特にする事もなく、置いてある酒ではなく美味いのを飲みたくなり夜の町に出て来た。
この場所には何度も訪れていていくつか馴染みの店もある。
ある店を思い出してそこへと向かった。

記憶通りの所に店はあった。営業もしていたので中へと入る。
バーカウンターとホールが広がっていて、少しやかましいと思うような曲が流れている。
少し来なかった間に雰囲気が変わったと思いながらバーに立つ。
すぐに注文を聞きに来たのは見知った顔の店主だった。


「おお、あんたか」

「よお。なんだか少し変わっちまったな」

「多少はな。店をやっていくには時代に合わせなくちゃならねぇ。で、何にするんだ?」


バーボンを頼むとすぐに出てくる。一口飲めば、それが今までずっとこの店で飲んできたものだと分かった。
店主を見れば「変えちゃいけねぇもんくらいは分かってるさ」と笑う。

棚に並んでいる酒瓶やグラスを磨いている店主を見ながら、バーボンを舌で転がしていた。
すると背中に強烈な視線を感じる。
一瞬同業者や厄介な連中かと思ったが、どうやら違った。

その視線はまるで品定めをするような、そんな感覚のもので。
足元から徐々に上へと上がってくる。腰の辺りや肩などで止まったりもした。
なぜか不快だとは思わなかった。
気になって振り返り視線の主を探すが、それらしい奴はいない。

またカウンターの方に向き直りグラスを握る。
そう言えばと思い出し店主に声をかけた。


「なあ、前にいたバーテンダーはどうしたんだ?」

「ああ、アイツは……」


言いかけた男の目が俺ではなく隣を見た。
追いかけて自分の左を見ればいつの間にか女が立っている。

注文は? と女に聞く店主の声がやけに遠くで響いていた。
彼女は俺から一度目を逸らすと、この人と同じ物をと頼む。
そしてまたその瞳が、正面から俺を撃ち抜いた。

大っぴらに露出をしているわけじゃないが、見える肌の場所は想像をかき立てそれが色香をうまく漂わせている。
派手な化粧ではなく必要な部分を補っているそれは、押しつけがましくない。
何よりも強い炎を灯した瞳は、惹かれざるを得ないもので。
逸らせばいいのにどうしてかそれができないでいる。

彼女の色を乗せた唇が美しい弧を描く。
同じ酒が同じグラスに入れられて前に出された。
彼女はそちらに顔を向け、流れるような動作でそれを口に運んだ。

感じていた視線が彼女のものだと分かった。
ああいうものを注がれる意味が理解できないほど無粋ではない。
おそらくは初めて逢ったんだろうが、なぜか懐かしさやデジャヴを感じている。

グラスがテーブルに置かれる音で我に返ると、また彼女がこちらを見ていた。
ゆっくりとこちらに体を傾け、僅かにしかなかった距離を縮められる。


「あなたに会えなくて、ずっと寂しかった」


フロアに流れている音はそれなりに大きいうえに、その声はささやき程度のものだった。
それでも確かにその声は俺の脳まで達して、そしてどうしようもない衝撃を与えた。


「……どういう事だ」


離れて顔を見れば先程までの強気な表情はなく、どちらかと言えば子供みたいな顔をしている。
その落差にまた眩暈がしそうになる。

返事はなく、バーボンを一気に飲み干した彼女はフロアへと歩いていく。

ついて行けば何もかも分かるだろう。ささやいた言葉の意味も、挑発的な態度の本当のわけも。
しかしそれにブレーキをかける自分がいるのも事実で。
頭ではなく心の何かが警報を鳴らしている。

そうこうしている間にも、彼女はどんどん人混みに紛れていく。
ごまかすようにカウンターに向き直ったが、結局俺は同じ方向に足を踏み出していた。

人をかき分けなんとか彼女の後ろまで迫れば急にこちらを向かれ、予想通りという面持ちで俺を見上げる。


「なあ、あんた」


全て言い終える前に手を引かれ、さらに奥へと進んでいく。
舞台の脇を通り、バックステージへと連れて来られた。

フロアの喧噪が薄らとしか聞こえない。
あそこもそれなりに照明を落とされていたが、それでも相手の顔が分かるくらいには明るかった。
だがここは、目を凝らさなければ表情が見えない暗さだ。

手は握られたままで、彼女は何も言わない。


「おいお前」


また手を引かれる。けれど今度は体を近づけるためにそうされたのだと知った。
腹と胸板の間に柔らかな感触がする。顔を上げ少し背を伸ばしているのか、唇が触れそうで。


「あんたでもお前でもなくて、

「……名前か」

「そう。どうせなら名前で呼んで」

「……


そう言った途端、頬が色づく。
意外な反応にこちらも目を丸くしてしまう。

最初はとんでもなく気の強い女かと思った。
かと思えば幼いとさえ思ってしまうような表情と、この態度。
一体どれが本当の彼女なのか。もっと他の顔もあるのかと好奇心をそそられてしまう。

女に気を許せるのはせいぜい一晩程度だと思っている。
それ以上に深入りすれば、いつかお互いに傷つけ合うだけだろう。
今までも、そしてこれからもそうしていくつもりだ。

けれどこいつは違う気がしてしまう。
一度触れてしまえば抗えない、そう感じている。

変わらないままの距離にもどかしさを感じ始めてしまって。
これ以上は危険だ、今すぐ立ち去れと頭の中で命令が下る。
頼りない手を振り払おうとした瞬間、の唇が動いた。


「あなたが欲しいって言ったら、くれる?」


妖艶な言葉の割りにその顔は、怯えや不安の色に染まっている。

何もかもが分からなくなってきた。こいつの態度や言葉も行動も、俺の心の動きも。


「……男なら他にもいるだろ」

「……あなたじゃなきゃ嫌」


手の平を心臓の上に持っていかれる。
伝わってくるのは、安心してしまうような温度と心臓が刻んでいる早い鼓動。

もっと触れたい、奥まで入り込みたいと思ってしまう己がいた。

気がつけば壁に彼女を押しつけ、唇に噛みついていた。
何度も角度を変えて、口を開かせ舌を絡ませる。
吐息に混じる声が震えていた。

胸を拳で軽く叩かれて、ようやく唇を離した。
は肩で息をして、酸欠気味だったのか目尻には涙が浮かんでいる。
そこに吸い寄せられるように唇で触れた。


「後悔させるなよ」


彼女は俺の心臓を見事に撃ち抜いた。この俺が驚くほど正確に。
ならばその腕前に賭けてみようと思っただけの事で。
すっかり色が落ちた唇に、自分のそれを再び重ねた。





Straight Through My Heart.





Image song 「Straight Through My Heart」 by Backstreet Boys