、腕を掴まれていた
卑下た笑みを浮かべ、私を見ている
悪寒と、吐き気が私を一気に襲った


「離して下さい……」


そう言えば、一斉に笑い出す


「このスラム街で、俺達に歯向かうたあいい度胸じゃねえか、姉ちゃん」


私の右腕を掴んでいた男の人が、後ろに並んでいた数人の仲間に
同意を求めた、その刹那

掴まれていた右腕を、一気に男の方へ押し込む
それに怯んだ瞬間を狙って、私は緩んだ腕を引っ張った
いとも容易く外れた拘束から、走り出す


「おい逃げたぞ! 追え追え!!」


卵の入った小さな袋は、走り出した勢いに負けて地面に落ちてしまった
そんな事を気にする暇もなく、私は後ろの追っ手から逃れる為
まだ傷が少し痛む体に鞭を打ち、全力疾走に拍車をかけた









はぁ、はぁ、と肩で息をしながら呼吸を整える
「どこに行った?! あのアマァ!」と、男の怒声が聞こえた
身を縮め、ただ見つからないようにと、そう祈る

真っ直ぐ走って、いくつもの曲がり角を曲がった
それでもなお、追いかけてくる男達を追い払う為に、私は路地裏へと逃げ込んだ
逃げる途中で落とした傘。それがないお陰で、私はもうびしょ濡れ
体全身が、寒さと小さな恐怖で震えている


きっと記憶のある時の私なら、どうにかして自分ひとりでこの危機から、逃げ出す事くらい出来たんだろう
でも、今の私には何も出来ない
皆に連絡を取る手段すら、持ち得ていない


情けなさで、体の力が抜け始めた
ずるずると壁に沿いながら、その場に座り込んでしまう
走りと雨の影響で、もうほとんど体力がない事を感じて


「本当に……早く記憶が戻ればいいのに」


見つからないように小声で、そう言った


記憶が戻ればきっと、皆にも迷惑をかける事もない
そして、五ェ門も辛い思いをせずに済む
あの人の辛そうな顔の理由も、きっと分かる筈

膝の上に乗せた拳に、自然と力が入った


途端、五ェ門の部屋で掃除をしていた時に見た
あのフラッシュバックの感覚が、また私を襲う




スラム街の路地裏
雨はもっと酷くて、聞こえる音は不気味な泣き声だけ
記憶の中の私は今より幼くて
雨に濡れ、今の私と同じように体力がほぼ空に等しく
ただ刻々と近づく「死」に、幼いながら半ば諦めていた

とても悲しい気持ちだった、気が、する

そんな時、バシャバシャと聞こえた水の音
それは紛れもなく誰かの足音で
でも、もう私にはそれが誰なのかを確認する力は残っていなくて
近づいてくる、足音



『……子どもか?』

『……』

『生きているのか?』

『あなたは……誰?』

『拙者は……』




覗き込んだ顔、雨に濡れていた
肩からは白い着物が真っ赤になるくらい、血が出ていて
でも不思議と怖くはなかった


『拙者は、石川五ェ門と申す』

『ご、え、もん……さん?』

『ここにいては、いつか死んでしまう。一緒に来い』


言われて抱き上げられた
雨はすごく冷たかったのに、彼の体はすごく温かくて
ここでなら、死んでもいいかな、と思ったんだ



!!!」



バシャン、と横で音と声がした
向けばそこにいたのは、息を切らし私なんかよりも
もっと、濡れた五ェ門が立っていた


頭の中で、何かが壊れた
途端溢れ出す思い出達


幼い頃に、彼に拾われた事
皆に見守られながら、たくさんの経験をした

私はこの人に恋をした
この人も私を、愛してくれた

行き違った気持ち
誤解が招いた誤解
胸を巻いた哀しみと、頭を占領した苦しみ
そんな醜い私を見て欲しくなくて、拒絶した

また擦れ違って、傷つけて
感じたデジャブで、私は思い出を失っていた



「ご、えもん……」

「大丈夫か?! ルパン達に聞いて、お主が買い物から戻ってこんと」

「五ェ門」



近づいてくる彼に、私は立ち上がって抱きついた
言いたい事も、聞きたい事もたくさんあったけれど
何よりもただ、その存在を確かに感じたかったから



「……五ェ門だけだよ」

?」

「私が好きなのは、ずっとずっと五ェ門だけだよ」

「記憶が戻ったのか?」

「うん……たくさん、傷つけて……心配かけてごめんね」



そう言っても、五ェ門は何かに抑えられているように、私を抱き締め返してくれない



「もう怒ってないから、大丈夫だよ、ちゃんと五ェ門が私のこと、好きでいてくれてるの知ってるから」

、拙者……本当に、を傷つけてばかりで……申し訳ない」



そっと壊れ物のように、私の肩に触れた
彼の指先は僅かだけど震えていて
もう一度、私は五ェ門を安心させる為に
ぎゅ、と力を籠めて彼の全部を抱き締めた



きっと、あたなが辛そうにしていたのは
私にちゃんと謝れなかったから
私をすごく傷つけてしまったから

私だって、酷い事をしたのに
あなたはただ全てを甘んじて、受けてくれていた

記憶がなくたって、それを本能で私は、感じていたから
だからこそ、あの時涙が流れたんだと思うの





「もう帰ろう」
そう言えば、五ェ門は嬉しそうに笑って私の手を
確かに強く握って、引いてくれた