今時、親に決められた結婚なんて、本当にあるんだなぁ、なんて他人事のように考えた。
真っ白でふわふわなドレスを着れば、少しは幸せな気分になれるかな、なんて思っていたけれど。
幸せな気分どころか、どん底の気分だ。


「綺麗だよ」


隣に立つ、夫になる人は、そうほほ笑んだ。
私よりも遥かに年上のこの男性に気に入られたが最後だった。
会社を経営している両親。最近の不景気によって業績が傾いていたのは知っていた。
それを救う手立てが、私と彼の結婚だなんて、それなんて政略結婚?

でも、自分を大切に愛して育ててくれた、昔は大きく見えた両親が
土下座をして泣きながら懇願する姿は、見ていられなかった。

私と彼は東京に住んでいるから、今日のために地元宮城から何人か招待した。
とりわけて、部活関連で仲のよかった日向君や影山君達を呼んだ。
ただ一人、仲間外れにしたらきっと、陰で物凄く怒る彼は、呼べなかった。

彼が出て行き、両親がやって来る。その表情は、娘の門出を喜ぶ親のものとは思えなかった。


「本当に、本当にすまない……お前の好きなようにさせてやれなくて」

「いいよ、もう……。大丈夫だよ、お父さん」


泣きながら部屋を出て行く両親を見送って、ふう、と息をひとつ吐いた。
手の中には携帯電話。操作して、一枚の写真を見る。


「蛍……」


今頃、君は何をしているんだろう。
きっと、私のことなんて忘れて、君は君の人生を歩んでいるんだろうね。

写真に写るのは、すこぶる機嫌の悪そうな彼に抱きつく私。
これでも当時は付き合っていたのだから、本当に笑える。

二年前、何も知らない彼に別れを切り出したのは、私だった。
彼は深く詮索する事もなく「そう」とだけ言って、別れを受け入れてくれた。
本当は、引き止めて欲しかった。でも、そんな事を言う権利は私にはなくて。
彼が最後に言った「幸せになりなよ、僕以外の人と」という言葉が、今でも胸を離れない。

あなた以外の人と、幸せになんてなれないのに。
私は、あなたと幸せになりたかった。

言えない言葉達は涙になって落ちていく。
ああ、せっかくしてもらった化粧が落ちてしまう。


がちゃりと、扉の開く音がする。
彼が戻ってきたのだろう、とそちらを見て、私は固まってしまう。


「……蛍?」


そこにいたのは、紛れもなく、手の平の中の写真の不機嫌な彼で。
今日の事は、場所も日時も何も伝えていない筈なのに。
それよりも、二年前、別れを告げてから音信不通だったのに。

淡い色の短髪も、黒縁の眼鏡も、不機嫌そうに歪んでいる顔も、変わっていない。


「ねえ」

「え?」

「君は幸せなの?」


その言葉が、まっすぐと飛んできて胸を刺す。
何も知らない筈の蛍に、今更本当の事を話せる訳がない。
誰が伝えたんだろう、なんて考えて、ああ日向君かもしれないなぁなんて思って。
でも、日向君もこの結婚の裏は知らない筈だから。


「……幸せだよ」

「ふーん」

「おめでとう、って言いに来てくれたの?」

「あのさ」


近づいて、椅子に座る私を立たせる。
それから、右手首を掴んで、そのまま引っ張られる。


「え、ちょっと、待って……! どこ行くの?!」

「どこでもいいデショ」

「だって私、これから」


言いかけた言葉を、唇で遮られる。
ホテルのロビーで、色んな人がいる中で。
こういう事を人前でするのを、極端に嫌っていた筈なのに。


「誰かと幸せになってる君は見たくない」

「蛍……」

「っていうか、君のその顔、本当に幸せって顔じゃないし」


それくらい分かるよ、とまた引っ張られる。

連れて来られた場所は、両親の待機する部屋だった。
ためらいもなく、蛍は扉を開けて、驚いた顔をしている私の両親の前に立った。


「初めまして、月島蛍と申します」

「あ、ああ、はい……」

「まことに申し上げにくいのですが、今日のお嬢さんの結婚、なかった事にしてほしいのですが」

「はあ?」

「……彼女は、僕といる方が幸せだと思います」


蛍の後ろにいるから、彼の表情は分からなかったけれど、ただ真摯な声だけは聞こえていた。
くん、とまた引っ張られて、彼の隣に立つ。


「一体、どういう事なんだ?」


両親の心配そうな顔が目に入る。
隣を見れば、真面目な顔をした蛍と目が合った。


「あの……その、彼とは……二年前に、付き合ってて……でも、別れて……で……」


ぽろぽろと涙が落ちてくる。
このドレスも、彼の隣で着るのを夢見てた。
分かりにくかったけれど、きっと蛍もそう思ってくれていたんだろう。
彼以外の人と、結婚なんて。


「お父さん、ごめん……私、あの人とは、結婚できない……!」

「なっ……」

「私、この人が、蛍が好きなの……蛍じゃなきゃ、幸せになんてなれない……!」


いつの間にか繋いでいた手。蛍が力を込めたのが分かる。
みっともないくらいに泣きじゃくる私の頭を、もう片方の手で撫でる。
昔も、私が本当に辛い時は、こうしてくれていた事を思い出す。


「……そうか」


父が、ふう、と何かを決心したように、私を見る。


「すまんな、俺達のわがままに付き合わせて」

「お父さん……?」

「先方には、俺達が話すから。お前は、その彼と幸せになりなさい」

「やっぱり、娘には笑っていて欲しいものね。本当に、ごめんね……」


両親が頭を下げる。でも、あの時と違うのは、その姿が私がずっと見てきた大きな姿だという事で。


「ねえ」

「う、ん?」

「僕と、結婚してくれるの?」


今更どうして、そんな不安そうな顔で聞いてくるんだろう、とおかしくて、少し笑ってしまった。
すると、やっぱり不機嫌そうな顔で「……返事は?」と怒られる。


「うん、蛍と、幸せになりたい」


君が好きだと、一度だけ言ってくれた満面の笑みで、そう答えた。